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      第35話

「葉琉じゃないか。久しぶりだな」  少ししてオーナーのリードが笑顔でやって来た。いつもは表の出入り口から来るのに、なぜか今日は裏口から来たようだ。バーカウンターの内側にある裏へと続く扉から現れた。  AクラスのDomに相応しいオーラを纏った彼が入ってきた瞬間、店内の空気が変わる。葉琉とplayしたがっていたSubは瞬時にリードへとターゲットを変え、葉琉のことを若干恨めしく思っていた低ランクのDomたちは圧倒的上位の存在と親しげに話している葉琉には絶対に手を出せないと思い知った。 「お久しぶりです、リード」  コノ同様、オーナーの本名は誰も知らない。それは葉琉も同じだった。  後ろで緩く括られた長髪とグレーの瞳は日本人の色とは多少異なっており、どちらかというと中国人だろうか。  オレは”リード”という名前と30代くらいの見た目から日系二世といったところじゃないかと思っているが。 「敬語は相変わらずか。普通で良いんだけどな」  律儀だな。と呆れながらも楽しそうにお酒を飲んでいる葉琉の様子を見て、リードはニヤケ顔が止まらない。 「仕方ないですよ。これがオレのデフォルトなので」  グラスをリードと交わし、残っていたウイスキーを煽る。 「で、最近はどうなんだ?」 「...順調と言えば順調ですかね」  一瞬暗くなった葉琉の様子にリードはなにか気づいたようだ。だが、それを突き止めようとはしなかった。 「少しでも不安な時は楽しいplayでもしてこい。気に入りそうなDomはいたか?」 「いたら苦労しませんし、こんなところで酒を煽ったりなんてしませんて」  苦笑する葉琉のグラスを回収し、新しいグラスに氷とお酒を入れる。バロン・ オタール X.O.がシンプルなロックグラスに注がれていく。琥珀色をした甘いお酒は、少し離れている場所へもヘーゼルナッツやプラムの華やかな香りが漂ってくる。 「コニャックなんてありましたっけ?」 「葉琉君が好きかなぁと思ってぇ。オーナーが直々に探してきたんですよぉ?」 「...おい、余計なこと言うなって」  コノの密告に思わず素で照れるリード。元フットボーラーらしい逞しい体格のリードが照れると、オスのグリズリーが照れているようでなんだか気持ち悪い。 「あ、リード。ちょっと聞きたいことがあって」 「...こっちにこい」  何気なく言った葉琉の問いにリードは悪い方向の何かを感じ取ったリードは、バーカウンターの横にある個室へと彼を誘導する。完全防音になっているその個室は、表でこのようなバーに来たことがバレたくない高位のDomたちのためのものだった。 「...で、何があった」  確信じみた聞き方をするリード。個室にあるコンプレッサー冷蔵方式の小さめのワインセラーから一本赤ワインを取り出す。 「店内にいるAランクのDom、かなり嫌な感じなんですけど何か知りませんか?」 「...葉琉の左後方のソファに座っていた女か?」  心当たりがあるのか、リードが思い当たる人物をあげる。  確かに、左後ろからの視線が五月蝿かった気がする。 「......名前はエミリア・マルティネス。スペインから出張に来ているらしい。この店には先週から来ている」 「...心当たりないんですけど、かなり恨まれているのか視線がかなり痛いんですよね」 「...なるほどな。別に害があるわけじゃないし、高ランクし優しいからSubたちに人気なんだがな」  どうしたもんかね。と注いだ赤ワインをクルクル回す。  葉琉自身も彼女のことを知らないし、恨まれるような心当たりなんて一切ない。NIIGの方も秘書として精一杯仕事をしているし、特に恨まれるようなことはなかったはず。何より、スペインの会社と取引があるとはいえ、葉琉が誰かと個人的に関係がある訳でもない...はず。 「とりあえず今日はもう帰ります」 「playしなくていいのか?」 「したくてもできませんって」  苦笑する葉琉。少し危ない雰囲気のDomがいる以上、高ランクとはいえSubである自分が敵うかは分からない。今は離れているものの家族に心配かけたくないし、何より仕事に支障を来す訳にはいかない。  今日もクスリを飲んで寝るか。と諦めた葉琉に、リードから思わぬ提案を出す。  ー俺とplayするか?  酔ったのか?いや、でもワインは得意だしそもそもリードは枠だ。  唖然とする葉琉。冗談はよく言うものの、今の彼の顔は真剣そのものだ。最高のDomでオーナーの彼は、客とは一切playすることはないとこの界隈では有名だった。そんな彼が今、自分にplayしないか。と誘っている。 「冗談でもなんでもない。お前が良いならここでやろう。タオルはちゃんとあるから大丈夫だ」  心配することはそこか?と思わず吹き出してしまう葉琉。  そんな葉琉を見て、リードも真剣な顔から少し柔らかくなった。 「お前がそれで楽になるなら、別に構わない。お前には特別な思い入れがあるものでね」 「オレに?どんな」 「それは内緒だ。葉琉とは付き合いも長いし、お前が壊れるのを見たくないんだよ」  いつもの俺様リードは鳴りを潜め、優しい紳士が葉琉の頬を優しく撫でる。真顔であるがオレを見る瞳はとても優しかった。  ーオレでいいのか。  そんな言葉が思わず口から溢れる。  リードは持っていたワイングラスをサイドテーブルへ置き、葉琉の頬を両手で包んだ。 「俺を利用していいんだ」  優しい誘惑に葉琉は躊躇なく飛び込んだ。 ーーーーーーーー 飛び込んじゃいました。

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