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      第17話

 それから少し経ち、七々扇社長は招待者リストを葉琉に手渡し、それを確認した葉琉が同伴するかどうかの返事をするパーティ生活が始まっていた。出張生活が続き、基本的に七々扇社長は日本にいる事が無くなってくると葉琉が社交界に姿を現す機会が増えた。 「葉琉、今日はダメなのか」 「お断りします」  そして今日は日本政財界の重鎮たちが集まるパーティ。葉琉は絶対に会いたくない方の名前をリストに確認すると即刻断りを入れる。  頑なに断る葉琉に、七々扇社長はこれは折れてくれないと思い、そうそうに引いた。  そのあとはいつものように世界中から送られてくるメールを裁き、社長決裁の書類を選別し、社長のスケジュールを調整する。順調に仕事は片付き、パーティ開始となる19時に間に合った。新しいスーツに着替え、おしゃれなネイビーのスーツ姿の社長を送り迎えの車に押し込むと、葉琉の今日の業務は終了となる。少し不機嫌そうな表情をしていたが気にしない。あれを見つめるとそれに気づき、社長は子犬Subに変身する。それも意図的に。あの表情はなぜか捨て置けないのだ。  子犬Subの社長を思い出しつつ溜息を吐くと、葉琉は自分のマンションに帰った。  葉琉が自宅でゆっくりと紅茶を楽しんでいる時、場所は変わり高級ホテルにある本日のパーティ会場。紫桜は不機嫌さを欠片も見せず、笑顔で参加者と挨拶を交わしていた。  今日のパーティは七々扇家や院瀬見家とは違い、古くは平安時代初期から続くDomの名家中の名家、西園寺(サイオンジ)家主催のものだ。特に会社を経営しているとかではなく、茶道一門である西園寺流の宗家だ。三千家と並ぶ大きな流派であり、顔がとても広い。そんな一族であるため、力やその他諸々が圧倒的に七々扇家と院瀬見家が強くても、決して無視できないのだ。 「孝承(タカツグ)さん、お久しぶりです」 「おお、七々扇の。これはこれは、お久しぶりです」  紫桜の目の前には西園寺の前当主である初老の男性。西園寺孝承氏は顔のシワをを深めながら微笑む。御年80歳を超えるこの御仁は、日本の総理大臣すらも動かせるのではないかというほどの発言権を持つ人物だ。今微笑んでいるさまは和装の似合い過ぎるただの老人だが、凄むと怖い。 「篤孝(アツタカ)さんもお元気そうですね」 「紫桜さん、お久しぶりです」  孝承氏の隣にいるのは孫で次期当主である西園寺家長男、西園寺篤孝だ。物腰の優しい彼だが、お茶に対する熱意はとても強く次期当主としてとても有望視されている若者である(33歳でも茶道家当主は若いらしい)。 「今日は承世(ショウセイ)さんはいらっしゃらないのですね」 「弟は父と共に京都に残っています。今回は私とお爺様のみです」 「なるほど」  承世とは西園寺家の次男で篤孝の8個下の弟だ。問題児として有名であり、遊び歩いては問題を起こしていた。殺しなどのブラックラインまではいかないが、SubやNormal(ノーマル)を惚れさせて捨てるという所業を繰り返す下衆だ。 「紫桜君はかなり有能だな。七々扇がここまで大きくなるとは。悠迅君よりも有能ではないかね」 「そんなことはありませんよ。まだ父には及びません」 「はは。謙虚なものだ」  この御仁。自分が最上位の人間と思っているのか、無意識に人を見下す傾向にあった。今の会話も、普通に聞くとただ“頑張ったな”と言っているように聞こえるが、裏には“まだまだだな”と副音声が聞こえてくる。隣の篤孝もそれを汲み取ったのか、微笑んでいるが少し苦笑して困っているようだ。 「ああ、儂はもう行く。篤孝、相手をしてあげなさい」 「畏まりました、お爺様」  特に反応する事もなく笑顔の紫桜に飽きたのか、御仁は興味が失せたようで席を外した。相手をするよう命じられた篤孝は、少し低頭し祖父を見送る。 「…紫桜さん、申し訳ない」 「気にすることはないだろう。御仁はいつもの事だ」  申し訳なさいっぱいの篤孝に、紫桜は苦笑するように答える。御仁の姿が見えなくなった後、いつも繰り返されるこのやり取り。もちろん、周囲に気を配り、決してこの会話を聞かれないようにする。 「しかし、承世君はまた問題でも起こしたのか」 「ええ、まぁ。お耳に入るのも時間の問題でしょうから簡潔に言うと、番っているSubに手を出したらしく、番のDomが訴訟を起こすと言っているんです」 「…それはまた」  思ったよりも大事だ。番っているSubに別のDomが手を出す事は御法度である。相手のDomは怒り狂っているのだろうなと片隅で思う紫桜。しかし、篤孝の顔色を見るに他にも問題があるようだ。 「ただ番っているだけならどうにかなったのですが、そのSubが自殺未遂をしてしまって。まだ意識を取り戻さないんです」 「それは、もはや事件ではないか?」 「ええ。ですので今回ばかりは父が直接出向いているようで。…いっそのこと弟は破門にして家族の縁を切ってしまえばいいのに、茶道の腕前は西園寺流最高峰のそれですので、そう簡単には手放したくないというのが実家の意見のようです」  困り果てている篤孝の理由はそれだった。  問題児として有名である次男だが、茶道の腕前は過去にも類を見ない程天才的な物を持っているのだ。どうにかもみ消せるならもみ消したい。それが西園寺家の総意なのだろう。とは言っても、次期当主である篤孝は弟の腕があってもすでに見放しているらしいが。 「本当に、どうなるか心配です」  その心配が弟の将来ではなく、西園寺家の未来である事は明白だった。

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