「社長、お帰りなさいませ。予定よりお早いお帰りですね」 「ああ、思ったより早く終わってな。通達通りセジウィックとの関係を全て絶て。ルモニエへ移行だ」 「畏まりました」 　NIIG東京本社の秘書課。帰国した紫桜は早速オフィスに来ていた。2週間も早い帰国の社長に嫌味なく清々しい笑顔で対応する室長。午前９時といういつもとは遅い朝だが他の常務や専務は出張でおらず、今は河本室長と紫桜のみだった。 「葉琉は？」 「神代は有給休暇中です。本当は先週までの予定だったのですが、体調不良と連絡があったので今週も有給扱いになっています」 「…そうか」 　社長室で一人になる紫桜。プライベートのスマホを胸ポケットから取り出すと、何の通知もない事を確認し眉間に皺を寄せる。 　そのままデスクの椅子に座ると葉琉のスマホをコールした。 　ーPrrrrr…　Prrrrr… 　しかし何度コールしても相手が出る様子がない。いつもなら3コールで出る可愛い恋人に何かあったのかと不安になってしまう。 「河本、緊急の案件はあるか」 「いえ、特にはございません」 「外出する。何かあれば知らせてくれ」 　お辞儀する河本を背に急ぎ足でエレベーターへと向かう。運転手に葉琉のマンションに向かうよう言うと、もう一度葉琉のスマホを鳴らした。だがやっぱり出る事はない。メッセージを送るも既読すらつかない。朝の紅茶タイムをこよなく愛している葉琉が、9時に起きていないはずがなかった。 　6時半に起きてゆっくり紅茶を飲みながら本を読むのが好きなんです。 　会って間もない時に何げなく聞いた葉琉の朝のルーティン。同棲状態だった時の休日も、紫桜が連れ出さない限り一日中紅茶を楽しみながら興味のある本を読んでいるのだ。 　そんな葉琉が着信に気づかないという状況が思い浮かばなかったのだ。 　合鍵でエントランスのセキュリティを抜け部屋の前に立つ。急ぐ鼓動を落ち着け、インターフォンを鳴らした。しかし出てくる様子が一切ない。 「…葉琉、いるか」 　ドアを開け中に入る。真っ暗な部屋で手探りのように小さく声を掛けた。しかし、葉琉はいない。それもそのはず。葉琉はまだ入院しているから。しかしその事実を知らない紫桜は恐怖に駆られた。 　”愛するSubが消えた” 　その事実に直面し地球の反対側にいるティムにコールした。 『…今日本でｓ――「葉琉が消えた！」――は？』 　すぐに出たティムの声を遮り声を荒げる。冷静沈着とは似ても似つかない主の様子に、最初は戸惑ったティムも何かあったと察した。 『落ち着いてください、ボス。何があったんですか』 「葉琉が消えた。どこに行ったのか調べてくれ」 　アイボリーのソファにドサッと座り、頭を抱えながら一度冷静になろうとする。しかし、玄関からは死角になっていた場所にあるゴミ袋に空いた酒瓶がいくつも入っているのを目にし、更に冷静さを失った。 『ボス、彼がマンションから出たという情報はありません。ですが、佐々原美智留って人が何か情報を持っているかと』 「佐々原美智留？」 『はい。そのマンションの入出データをハッキングしたところ、その人物が最後に彼と会っていた人物です。そのあと葉琉くんが出たという情報はありません』 「…分かった」 　このマンションのエントランスは部屋の主が許可した人物が虹彩認証を登録してマンションに入ることができるようになっている。出るときも同様、セキュリティドアの内側にある指紋認証で開くようになっている。それはこのマンションがDomが愛する番のSubと安心して暮らせるようにと作られたから。 　覚えのある名前を聞き怒りが爆発しかける紫桜。覚えがあったのは、葉琉と恋人同士になった時に葉琉の緊急連絡先が自分が知らない男だと知って嫉妬したからだった。そのまま通話を切り、河本へ電話する。 「葉琉の緊急連絡先になっている佐々原美智留の電話番号を教えてくれ」 『どうかなさいましたか？」 「葉琉が消えた。ソイツが何か知っているはずだ」 　電話を切った後、すぐに河本から一つの電話番号が送られてくる。 　ーPrrrrr…　Prrrrr… 『はい』 　コールするとすぐに相手が出る。 「七々扇だ。葉琉はどこにいる」 『葉琉の恋人さんね。…今は葉琉を不安にしている張本人かしら』 「…葉琉はどこにいる」 『そう凄まないで。今から会えるかしら。葉琉の居場所はその時に教えるわ』 　女性の言葉だが明らかに男性の声がする。そして相手は明らかに余裕がある。さらには自分の愛する人の居場所を知っているという事実に無意識のうちにglareが噴き出してしまう。しかし、キッチンに大切に置かれていたお揃いのマグカップを見て冷静さを取り戻した。 「…分かった。どこに行けばいい」 『中目黒のカフェでいいかしら。私今その近くにいるから』 「分かった。20分でいく」 『先に入っているわ。それじゃ』 　電話を切ると冷静になりたくてソファの上に置かれたクッションに一度顔を埋めてみる。クッションからは葉琉の匂いがした。いつも微かに香るシトラスと柔軟剤の少しだけ爽やかな香りが今の紫桜を落ち着けてくれる。 　２分ほどそうしていただろうか。ゆるゆるだった表情を引き締めて、愛しい彼の居場所をしる唯一の人物に会うために行動を開始した。