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第50話
〈あの顔は爽快だったね。もう二度とあの顔を見なくていいって思うとなんて清々しいんだろう〉
〈上機嫌だな〉
〈そりゃね。あー、君がもう少しこっちに残ってくれるならいくらでも話せたのに〉
〈恋人を待たせているからな〉
パーティの翌日、2人はロアシー 空港のVIP専用ルームにいた。
〈会いたいよねぇ、僕もリーに会いたいよ〉
昨日の夜抱き潰した妻はゆっくり休ませたいからとホテルに置いてきたエヴラール。妻と息子を思い出しているのだろう。遠くを見つめてため息をついた。
それと同様に葉琉を思い出している紫桜もやっと会えると言わんばかりの笑みを浮かべる。
〈とにかく、今度日本に行くからその時に会わせてよ〉
〈日本に来るのか?〉
〈そう。お義父さんが日本で医者をしててね。来月誕生日だから毎年GWの前後で日本に行くんだ。せめて一年に一回は会わせたいと思って結婚してからずっと続けているんだよ〉
〈リーヌスの父親は日本人なのか?てっきり母親と同じスウェーデンの人かと〉
〈リーはお義母さんと瓜二つだからね。お義母さんはもうずいぶん前に亡くなっているから僕も会えなかったけど、写真を見るとそっくりで驚いたよ〉
真っ昼間でこの後も仕事があるエヴラールはさすがにお酒は飲まず、紫桜と一緒にコーヒーを飲んでいる。ただし、甘いものが大好きなエヴラールは砂糖とミルクを大量に入れておりもはやカフェオレだったが。
たぶんこのコーヒーを見ると眉を潜めて険しい顔をするだろうな。
甘いものが苦手な葉琉は大量の甘いものを見ると無意識に眉を潜めて険しい顔をする癖があった。その顔を思わず思いだしさらに笑みを深める紫桜。そんな彼を見て、エヴラールはクスクスと声を殺しきれていなかった。
〈それじゃあ、日本に来たときに会わせる。そのときは是非一緒に食事に行こう〉
〈うん、それじゃ、気を付けてね。あ、葉琉君にもよろしくね〉
ソファに座ったままこちらも見ずに手を振るエヴラール。紫桜は振り返りもせず搭乗した。
そんな紫桜を見送り、少ししてやってきたモーリスと共にホテルに戻ってきたエヴラール。真っ白のレースカーテンに包まれたサロンで真っ白なソファに座っていた妻と息子を抱きしめる。
〈お帰り、エヴ。紫桜さんはちゃんと帰れた?〉
〈ああ、大丈夫。それよりリー、紫桜の恋人を知ってたの?〉
〈あー、知ったのは昨日の夜。葉琉って言うんだけどね、2年半前、僕たちが結婚する時僕が1回逃げたことがあったでしょ?その時に僕をエヴの元へ戻る決意をさせてくれたのが葉琉なんだ〉
〈え、それじゃあ僕たちの恩人じゃないか〉
後ろからリーヌスを抱き締めてリーヌスの膝の上で本を読んでいたアリスの頭を撫でていたエヴラール。懐かしそうに話してくれたリーヌスの話に驚いて撫でていた手を止めた。
〈…帰ってきた時どこか吹っ切れた様子があったけど、そういうことだったのか〉
〈父さんと電話する時にどんな様子か聞いてたんだけど、いつも返事は変わらないだったから心配だったんだ〉
〈なんでお義父さんに?日本だから?〉
〈違うよ。父さんが葉琉の主治医なんだ〉
〈主治医って?何かの病気?〉
〈…葉琉はね、とても高位のSubなんだ。でも他人に心を開くことができないからPlayする相手もいない。だから安定剤に頼りきってるの〉
〈それは…〉
アリスの頭を優しく撫でるリーヌス。大好きな葉琉を思い出しながら話していたせいで、隣に移動したエヴラールが何やら真剣な表情をしていることに気づかなかった。
