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第32話
「あ、飛結君。キッチンで夫が待ってるわ」
いってらっしゃい。と笑顔で手を振る若菜さん。ちょうどランチ営業も終わったところで、お店の扉には”close”の文字がかかっていた。店内に残っているお客も疎らで、食後の紅茶を楽しんでいる様子だった。
「お、来たね」
「お久しぶりです、浩平さん」
「初めまして。院瀬見颯士です」
キッチンカウンターで紅茶を飲んでいた浩平。颯士も来ることが分かっていたのか、2人分のティーカップが用意されていた。
「そこにどうぞ。...さて、何が聞きたいのかな?」
まるで颯士たちがなにを知りたがっているのか分かるように促している叔父に、飛結は”相変わらず頭がいいな”と言わんばかりの苦笑を漏らす飛結。颯士も促されるまま、カウンターの向かいに腰をかける。
「その、七々扇社長と兄の件で」
「あー、どうやら紫桜は手こずっているらしいね。本当に珍しいことだ」
何かを思い出したような浩平。微笑みが苦笑に変わっている。
「で、あの兄貴はどう葉琉さんに手こずってんの?」
「どうやら本命には手こずるタイプの人間らしい」
浩平のその一言に、飛結は”はぁ?”と言わんばかりの顔をし、颯士は憧れの紫桜の何となく男気のないその人間性が本当かどうか訝しげな表情をしている。
「あらあら、そんなに紫桜さんはヘタレなの?」
「若菜、そういってやるなって」
浩平がオブラートに包んだのに、若菜がズバッと切り捨ててしまう。
「で、紫桜的には今すぐにでもパートナーだけでなく、結婚相手としても葉琉君を囲い込みたいようだ。けど、葉琉君の隠し事が多すぎて、社長として踏み出せないと。で、第2秘書のティムに彼の情報を引き出すように言ったが、あのティムでさえも見つけ出せた情報は紫桜も知っていることだけ」
「...それであのダメ兄貴は躊躇っていると。......思ったよりもヘタレだな」
叔父の説明で密かに憧れていた実の兄が本気でヘタレな事実にショックを受け、憧れの対象であった頼れる社長がまさかの恋愛初心者だと知り、唖然としていた。
「でも紫桜さん、いつもなら多少の障害くらいヘッチャラな人じゃない?」
「...君ね、血の繋がった従兄弟だろう?それでいいのか?」
「あら、繋がってるっていっても、たったの25%じゃない」
相変わらずバッサリと切り捨てる若菜。若菜の母が紫桜の母の妹で、紫桜が愚痴れる数少ない相手がこの西宮夫婦だった。
「...紫桜さんにはできれば早めに兄貴を捕まえてほしいんですけど」
「なにか理由があるのかい?」
「......」
兄の過去を勝手に話してもいいものか、思わず黙り込んでしまう颯士。飛結と若菜は静かに紅茶を飲んでいる。
そんな颯士になにかを感じ取ったのか、考える素振りをする浩平。
「...なにかあるようだけど、勝手に言うわけにもいかないといったところか。....まぁ紫桜を焚き付けてみるかな」
「焚き付けることなんてできるのか?」
「飛結、僕を誰だと思ってるのさ。これでも紫桜よりも強いDomだよ。無理そうなら力ずくでどうにかするさ」
浩平のあまりのいいように、颯士と飛結が絶句する。若菜はわかりきっていたのか、はぁ。と深いため息をついた。
ニコニコと笑顔な浩平。諦めて紅茶とスコーンを楽しんでいる若菜と飛結。颯士は深刻そうな顔をしている。
この男。普段はオーラをしまっているため、BクラスレベルのDomだが実は祖父と同レベルのSクラスのDomである。両親はNormalで浩平は劣性遺伝だったため、両親を含め彼の周りは彼を利用する気満々だった。そんな環境にウンザリしていた浩平を救ったのが、Switchだった若菜だったというのが、2人の馴れ初めだった。
「...兄貴が傷つかないなら、それでいいんですが...」
「それは無理かもしれない。葉琉君はなにか怖がっているのか、もしくは恐れているようだった」
「兄貴のこと、一体どこまで」
「今日初めて会ったし、それ以外は知らないよ。...ただ、さっき料理が来るまでの間、彼は窓の外を見て思い耽っているようだった。なにか悲しい想いをしていた。...それが原因で隠し事が多いんだろ?」
浩平がティーカップを見つめながら独白のように呟く。その話を聞いた瞬間、颯士は思い当たりすぎる葉琉の過去を瞬時に思い出していた。実の兄のせいで彼女は死にかけた。というか、今も眠り続けていた。
「...どうしたらいいんですかね」
今にも泣きそうな顔をしている颯士。飛結はそれを見て見無フリをし、若菜は静かに颯士の側へ行き彼の頭を抱き締める。
「無理に兄のことを話す必要はないよ。それで君が苦しむなら、それはそれで意味がないからね。僕は紫桜君と葉琉君も助けたいが、そのせいで葉琉君の大切な弟が悲しむのは意味がないと思っている」
颯士の瞳に大粒の涙が溜まる。兄の想いを優先させるのか、それとも、兄と紫桜の関係を進展させる方が優先なのか。家族以外にあの過去を一切話したことのない兄に、黙って話していいものなのか。
その時ーー。
ーカランカラン。
「...颯士、そこまでにしろよ。オレはそんなこと望んでない」
外で夏輝と散歩していたはずの葉琉だった。
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