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      第19話

『まぁ、あれを捕まえるのは俺の中で必須の確定事項だ。下方修正は決してしない。…上方修正ならいくらでも受け付けるがな』  そういっていた紫桜の顔を思わず思い出して兄に同情と呆れの溜息を吐く颯士。下方修正は捕まえられないということだろう。上方修正が何かは言わずともわかる。実家に戻った颯士は、既に寝ている屋敷の人を起こさないように自室へと戻った。 「…とりあえず兄貴には黙ってたほうがいいよな」  今日紫桜と話したことをメッセージで教えようとしたが、そうすると確実にあの兄は紫桜の元から逃げる。それはもう脱兎の如く逃げるだろう。そうなれば紫桜に悪い。実の兄より紫桜を選ぶ現金な弟だった。 「…ま、兄貴の場合、紫桜さんに捕まったほうがいいだろうしな」  と、後付けのようにそう思う颯士だが、3年前の事を想うと上級のDomに捕まったほうが兄の為である。自分を納得させ、紫桜になら兄を任せても安心だ。と思いベッドへと潜り込んだ。  怒涛のパーティラッシュが続く七々扇社長。葉琉はそんな社長のスケジュールを必死に組み直す作業に追われていた。基本的にパーティの招待状が届くのが1か月から1か月半前。しかし、必須で参加しなければならないパーティからの招待状が、向こうの手違いで半月前に届いた。国際的な会議などにも出席予定の七々扇社長。そのスケジュール調整は並大抵の事ではなかった。最終的には藤堂副社長と七々扇会長にも予定を分散し、何とかやりくりしていた。 「葉琉、今回のパーティはパリだが」 「…パリのでしたら可能です。出張の予定をいくつか組み込んでいますので、そちらも合わせてよろしくお願いします」  このところ海外でのパーティが続き、葉琉がパートナーとして出席する事が増えた。Dom同士のパートナー、しかも、片方はあの七々扇の社長となれば人目を惹かないはずがない。出席する度、葉琉は自分の身体に穴が開くのではないかと心配になる程色々な人から凝視されていた。 「葉琉、パーティでのパートナーはこれからも続けてほしいが、実際にパートナーになるのは――」 「それはお断りしているはずです。私にパートナーは必要ありません」 「……」  事あるごとに葉琉をこうして口説いている七々扇社長。しかし、葉琉が首を縦に振ることも、ましてやいい返事をしてくれることもなかった。いつも社長が言い終わる前に言葉をかぶせて断る。その瞬間、部屋の空気が一気に凍り付くのだが、もはや葉琉は気にしなくなった。 「私は遊びではないんだ」 「では、なおの事お断り致します」  海外からのスケジュール調整の依頼や書類などを裁きながら言う葉琉。その視線はディスプレイに向かっており、一切社長の方を見る事はない。  あまりしつこくすると葉琉は一日の仕事も放りだそうとすることは既に体験済みである社長は、今日はここら辺で自分から折れる。  葉琉が必要以上に七々扇社長と関わる事なく、そして葉琉のプライベートの時間が全くなくなっていくのを尻目に、社長は如何に葉琉と距離を詰めるかのみ考えていた。  七々扇社長が葉琉にアタックし始めて早半月。葉琉は自宅にいる以外は全て七々扇社長と共に行動していた。という事はもちろん、病院にも行けていなかったわけで、葉琉の必須アイテムである抑制剤もかなり前に底を尽きていた。葉琉がその事に気づかなかったのは、一番強い薬を毎日1錠欠かさず飲んでいたことによる副作用で、いつもより長期間抑制剤の服用をやめていても勝手に抑えられていたからである。医者からこの薬を処方されたとき、「Drop(ドロップ)しそうになった時にのみ服用可能です。副作用が強く、一時的に抑制剤を服用しなくても不安を抑えられるけれど、その反動がとても酷くなるから決して乱用してはいけません。」と厳重注意されていたのだ。 「しまった…!」  今は社長の出張に合わせてヒューストン支社に席を置いている。それに今は丁度連休に入ったばかりであり、どこの病院も外来の受付を行っていない。 「っ!…アメリカでPlay(プレイ)可能なバーを探すしかないか」  急激な不安感と焦燥感に苛まれながらも、どうにか近くに店がないか探す。  各国にDomとSubの為のバーは多く、ちゃんと国から認可を受けたPlay可能なバーが点在する。もちろん、客からの評価などは様々だが、基本的にSubへの無体を許さないバーがほとんどであり、Subは安心して行くことができる。Domは勝手にGlareを放つことはルール違反であるし、Subの嫌がることをすると二度とそのバーへの立ち入りを禁じられる。それだけならルールを無視するDomもいるだろうが、バー同士のブラックノートが存在し、複数のバーで出入り禁止になったDomは、そもそもそういう類のバーに入ることさえできなくなる。  そんな、Subにとって安全なバーが、偶然にもこのホテルの近くにあった。徒歩5分の距離にあるそれは、19時からのオープンとの事だ。今は14時。午後から社長は第二秘書のティムと会議に連続で出席するため、葉琉は既にホテルでゆっくりしている時間だった。 「…22時になって人通りが少なくなってから行こう」  今にも暗い闇の底へと吸い込まれそうな葉琉は、どうにか己を奮い立たせる。見た目はDomであっても、こうなっては葉琉も立派なSubだ。外に出て誰かに無理やりGlareを浴びせられ、外で発情するのだけは避けたい。  葉琉はホテルのベッドで静かに丸まり、時が経つのをジッと待った。

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