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      第13話

 その翌日。昼食を食べ終わった七々扇家の面々は、前社長夫妻の眠る小高い丘にいた。特に喪服の様な黒い服という訳ではないが、全員が無意識に暗めの服を選んでいた。  小高い丘からはルクセンブルクの街並みが美しく映え、丘の上には大きな木が夫妻の墓石を優しく見守っている。木陰になっているそこに龍玄は執事が持ってきた簡易的な椅子に腰かけ、墓石を見つめた。墓石には『Repose en paix,七々扇悠迅(ユウジン)&(ミオ)』の文字。使用人のひいたレジャーシートに座り、万里が持ってきた紅茶やスコーンなどを出す。クラリスは龍玄に寄り添い、隣に置かれた椅子に座って彼の手を握った。  葬式以来始めてくる両親の墓参りに、紫桜社長はジッと凝視していた。恐らく、自分の中の覚悟を試されているのだろう。遠くから他の秘書たちと見守っている葉琉はふとそう思った。  穏やかに流れる夏を匂わせる風に悲しみを乗せ、これまでの思いを吐き出すかのように紫桜社長は静かに一筋の涙を流す。それに気づいているはずのそこにいる全員は、特に触れる事もなく、静かにアフタヌーンティーを楽しんだ。  時間は経ち、七々扇社長のみがこの丘に残って数時間。真上にあった太陽も、今では沈みかけている。本当は日が暮れるまでここにいたがった七々扇家の面々だが、今日ここに集まっていたのは世界最大のグループ企業であるNIIGのトップたち。そう時間が許されるものではなかった。彼らがそろってゆっくりできたのは1時間程。誰もしゃべる事なく沈黙でありながらも、満ち満ちた時間を過ごしていた。  11年分の思いもあるだろうと、この出張の最終日はパリのシャルルドゴール空港発ではなく、ルクセンブルクのフィンデル空港発に変更していた葉琉。それでも、そろそろ出発しないと間に合わない時間になりつつあった。 「……社長」  小さく声をかける葉琉。ずっと墓石を見つめて微動だにしなかった七々扇社長が静かに振り返る。その表情は悲観的な物ではなく、とても満足したような、これまでの苦しみの様な何かから解放されたような感じだった。 「もう時間か」  その言葉に返事をすることなくただ頷く葉琉。もう一度墓石に視線を移し、“また来年”と小さくつぶやいた社長の声は、葉琉にだけ届いていた。  『Good evening, ladies and gentleman.Welcome aboard AIRFRANCE flight 524 to Tokyo.Your pilot today is Captain Dion Bocuse and……』  帰りの飛行機は問答無用で葉琉もファーストクラスに変更されてしまった。文句を言おうとしたが、子犬Sub状態の社長に逆らえるわけもなく(怖いのではなく可哀想で)珍しく葉琉が折れたのだ。  仕切りがあるとは言え、隣に座っている七々扇社長のテンションが高いのが手に取るように分かる。いつもはウェルカムドリンクは頼まず、炭酸入りのミネラルウォーターのみであると九条女史から聞いていたのだが、今社長の手にはスパークリングワインである。この社長、シングルモルトが好みであり、スパークリングの類は嫌いなはずなのに。と思いつつ、不気味にハイテンションな上司は気にしない方向でいいと結論付けた秘書。その秘書は長時間運転や先輩秘書との勉強会で疲れ果て、お酒を飲む気にはなれずにいた。 「飲まないのか」  そんな葉琉にお酒を勧めてくる気持ち悪い上司。離陸準備の整った飛行機がゆっくりと動き出す。外の天気は生憎の雨。航行に特に影響はない小雨だが、葉琉はすぐに家に帰ってベッドにダイブしたくて堪らなかった。 「いえ、今日は飲みません」  上司に断りを入れ、自分は炭酸抜きのミネラルウォーターを煽る。  そうか。とだけいい、社長は飲み飽きたはずのスパークリングを少し楽しんでいるようだった。  離陸して数時間。丁度ルクセンブルクと日本の中間地点を航行している時、社長が不意に口を開いた。 「そういえば葉琉。昨日の夜会長と何を話したんだ?」  至極当然の問い。しかし、葉琉の時は一瞬止まった。そんな秘書の様子に、これは何かあったなと勘づく社長。いつも飄々としている秘書が、ここまで動揺するところを始めてみた。 「いえ、特には…」 「言え。何があった」  言葉が出ない葉琉に、社長が追い打ちをかける。葉琉にだけ分かるようにほんの微量にGlareを放つ。来ると何となくわかっていた葉琉は、すぐに抵抗した。少し息を呑むも、すぐに元に戻る。抵抗されるのは分かっていたが、まさか影響を受けないと思っていなかった社長は目を大きく見開いた。 「お前…」  何か言いたげな社長。 「申し訳ありません。少し疲れが溜まっているようなので、少し休ませてもらいます」  それだけ言い放ち、社長の意思を無視して席同士の仕切りを完全に締める。葉琉は目を閉じ、昨日の事を思い出していた。 『君、神代といったか』 『はい』 『それは本当の名前か?』 『そうですが…』 『儂が訊いておるのは、戸籍上ではなく“生まれた時の名前”なのかということじゃ』  時刻は深夜。殺されんばかりの会長の視線に、葉琉は思わず押し黙る。  確実にバレている。オレが神代の叔父の養子である事を、確実に知っている。 『別に取って食おうという訳ではない。その瞳と言い、特徴的な名前と言い、確認したいだけじゃ』  葉琉の髪はブロンドに近いとても明るい茶髪だ。普段はそれを隠す為にオリーブに染めている。それは、彼の実の父が日本とフランスのハーフであり、産みの母が純フランス人だからである。それに加え、葉琉の瞳の色は祖母譲りのキレイなブルーグレーの瞳だ。 『……会長の思っている通りかと』  観念した葉琉は、正直に答えた。会長は特に表情を変える事なく葉琉を見つめている。 『あの件からもう3年か』 『…はい』 『元気そうで何よりだ。クラリスも心配していたからな』  葉琉を一瞥すると手にしていたグラスを煽る。中の琥珀色の液体はカランと氷と混ざった。寝る為の簡易的な格好に着替えた会長と、まだスーツを着たままの葉琉。 『しかし、あの家の直系なだけはあるな。君、確かSubだろう。Domにしか見えんよ』  実家の事を知っている会長の言葉に、葉琉は少し笑みを零す。いつもDomに見間違えられる容姿は、自分の身を守るという事にも役立っていた。 『孫を頼むよ。君ならどうにかできそうだ』  穏やかに言う会長。端から見ると孫を心配する祖父の優しい言葉だが、葉琉は会長の言葉に違和感を持った。 『会長、何かありましたか』 『いや、ないぞ。ただそう思っただけじゃ。……それに、いずれ君は家に来る事になるだろうしな』  悪戯な笑みを浮かべる会長。先ほどまでの優しい老人の姿はなく、とりあえず怖かった。それに、NIIGの会長は預言者だ。そういわれるほど、彼の言葉は現実になると有名だ。そんな会長からの最後の言葉に少し疑問を持ちながらも、話は終わったと言わんばかりの会長の視線に、葉琉は自室へと戻った。  そんな会話がされていたとは知らず、不審に思いながらも大したことはないのだろうと思う社長と、日本に戻ってからのスケジュールを頭で練る秘書を乗せ、飛行機は順調に帰路へ着いた。  《今春の淡雪 終》

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