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      第29話

 起きるとクスリのお陰か、いつもの自分に戻っていた。もちろん、副作用で頭は重く、身体は気怠くてまるで風邪だが、それくらいなら慣れている。皺になったワイシャツとスラックスをクリーニング用のボックスに放り投げ、自分はシャワーに行く。何となく湯舟は面倒くさかったので、シャワーだけだ。 「…はぁ」  夕食の時間も過ぎている21時を指す壁掛け時計。モダンなデザインの黒の時計は、淡々と時を刻む。  まだなにもやる気が起きない葉琉は、冷蔵庫の中からアイスコーヒーを取り出す。  ―ピーンポーン  コーヒーを片手にソファに座ろうとした葉琉に、来客を告げる音が届く。今日は特に来客の予定はなかったはず。特攻を仕掛けてくる社長も、今は空の上だ。  訝し気に思いながらもインターフォンを除いた瞬間、思わず大きなため息を吐いた。 「…何の用だよ、美智留(ミチル)」  インターフォンの向こう側にいるのは、高校の親友だった佐々原(ササハラ)美智留だった。相変わらず少し濃いめのメイクが似合うキツメの美人は健在のようだ。 『とりあえず入れてよ。寒くて死にそうだから』  心の中で「知るか」と言いつつも、扉の鍵を開ける。 「まだ冬本番じゃないのに、なんでこんなに寒いのかしら。あたしそろそろ冬眠しそうなんだけど」 「そのまま冬眠しろよ。さっきも死ぬほどLINEいれやがって」 「あら、それでも返信してくれないんだもの。それに、スルーするってわかってるやつ相手にあれぐらい普通よ」  ソファに掛けてあった焦げ茶のブランケットを肩の所まで引き上げ、ブツブツ口を尖らせる美智留。キツメとは言え、美女が拗ねる姿は少し可愛い。が、それは女子にであって、美智留にはムカつくとしか思わないが。 「ていうか、なんで暖房付けてないのよ」 「いや、俺さっきまで寝てたし」 「知らないわよ」  さっさとつけて。と女王様が仰るので26℃で暖房をつける。 「ちょっと、なんでこれアイスなのよ。ホットないの?ホットティーかホットミルクが飲みたいんだけど」 「面倒くさい。飲みたいなら自分でやれ。後片付けもしろよ」  自分はソファのスツールに座り、アイスコーヒーを飲む葉琉。 「で、なんだよ。こんな時間に」 「まだ21時よ。…特にこれといった用はないんだけど、久々に顔を見に来たのよ。悪い?」  全く悪いと思っていないであろう美智留のセリフに、高校時代も何かと世話を焼いてくれた美智留を思い出し思わずクスッと笑ってしまう。笑った葉琉を少し気持ち悪そうな横目で見てくる美智留。世話焼きなこの親友は葉琉にとって、特攻をかけてきては"赤の他人"という立場を使って家族に言いたくない本心を曝け出させてくれる親友だった。そんな2人の馴れ初めはまた後日。 「…ありがとな、美智留」 「……」  相当精神的に参っている様子の葉琉に、美智留は無言で何かを取り出す。それは一緒に持ってきていた白い紙袋だった。  中から取り出したのは、葉琉の大好物である築地にある"そらつき"のいちご大福だった。ずんだと粒あんと柚子味がそれぞれ3つずつ。9個のいちご大福が葉琉の目の前に並んでいる。 「…さんきゅ」  元々は祖母がここのいちご大福が好きで、よく祖母と一緒にいた葉琉も自然と大好物になったのだ。落ち込んだ時、いつも祖母と笑って食べていた思い出の味でもあった。  その事をなんの気なしにふと美智留に洩らしたことがあった。特に意図した事ではなかったはず。美智留も和菓子が好きという事を聞いたときに確か話したのだ。祖母に会えなくなった3年前からは、美智留が何かを察して無言で持ってくるようになった。 「…迷っちゃって多いだろうから、夏輝ちゃんたちにもよろしくね」  和菓子以外の甘いものが苦手な葉琉とは違い、甘味が大好きな弟と妹へも買ってきていた。  本当に世話焼きなところはいつまで経っても変わらない。 「さて、好きなの選んで。あたし温かいお茶飲みたいから、ちょっとキッチン借りるわね」  ちゃっかり自分用にゴマ味のいちご大福を買ってきている美智留は、葉琉の方を見ずにキッチンへと向かう。  そんな優しい親友に、葉琉は今美智留が来てくれたことに心底感謝しながら、恐らく温かい前茶を持ってくるであろうことを見越してどのいちご大福を食べようか、幸せな迷いに笑みを零していた。 ―――――― 「そらつき」さんのいちご大福、マジでおいしいですw …まだあるかなぁ。食べたい…。

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