25 / 87

      第24話

「…え」  起きた葉琉は絶句した。クイーンサイズのベッドで、白いシーツの波に溺れる全裸の自分。そして、そんな自分を後ろから固くホールドする同じく全裸の社長。昨夜、結局社長に美味しく頂かれたのは覚えている。久々の絶頂は強い快感で、社長のテクもかなりのものだと思う(経験人数は2人だけど)。  しかし、本当に良かったのか。社長に惹かれている事は分かっていた。だからこそ、線引きをするために下の名前で呼ばなかったり、社長と二人きりにならないようにしていた。もう誰かを好きになりたくなかったから。でも、もう無理かもしれない。 「…っ」  思わず涙が流れる。俺を離してくれない逞しい腕を少し押し上げながら、声を殺して静かに流れる涙。なぜ泣いているのかも分からない。何か悔しいのか、それとも自分の意思が簡単に曲がってしまった事が悲しいのか。 「…葉琉、なぜ泣いている」  そっと涙を拭う俺よりも太い指に、背中越しに聞こえる寝起きの掠れた低音ボイス。耳を犯されているような気分になりそうで怖い。 「は、なしてください」  吃りながらも身を捩るが、ホールドは強くなるばかり。それどころか、俺の耳元に顔を寄せてくる為、社長の呼吸が直に伝わっていくる。  いつの間にか閉じられたのか、一面ガラスを覆う白いカーテンの隙間から太陽が顔を覗かせる。一筋の大きな光は二人の足元を照らしながら、時間と共にその角度を変える。 「…なんで泣いているんだ」  優しい声にさらに涙が流れそうになる。昨夜、もっと熱のこもった甘い声で愛を囁かれた。それはもうドロドロになるまで。 「百面相しているぞ。…可愛いな、お前は」  ククッと声を漏らしながら笑う社長。どさくさに紛れて葉琉をさらに深く抱き込む。朝勃ちしているムスコを押し付ける形になっているが気にしないあたり、やっぱり社長だな。とどこか遠くの俺がぼんやり思うが、それどころではない。 「しゃちょう!」  寝起きで泣いていた葉琉は、上を見上げて舌足らずな言葉を投げる。その顔は心配になるほど真っ赤だ。 「…可愛すぎるだろ、お前」  急に真顔になり真剣につぶやく社長と思わず見つめ合ってしまう。  この人と出会ったときから、俺の選択肢は一つしかなかったんだろうな…。 「……やっと俺のものになった」 「ちょ、社長のものになった覚えないんですが」 「それ、違うだろ。それともお仕置きされたいか?」 「ちがっ!……紫桜」  さらに真っ赤に照れた葉琉は顔を社長から逸らす。猫を具現化した様な葉琉のその態度に、思わず柔らかい彼の髪を撫でてしまうのは、もう反射だろう。  やっと自分の名前を呼ばせる事に成功した紫桜は、満面の笑みで葉琉の頭にキスをした。  そんな甘々な朝は長く続くはずもなく。  早く日本に帰国して葉琉を囲い続けたい紫桜は、次の出張が長引かない為にも今回のアメリカ出張でかなり前倒しに仕事をしようと言い出した。もちろん、それには葉琉のスケジュール調整が必須である為、イチャイチャタイムはそうそうに切り上げ、二人はヒューストンのオフィスに向かう。  なんで泣いていたのかを問い詰めないあたり、社長は余裕だな。と少し不貞腐れたのはご愛敬だ。 「あれ、ボス。今日の出社は午後かと思ってました」  役員室に現れた紫桜と葉琉に、ティムは仕事の手を止めて思わず目を見開く。昨日の事を暗に言われ、葉琉は顔を赤らめて逸らすが、紫桜は堂々とティムに言い放った。 「葉琉と日本でゆっくりするためだ。そのためにお前にも働いてもらうぞ」  俺様丸出しの社長に、ティムは思わずさらに目を見開きフリーズするが、すぐにいつもの陽気な調子に戻り大爆笑していた。 「葉琉、スケジュール調整頼んでもいいか」 「…もちろんです、社長」  照れてこちらを見ようとしない葉琉に、紫桜は愛しいと言わんばかりの視線を向けて頭を撫でる。