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      第11話

『Good morning, ladies and gentleman.Welcome aboard AIRFRANCE flight 770 to Paris.Your pilot today is Captain John Brown and……』  時刻は深夜。ビジネスクラスに登場している葉琉は、離陸前の機内アナウンスを聞き流し小さな窓の漆黒を見つめていた。昨日の社長の覚悟からずっと、葉琉の航空チケットをファーストクラスかビジネスクラスで揉めていた2人だが、結局葉琉が勝ったのは記憶に新しい。いつも葉琉とのことなら折れてくれる社長に、もう諦めたらいいのに。と呆れた気分の秘書は、昨日の夜のことを思い出していた。  出席が許されなかった母親の誕生パーティ。家族全員が出席する中、自分だけ出席できないという罪悪感に苛まれながらも、パーティ終了後に弟が手渡してくれた桜のネックレスを母は涙を流しながら嬉しそうにしていたと聞いた時、とても嬉しかった。そんな母を見て父が少し嫉妬していたというのはもう気にしないが、遠目に見ていた祖父も少し微笑んでいたというのは驚いた。でも、元々家族思いであり、条件付きの勘当をした祖父はやっぱり優しいとも思った。特に何かがある訳でもなく、いつも通り大成功を収めた母の誕生パーティは恙無く(つつがなく)終了したというのが弟からの報告だった。  窓の外を静かに見つめる葉琉の瞳には懐かしい家族の顔が浮かんでいた。いつも優しい母に、母と仲良くしすぎると同じSubであるオレにも嫉妬してくる家族愛の強い父。唯一会うことが許されている弟は年に数回マンションに突撃をかましてくるし、今年大学に入学した妹は恋に忙しいらしい。中学まで実家にいる時は使用人がいた為、一人でなにかをすることがあまり無かった。実の家族と同じくらい大切に思っていた叔父夫妻との暮らしの時は家事をすることが多かったが、そのおかげで今の一人暮らしが出来ている。悲しい思い出ではあるが、自分には必要な事だった。それが葉琉の認識だった。  エコノミー客の搭乗も終了し、飛行機はゆっくりと離陸体制に入る。ファーストクラスにいる社長は、今頃ウェルカムドリンクでも飲んでいるのだろうか。いや、仕事をいくつか渡してきたからそれを捌いてそうだ。自分はウェルカムドリンクのワインを飲みながらゆっくりと思う秘書。カルベネ・フラン(ワイン)を片手に、パリ支社での社長の動きを再確認する。 『We’re having some turbulence.The seat belt sign is now on.Please fasten your seat belt securely and refrain from using the restrooms while the sign is on.The Captain has……』  ポーンとシートベルトサインが点灯する。綺麗な英語が放送される機内は、長距離フライトを少しでも快適なものにしようとする乗客により少しザワついていた。後方からは初めて飛行機に乗ったのか、「すごいねぇ!」と興奮する子供の声が聞こえてくる。  12時間半という長旅に心躍らせる者や、行きたくないのに駆り出されるビジネスマン。海外に飛び出したくてパリを選んだ学生など、様々な人がいた。  離陸から十数分。自動操縦に切り替わった飛行機はシートベルトサインが消え、CAたちがドリンクを運んでくる。葉琉はそのタイミングで前方のファーストクラスにいる社長の元へと向かった。 「社長。現地到着後すぐにパリ支社へとのことでしたが、その前に馴染みのテーラーの方に行かれてはと思ったのですが、いかがなさいますか」  テーラーとは、フルオーダーメイドスーツを作る職人の事である。社長になってから身嗜みにもかなり気を付くようになった社長。その前の外資系企業では、それなりのスーツを着るものの、既存の量産型だった。そこから表に立つことも一気に増えた為、前社長である父の御用達だったテーラーに通うようになった。 「ああ。そうだな。久々という訳ではないが、少し早いが冬用のスーツをいくつか仕立てるか」  葉琉が離陸前に手渡した書類を裁いていた社長が、炭酸入りのミネラルウォーターを片手に視線を上げる。つい一ヶ月程前までパリにいた社長からすると、そんなに長く離れていたという感覚はないようだ。次顔を出すのがいつになるか分からないからな。と付け足しつつ、次の書類に目を通していく。 「では、そのように致します」  少しだけ目を伏せ、自分の席へ戻る為に踵を返そうとする葉琉。しかし社長に手を掴まれてしまう。 「…なんでしょうか」 「いや…」  獲物を捕らえようとする鋭い眼光。この社長にいい思い出はない。というか、マズい前兆だと葉琉は密かに思っていた。なんせ、この視線は依然、藤堂副社長の軽いGlareで葉琉が軽いヒートになった時、襲ってきた約一か月前の時と同じものであった。それからというもの、この視線になった瞬間、二人きりにならないよう徹底してきた葉琉。お陰であれ以来、社長に襲われた事はない。 「Excuse…」  不審に思ったCAの一人が声をかけてくる。それを利用して葉琉は自分の席へ戻った。  振り返ると確実にあの眼光に捕らわれ、動けなくなるのは必至である為絶対に振り返らない。Glareを公共の場所で使う事は大変マナーの悪い事であるのは、高校入学と同時にある適性検査の時に耳に胼胝ができる程言われる常識である。社長がGlareをかなり我慢しているのは何となくわかったが、飛行機という公共の場である為葉琉は何を逃れた。

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