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第48話
葉琉の大声で静まり返る病室。強く噛み締めた口からは巻き込まれた唇が血で滲んでいた。
「...葉琉君、本当に何があったんだい」
「......」
安城医師の声にも一切答える気の無い葉琉。
「とりあえず佐々原君、君はもう帰りなさい。面会時間は終了しているし、君には明日葉琉君の荷物を持ってきてもらいたいからね。...たぶん、今彼が入院している事を知っているのは佐々原君だけだろうからね」
「......わかりました。葉琉、弟くんには私の家に泊まっているから心配しなくていいってメッセージ送っておくから。...今日はちゃんと休んで」
面会時間を過ぎた21時。不安そうで悲しそうな顔の美智瑠は最後に葉琉の唇を柔らかティッシュで拭い、帰っていった。
残されたのは安城医師と今だに俯いたままの葉琉のみ。安城医師はベッドサイドにあった丸椅子に座り葉琉をまっすぐに見つめる。
「葉琉君、何があったか私にだけは言ってくれないかな。誰か一人でもいいから君の状況を知っている方がいい」
「......」
「何も無いことを願っているさ。でもね、今の君の状況を見ていると何もないとは言い切れない。これは医者としての、葉琉君を大切に思う大人としての意見だ」
いつも笑顔で話を聞いてくれる安城医師が今は真剣そのもの。
「葉琉君、私は君に幸せを押し付けたい訳じゃない。決してね。でも、一人息子を救ってくれた恩人の君には誰よりも幸せになってほしいと思っている。その幸せが前途多難でも叶えてほしいと思っている。君が傷つきそうな時は私が全力で支えると誓おう。だから少し勇気を出さないかい?」
「......オレに幸せなんて...」
「必要ないなんて言わせない。妻を早くに亡くし、大切な息子を救ってくれた恩人が幸せになる資格がない?それは私や息子に対する冒涜だ。さっきも言ったが、幸せを押し付ける気はない。ただ、その資格は当然ながら持っていると言いたいだけだ」
点滴の繋がった葉琉の左手を少しゴツゴツした安城医師の大きな手が包む。さっきまでの真剣な表情はなく、いつもの暖かい笑みを浮かべた安城医師がいた。
安城医師はガンでずいぶん前に奥さんを亡くしている。病院でもおしどり夫婦で有名だった2人。奥さんが亡くなった時の安城医師と息子さんは見ていられないほどの落ち込みようだった。それから数年後、息子さんの結婚が決まったが相手が世界的にも上位のDomということもあり周りからの圧力で息子さんが押し潰されそうになった。そんな息子さんを友人として支えたのが葉琉だったのだ。
「息子ーーリーヌスもそれを望んでいる。電話するたびに最後の一言はかならず”葉琉は元気?”だ。変わらないと伝えると幸せになってほしいと言っている」
「......リーヌスは元気なんですね」
「ああ。夫であるエヴラールは常にリーヌスの事を気にかけてくれているし、息子のアリスは可愛くて仕方ないそうだ。...そうだ、今度リーヌスに会ってやってくれ。とても会いたがっている」
「.........そうですね」
険しかった葉琉の表情が少し緩む。それを見て多少は安心したのか、安城医師は”また明日”と言い残し病室から去った。
大きな特別病室はベッドサイドの電気だけ付けられ、残りは消された。レースカーテンで覆われた窓の外は静かで暗く、今が夜であることを物語っている。
ベッドサイドのテーブルには葉琉のスマホ。美智瑠が持ってきてくれた充電器に繋がれ、画面を2回タップすると紅茶のカップのロック画面にデジタル時計が写し出される。時刻は21:36。そしてその下には3つの通知バー。一番下は颯士から”無理はしないでゆっくり休んで”のメッセージ。真ん中は仕事用のメールアドレスに届いたメール。そして一番上は着信履歴。履歴は美智瑠が葉琉のマンションに来る30分ほど前の時刻を示している。電話番号は葉琉が登録していない番号。葉琉は険しい顔をしてその番号にショートメッセージを打った。
”今さら何の用だ”
すぐにメッセージが返ってくるだろうと思っていた葉琉。案の定、一言すぐに返ってきた。
”そんなに俺が恋しいか?”
そんな馬鹿げたメッセージを鼻で笑う。
”いい加減にしろ。もうお前らの好きにはできないはずだ”
”ああ。お陰さまでビジネスに支障が出ている。だから取引だ”
”寝惚けたことをいうな。これ以上なにかするならこっちも容赦はしない”
”だから今昏睡状態のオヒメサマを殺すか、院瀬見に復帰不可能なほどの大打撃を与える。それが嫌なら葉琉、お前がこっちにこい。簡単だろ?”
「っ...、あのヤロウ」
最後に送られてきたメッセージに眉間のシワを寄せる葉琉。思わず口が悪くなるが、この場にそれを聞いている者はいない。
メッセージの相手は美智瑠さえも知らない相手。相手を知っている院瀬見の関係者は一応いるが、オレがコイツと今だに繋がっていることを知ると全員が今すぐやめろと言ってくるだろうな。たぶん、大祖父 様は雛の事件以上に大激怒だ。そのことを考えると笑いが込み上げてしまう。
けど、今コイツにすべてを潰される訳にはいかない。もう少しでコイツを警察に引き渡せるから。それまでに犠牲になるのはオレだけでいい。
そんなブッ飛んだ考えを巡らせると、窓の外ではいつもはいないカラスが鳴いた。
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