モコモコの白いパジャマを着たリーヌスは同じモコモコ白パジャマを着たアリスを後ろからギュッと抱き締めた。
〈葉琉がね、"抱き締めるとみんな幸せになるから、許されるなら大切な誰かを抱き締めてあげて"って言ってたんだ。何もかも捨てたくなった僕に光をくれたのが、その言葉を言いながら優しく抱きしめてくれた葉琉なんだよ〉
キャッキャと笑いながらリーヌスと戯れるアリス。抱きしめていた手をアリスの脇腹に滑らせ、くすぐられたアリスは身を捩って笑っている。そんな天使たちを守るように横からエヴラールが優しく強く抱き締めた。
〈どうしたの?エヴ〉
〈ぱぱ?〉
不思議と言わんばかりの天使たち。キョトンと同じような顔で自分を見上げる2人に、エヴラールはははっ!と声を出して笑ってギューっと強く抱きしめ直した。
いつもより感情を表に出している夫に驚きながらも、楽しそうなエヴラールの姿にリーヌスは一緒に声を出して笑う。そんな両親を見て一瞬キョトンとするも、つられてキャッキャと笑うアリスティド。
〈そういえば、葉琉くんはなんで他人を信用出来ないの?それにかなり高位のSubなんだ?〉
安定剤の依存性や副作用をよく知っているエヴラールはその事については触れない。かなりデリケートな問題なのは知っているし、例え外科医として最前線にいる義父が、内科の担当であるはずの葉琉の主治医をしている理由も特に聞かなかった。
〈んー、僕も詳しく聞いたわけじゃないけど、前の恋人と何かあったみたい。それから、葉琉は多分この世界でもトップクラスのSubだよ。元々はAクラスだったけど出会った時のランクはS以上だった〉
〈S以上?SクラスのSubなんて世界中で片手に収まる程度だろう?それにランクが上がるなんて〉
そんなことがあるのか。
そんな言葉がエヴラールに飲み込まれる。
Subはランクが上がることはない。それがこの世界での一般常識だ。努力すれば2ランクほど上がる可能性を秘めているが、Subのランクが上がることはこれまでに前例がなかった。
そんな中、元々Aクラスという高位のSubがさらにSクラスになったという。
〈ちょっと待って。でも暗黙の公表ではSクラスのSubはアメリカの資産家の孫娘と大御所政治家の孫息子。中東の王族、それから日本の眠り姫だけのはず。その4人も普通のSクラスだろう?〉
〈でも葉琉は間違いなくSクラス以上だと思うよ。だって他のSubやDomのクラスが見ただけで分かるんだよ?そんな事が出来るSubなんていないから〉
リーヌスの話に動きを完全に止めるエヴラール。都市伝説だと思っていた"見ただけで相手のクラスがわかる高位のSub"の存在が実際に存在していた事実に脳の働きが止まった。
〈ねぇ、エヴ。アリスが眠そう〉
止まったエヴラールにリーヌスは自分の膝の上で眠そうに目を擦っているアリスを優しく見る。
〈そうだね、ちょっとお昼寝しようか。あ、リー。朗報だよ。今度日本に行く時に葉琉くんに会える〉
〈え!ほんと!?〉
〈ああ。紫桜に約束してもらったから会えると思うよ〉
やっと葉琉に会えるって。
上機嫌のリーヌスはアリスを抱き上げながらベットへ行くために立ち上がる。しかしDomであるアリスがリーヌスに頬擦りされている事に嫉妬を覚えたエヴラールは、アリスを横から掻っ攫った。
〈ほら、行くよ。愛しい奥さん〉
ママを取り上げられたアリスはエヴラールの髪の毛を鷲掴みしてグチャグチャにしている。エヴラールはそんなのお構い無しで愛しい妻の腰を抱き、スマートに部屋を出た。
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