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暗黒の寂寥 第39話
何事もなかったカのように進む日常。
葉琉は特に変わった様子を見せることなく、淡々と秘書業務をこなす。それはもう、”いつもとは全く変わらず”。”何事もなかったかのように”。
「兄貴、大丈夫か?」
そろそろ冬が本格化しそうな昼間。久々に休日が重なった実の兄弟は、長男が最近ハマっているミルクティーの美味しいアフタヌーンティーを楽しんでいた。
「ん?特に変わったことはないけど」
甘いものが嫌いだったはずの兄が、今目の前で角砂糖が大量に入ったミルクティーを飲んでいる。前に甘いものにハマったのは3年前のあの事件があったあとだった。最初はショックで味覚が少し変わった程度だと家族は思っていた。しかし、徐々に精神的に崩れていく長男を見た母が、無理矢理精神科に連れていきSub drop 一歩手前だった。
そんな過去を知っている弟は、砂糖が飽和状態になっているミルクティーを美味しそうに飲んでいる兄に危機感を募らせていたのだ。
「...最近は紫桜さんとどうなの?」
「社長?」
何でここで社長が出てくる?と言わんばかりの間抜け面をする兄に、急激な不安が襲ってくる弟。
「特に変わらないけど。変わらず多忙な社長のサポート役に徹している感じだな」
「ふ~ん...」
全然納得していません。と言いたげな颯士。葉琉は疑いの目を向けてくる弟を特に気にした様子もなく、2杯目のミルクティーをウエイトレスにオーダーする。一杯目と同じく、セイロンのミルクティーだ。
「なぁ兄貴、一回ウチに来ない?」
勘当されたも同然の葉琉に向かってそれを知っているはずの颯士がいう。そんなにアホだったか?コイツ。と言いたげな葉琉の表情をみて、颯士は思わず少し吹き出してしまう。
「冗談は休み休み言え」
ため息と共に吐き出すようにいう葉琉。新しく来たティーポットのセイロンをカップに注ぎ、角砂糖を5つとたっぷりのミルクをいれる。紅茶とミルクの対比はほぼ1:1というミルクティーというにはほど遠いものになっていた。
「...それ、美味しいの?」
「ん?まぁ、気分転換にはちょうどいいな」
颯士は聞きながら自分のカップにダージリンオータムナルをストレートで淹れる。満足そうにクソ甘いだろうミルクティーを飲んでいる葉琉を見ると飲んでいないにも関わらず、見ているだけで口の中が甘ったるくなって仕方なかった。
「そういや、夏輝に彼氏ができて親父が狼狽えてたわ」
「なんだ、その面白そうな話。てか、夏輝ももう大学生だろ。父さんの過保護は母さんにだけでいいのに」
「親父の過保護は兄貴にもだけど?」
「息子に過保護になる父親ってどうなのさ?そもそも父さんは結構本人の意思を尊重してくれるし」
それは兄貴に対してだけだから。という言葉は頑張って飲み込んだ颯士。最後に会ったヒューストンでも、会うことが決まった一週間前からソワソワしていたことをこの兄は知らない。それはもう、世界を相手に堂々とした態度と威厳を持つ最高クラスのDomが飼い主を待つ柴犬のようになっていた。
「とりあえず、今週末はこっちで夕食な。料理長たちに兄貴のディナーも頼んどくから」
「だから帰らないってーー」
「大祖父様もこれは了承を得てるから大丈夫だって」
一緒に暮らしていた頃よりも打算的になっている弟に”毒されてるな”と心の中で呆れる葉琉。実家にいるときは裏を読んで会話をすることや、会社の重役、大切なクライアントたちとのディナーに15歳の頃から参加することになっている。葉琉も1年ほど参加していたからよく分かるが、あんな食事会に参加し続けてみろ。打算的にもなる。
「なんで大祖父様が」
一度決めたことに対して意見を変えることなどほとんどない”あの”大祖父様が、実家に帰ることも、家族に会うことも制限した誓約を破るなどありえなかった。というか、葉琉的には今もありえないことだ。
「兄貴も気づいてるんだろ。大祖父様は兄貴に護衛をつけてる」
「護衛という名の監視だろ」
ミルクティーを楽しむ雰囲気は一瞬にして切り替わる。自分の境遇を嘲笑うような、悲しむような複雑な表情をしている葉琉。颯士はその表情を見て北海道のカフェでの兄を思い出し、思わず口が滑ってしまった。
”なんでそんなに絶望したんだ?”
瞬間、颯士は地雷を思いっきり踏み抜いたのを感じた。葉琉はカップをソーサーに戻し、瞳の光は徐々に消えていく。
「あ、その」
「......」
思わず焦る颯士。家族として兄を愛している颯士は、葉琉が堕ちそうになる前になんとなく心の内がザワツクのを知っている。それは3年前に一度体験しているから顕著に分かる。
そして今、少しだけ心の中がザワツキ、胃が握りつぶされているような感覚があった。
「...そうだな。3年前、雛と一緒に買い物を楽しんでいた時にオレは殺されかけた。それを庇って雛は今でも意識がない。雛には相思相愛の婚約者もいたのに...。オレのせいだな」
「それは!...雛姉 の事は、兄貴のせいじゃないだろ」
「オレのせいだよ。雛は大祖父様や一族の最愛だった。何せSクラスのSubだからな。雛と出掛ける時、オレが守るから護衛は最小限にしたのにな」
それは颯士も聞いていた3年前の詳細だった。
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雛ちゃんめっちゃ儚く可愛くしたい。
ちなみに、この時の葉琉君はAクラス判定でした。
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