昨日まではと確実に甘くなっている二人の関係性に、ティムはもう笑いが止まらない。しかし、やっとくっついたという思いもあり、どこか優しい気持ちにもなった。 「じゃあ社長、これからのパーティは全部葉琉君を同伴するって感じでいいですかね」 「ああ、それで――「ちょっと待ってください」……どうした、葉琉」  名実共にパートナーになった二人。もちろん、パートナー同伴のパーティには葉琉が全て参加するだろうと思っていたし、社長もそのつもりで返事をしようとしたが、それを遮ったのは当事者たる葉琉だった。 「パーティはこれまで通り、参加者リストを見てから参加するかどうかを決めてもいいですか?」 「…理由を聞いてもいいか」 「……」  役員室に沈黙が流れる。  心配そうな表情のティムと、真顔の紫桜。葉琉は二人からの視線が耐えられず、視線を逸らす。 「…分かった。理由はいずれちゃんと教えてくれ。ティム、そういうことだ」 「了解です」  結局は紫桜が折れ、この話は終わった。納得のいっていない紫桜とティム。だが、そこは切り替えて仕事を進めていく。  葉琉も少しだけ頭を下げると、スケジュール調整の為に各方面にメールや電話を入れ始める。基本的に海外とのスケジュール調整が多い社長。必然的にメールや電話は全て英語になっていく。 「社長、そろそろお時間です」  ティムが自分のPCをスリープ状態にし、立ち上がる。時刻はヒューストン現地時間で11時前。今日はロサンゼルス支社のミーティングにオンラインで参加する予定だ。両都市間の時差はヒューストンが+2時間であるため、アメリカにいる間はできるだけ各支社のミーティングにオンラインで参加する様にしていた。 「丁度いい。葉琉、悪いがヒューストン支社の開発部長の所に行って午後の会議に玄頼(ハルヨリ)も参加する事になったのを伝えながら、いつものサンドウィッチランチをテイクアウトしてきてくれ」 「ベーコンの方でいいですか?」 「ああ。頼んだ」  ヒューストン支社の目の前にある個人経営のカフェのランチ。テイクアウト可能なそのお店の日替わりサンドウィッチに最近ハマっている紫桜。ボリューム満点のサンドウィッチと、お店で豆の焙煎から行っているほどのこだわりを持つコーヒー。そのセットがとてもおいしいのだ。ちなみに、ベーコンというのはトッピングの事である。カリッカリに焼いた大きいベーコンをたったの2ドルでトッピングできるのだからお得だ。 「…社長、昨日やっぱり」 「ああ。お前のお陰で助かったよ、ティム」 「いやぁ、まさか興味本位で葉琉君に付けていた盗聴器から、彼のあっまい吐息が聞こえてくるとは思わないじゃないですか」 「分かっているし、それのお陰で葉琉を捕まえる事ができたのには感謝している。だから盗聴器の件は不問にしたんだろうが」 「ありがとうございます」  葉琉が役員室から出ていったあとに行われていたこの会話。葉琉が聞いたらぶち切れ必須だろう。まさか同僚秘書に、いつの間にか盗聴器をつけられていたどころか、自分の恥ずかしい声を聴かれていたのだ。  これでタイミングよく紫桜が葉琉の部屋に来た理由が分かった。 「ティム、あの音声は録音されているのか?」 「え?まぁ、はい。24時間は自動的に録音されてますけど」 「すべてのデータを俺に送り次第、喘いでいるところは全部消せ」 「……」 「ああ、とりあえずこれは返しておく」  紫桜の胸ポケットから出てきたのは、ティムが葉琉に秘書になったお祝いとして送った黒いボールペン。実はそれが盗聴器だったとは知らず、葉琉はいつも持ち歩いていた。  クールに仕事をしている紫桜だが、さっきの発言で絶対に危ない人だ。と認識したティムは、静かにデータを送った。 ―――――――――――――――――――― お待たせしました。 とりあえず紫桜さんはヤバい人確定です。

ともだちにシェアしよう!