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      第27話

 気づくと自分のデスクに座っていた葉琉。姫野女史の言っていた言葉が耳から離れずにいた。葉琉が社長室に戻ってきた頃には、美麗嬢は既に帰ったあとだった。なんでも、今回日本に来た理由は、母の実家に用事があるだけであり、すぐに本国に戻らなければならないとの事だ。  視線をディスプレイから少し外し、気づかれないように社長を盗み見る。無言で仕事を進める社長。美麗嬢が来るまでの甘い雰囲気は一切なく、どこか焦っている様子すらあった。  葉琉は葉琉で美麗嬢と社長の関係がとても気になる。本当に二人が婚約者同士で、自分が余所者だったらどうしたいいのか。だから本気になったらダメな存在だったのに。 「…葉琉、今夜だが―」 「社長、来週からのヒューストン出張ですがおひとりでも大丈夫でしょうか」 「…どういうことだ」  葉琉は一度作業を中断し、社長のデスクの前で少し顔を伏せ言葉を続ける。 「実家の方で少々問題が発生しまして、一度帰ることになりました。お昼の時点で河本室長には有給休暇の許可を頂きましたので、あとは社長に了承いただければ――」 「美麗嬢が気になるか」  自分の言葉を遮る紫桜社長。いつもは怒っていても最後まで聞いてくれるはずの上司兼恋人に、葉琉は驚きを隠せない。さらにいうなら、思わず見てしまった彼の顔は悲しみや痛みを伴ったような苦痛な表情をしていた。 「……いえ。それは関係ありません。それから社長の部屋の合鍵ですが、当分そちらに行けませんのでお返しします」 「葉琉」 「っ!?」  合鍵を返すと言った瞬間、目の前から怒りの乗った強烈なglareが襲い掛かる。どうにか膝から崩れ落ちる事は防げたが、今にも意識を失いそうなほどのglareに葉琉は全力で抗っていた。  そんな部下兼恋人に、さらに追い打ちをかける如くglareを強めていく紫桜。 「っ!しゃ、ちょう!!」 「…すまない」  自分を睨む恋人に、一瞬の感情で酷い事をしてしまったと負い目を感じながらglareを解く。冷や汗を流し、顔色を悪くした恋人に駆け寄りたいがこうなった原因が自分にあることを自覚している彼は、衝動で腰を上げたのはいいが手は空を切った。そしてそのまま走る如く退社してしまった恋人を見つめる事しかできなかった。  会社近くの自宅マンションに帰ってきた葉琉。退社した時、河本室長は何か気にかけてくれるような表情を向けてきたが、気にしている余裕がなかった葉琉は申し訳ない思いでいっぱいになっていた。  アイボリーのシン・ソファに身を投げ出すように横になると、思わず目を覆ってため息を吐く。glareのお陰で高ぶった感情をどうにか落ち着けた葉琉は、変に抑えてしまったが為に自分が不安定になりかけているのもあり例の青いクスリを飲まなければと強く思っていた。 「…もう誰も好きにならないと決めたのに」  過去の傷を思いっきり抉られた葉琉は、久々に泣いていた。葉琉が泣いたのは過去に2度だけ。一度目は幼稚園児の時に飼っていた白猫が死んでしまったとき。二度目は3年前。殆ど泣くことがない自分が、たかが失恋ごときで泣くという事実にも困惑していた。  気になることは社長と美麗嬢の関係ではなく、明日からどんな顔をして出勤したらいいのだろうという焦りだけだった。  ―Prrrrr Prrrrr …  いつの間にかソファで寝ていた葉琉は、深夜1時を過ぎたあたりで掛かってきた電話で起こされた。 「…誰だよ」  こんな時間に葉琉のスマホが鳴ることはないにも等しいので、思わず訝しむ。  着信者は妹の夏輝だった。 「こんな時間にどうした」 『葉琉兄ぃさ、来週暇だったりする?』 「は?」 『来週ね、颯兄ぃと飛結と一緒に北海道に行くんだけど、来ない?』 「…は?」 『ちょっとは察してよ…。とりあえず来てよ!葉琉兄ぃの好きな蟹のしゃぶしゃぶもあるから!!』  それだけ言うと一方的に切ってしまった妹に、葉琉の頭の中は"は?"で埋め尽くされる。  元々来週一週間は書類作業のみで、セキュリティのしっかりしている葉琉のノートPCであればリモート作業でいいと河本室長に言われていた。そのため、別段仕事ができるインターネット環境があればどこでも仕事ができる。  そのことを思い出し、葉琉は気分転換に蟹もアリだな。と思わず口角が少し上がっていた。本人は全く気付いていないが。 ―ピロンッ  軽快な音を立ててスマホが通知を知らせる。  初期背景のままの緑のメッセージアプリは、通知が100件近く溜まっていた。殆どが大学生時代のグループだったり、高校からの親友がカマチョでスタンプを連打したものだったりで、確認するのが面倒とばかりに気にしていない物ばかりだ。  そんな中、一番上に表示されている“夏輝”の所には「美味しい蟹探しとくから、私たちの旅費もよろしくね」と簡素に書かれている。 「…アイツ、旅費は俺持ちかよ」  相変わらずのサバサバ系女子である妹に苦笑しながら、実家にいる時はいつもこうだったな。と懐かしんでいた。 「……蟹を楽しみに明日から切り替えるか」  元々ポジティブ思考というか、楽観主義者である葉琉は軽くシャワーだけ浴び、AM2:00を表示するスマホを充電器にさし、アラームのセットを確認したところでベッドに入った。 ―――――――――― 大変お待たせいたしました。 亀更新になるかもしれませんが、頑張って定期更新ガンバリマス…!

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