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      第46話

〈さて、思い出はここまでにして、本題に入ろうか。僕個人としては是非とも一緒にセジウィッグを潰すのを手伝ってほしい。けど、それを表に出して手を組む訳にもいかない。建前とはいえ、僕ら以外に悟られない程度の建前は必要だと思う〉 〈俺個人としては即刻潰せば問題ないと思うけどな〉 〈僕個人も全然それでいいと思う。なんなら今からでも株価を操作したくて堪らないよ〉  薄い笑みを浮かべていたエヴラールとは違い、紫桜は無表情で個人の感情を思いっきり表に出す。エヴラールは笑みを呆れた表情に変え、月を見つめた。 ーコンコン  そんな諦めの空気が漂う部屋に控えめなノック音が響く。ドアの横に待機していたモーリスが薄く開けたドアから体を滑らせて廊下に出た。 〈何かあった?〉 〈奥様が坊っちゃまを連れておいでです〉 〈通してくれ。...悪いね、ちょっと失礼するよ〉 〈気にしないでくれ。よかったら挨拶しても?〉  通してくれと言いつつ、自分でドアまで迎えにいくエヴラール。表情はどこか心配しているような感じだったが、紫桜が挨拶をしたいというと少し考える仕草をするも紫桜の顔をもう一度見ると肩を竦めるに留まった。  廊下には白いシルク素材のルームウェアの上からグレーのガウンを羽織った優しげな男性が、同じ髪色の男の子を抱いていた。 〈ごめんな、エヴ〉 〈いいよ、リーが会いたいときに会いに来てって言っただろう?〉  少しグズっている2歳の息子を腕に抱いたSubらしい華奢な彼の妻は、紫桜を一瞥すると申し訳無さそうな表情を浮かべた。そんな愛妻の腰に柔らかく腕を回し、リードしながら元いたソファに戻ってくる。 〈リー、彼は七々扇紫桜。NIIGの社長だよ。紫桜、こっちは僕の愛しの妻でリーヌス〉 〈初めまして、七々扇紫桜です〉 〈お仕事中に申し訳ありません。リーヌス・オーヴェ・ルモニエです。こっちは息子のアリスティド・セザール・ルモニエ〉  綺麗なシルバーグレーが月に映えるリーヌスと同じ髪色のアリスティド。チラッと紫桜の方を盗み見たアリスティドの瞳は、エヴラールと同じブルーグレーだった。  ゆったりと座っていた一人掛けソファに妻も一緒に座らせるエヴラール。少しギュウギュウな気がしなくもないが、いつもこうなのかリーヌスは特に気にすることなく夫に寄りかかっていた。そんな愛し合っている理想の夫婦を見て、紫桜はいつか自分も葉琉とこんな関係になれるのかと思案してしまう。 〈あ、今彼の事を考えたね〉  そんな紫桜の表情を見て何を思ったのか、悪戯心満載と言わんばかりの瞳をしているエヴラール。リーヌスはそんな夫に呆れていた。 〈愛しい者がいる人がそんな理想の夫婦像を見せられたら誰でも相手の事を考えると思うけどな〉 〈理想だって、もっと人前でイチャイチャしていいってことだよね、リー〉  紫桜の発言に調子に乗るエヴラール。リーヌスは羞恥心で顔を真っ赤にし夫を睨み付けていた。ただし、身長が夫よりも10㎝以上も低いリーヌスは彼を見上げる形になってしまい、必然的に上目使いになってしまっている。もちろん、真っ赤な顔で瞳はウルウルとさせて。 〈...リー、そんな表情していいと思ってる?〉  女性のような白く長い指を愛しい妻の顎に掛ける。瞳の奥にキラリと怪しい光を見せるエヴラールは自分と同じDomがエロい妻を見ている事が少し、いや、かなり気に入らないらしい。紫桜に牽制するような視線を向けている。 「...本当に熱々で羨ましいな」  思わず日本語で呟く紫桜。日本語を話せるモーリスはクスクスと笑いながら紫桜のグラスにウイスキーを注いでくれる。 「こらこら、僕も日本語わかるよ?もちろんリーもね」 「...お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません...」  フランス語よりも少し低くなった日本語で愛妻を愛でる夫。ヨシヨシと頭を撫でられている妻は、恥ずかしすぎて半泣きで顔をエヴラールの胸に押し付けていた。 「Mrs.ルモニエも気にしないで下さい」 「あ、僕の事はリーヌスと。呼び捨てで構いません。エヴが僕とあなたを会わせている時点で、あなたの事は認めているはずですから」 「ではリーヌスと」  グラスを目線の高さに上げる紫桜とニコッと笑顔で答えてくれるリーヌス。後ろから彼を抱き抱えていたエヴラールは、面白くないとばかりに妻のためにモーリスが淹れてくれた紅茶を妻の口許に持っていっていた。 「まぁ、とりあえず今度君の愛しの彼に会わせてよ。そのために僕も頑張るんだからさ」  ウインクしているエヴラール。瞳には悪戯心が満載だ。 「ん~...」 〈アリス、起こしてごめんね〉  会話で意識が浮上したのか、リーヌスの腕に抱かれていたアリスティドが身体を少し捩った。そんな息子を抱き直し、リーヌスは柔らかなフランス語で優しく声を掛ける。 〈場所を移そうか〉 〈大丈夫。もう寝たから〉  ポンポンと背中の辺りをリズムよく叩かれ、母親に抱っこされているのが分かったのかアリスティドはまた眠りについていた。 「そういえば紫桜の番ってどんな子?」 「ああ、しっかり者のようでどこか抜けている天然だな。とにかく可愛いが」 「番の事を可愛いって思うのはDomの共通だろうね」 「あと、貴族が庶民に混じり損なった感じだな」 「......え?あの、その番さんの名前は?」  急に話に入ってきたリーヌスを不信に思うエヴラールと紫桜。普通の日常会話をしていたDomたちは動きが止まった。 「リー、どうしたの」 「あ、その、もしかしたら知ってる人かもって」 「葉琉を知っているのか?」  その瞬間、リーヌスの動きが止まり大きく目を見開いた。かと思えばいきなり大粒の涙をボロボロと流し始めた。  そんな彼を見て慌てるエヴラール。”どうしたの?””どこか痛い?””紫桜を殺そうか?”最後はかなり物騒だが、妻を心配している夫は息子ごと抱き締めた。 〈ち、違う。でも、彼が今幸せならそれでいいと思って。紫桜さん、彼を愛して上げてください。絶対に隠し事をしたりしないで。...それから、ずっと愛してるって言ってあげて下さい〉  号泣するリーヌス。少し聞き取りづらいフランス語をちゃんと理解する紫桜。エヴラールは妻を泣かせた男として今だけは紫桜をキツく睨んでいた。 〈...もちろん、絶対に幸せにします〉  それだけちゃんと聞くと、リーヌスは夫におやすみと言い息子を抱いてまた隣の寝室に戻っていった。

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