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      第52話

「初めまして、七々扇社長。佐々原美智留です」 「…葉琉はどこに?」 「そう慌てないで。ちょっと話がしたいの」  住宅街にあるこのカフェはこじんまりとしており、周りの席とは少し距離がある。森の中を意識したのか、緑豊かな内装だった。  そんなカフェの入り口から見えないボックス席に、美智留の姿はあった。 「話とは?」  すぐにでも葉琉を抱きしめたい紫桜としては、優雅にコーヒーを楽しむ美智留の姿に苛立つ。glareが多少出ているが、美智留は気にせず話をつづけた。 「葉琉の事、愛してる?」 「もちろんだ」 「その事、葉琉にはちゃんと言葉にして言った?」 「…貴女には関係ないと思うが」 「じゃあ社長さんの婚約者って名乗る人が来て、ちゃんとメンタルケアしてあげた?」 「……」  恐らくセジウィックの美麗嬢の事を言っているだろうと当たりを付ける紫桜。テーブルの上に置かれた観葉植物と指で戯れながら一つずつ疑問を投げかける美智留。黙り込んだ紫桜を前に、美智留はこれまでに見せなかった鋭い視線を紫桜に向けた。 「あなたが原因で葉琉が不安定になって今入院しているって言ったらどうする?」 「っ…。それは本当か」 「入院しているのは本当。Sub drop(サブドロップ)寸前の状態になった原因は言ってくれなかったけど、関係しているとは思っているわ」  グッと唇を噛みしめ、膝の上にあった拳も強く握りしめる紫桜。不安定になっていることは自分の胸がザワザワとした感覚があったため知っていたが、まさかSub drop寸前とは思いもしなかったのだ。険しい顔をしているあたり、自覚があるのか。と美智留は呆れる。  七々扇紫桜は高位のDomであるにも関わらず、Subの事を第一に考えている。それが様々なメディアで取り上げられている七々扇社長のイメージだった。しかし、本当に好きなSubに対してはただの男になるんだな。と美智留は感じていた。好きな相手にはカッコいいところだけ見ていてほしいという、男の小さい威厳があったのだ。 「もちろん、それだけだとは言わない。まぁ大半は恋人に隠し事をいっぱいされて必要とされていないんじゃないかっていう不安からだろうけどね」 「…私のせいだな」 「分かっているならちゃんと伝えてくれるわよね?安定剤に頼り切っている葉琉を薬から切り離してあげてほしいの」 「……ああ。葉琉が心から笑えるように傍で支えよう」 「それは葉琉にちゃんと言ってあげて。葉琉って頭は良くて頼りがいがあるけど、抜けてるところがあるし自分にはかなり疎いのよ。だからちゃんと言葉にして言ってあげて」  笑顔で言う美智留。紫桜もどこか抜けている葉琉の姿を知っているので苦笑してこれからの事を考えた。今日は会ってすぐにフランスに行った理由と言い、自分がどれほど葉琉を心から愛していてどれだけ必要としているかを懇々と語る。そのためにフランス土産の紅茶を車に乗せていて正解だったと笑みを零した。  幸せそうな紫桜の姿を前に、美智留もこれから葉琉が幸せになるだろうと思い笑顔になる。しかし、その笑顔も隣のボックス席から姿を現した人物によって目を見開く。 「……美智留さん、今の話はどういうこと」  現れたのは葉琉の実の弟である颯士だった。その後ろには夏輝と飛結の姿もあった。 「あ、颯士くん…、その」 「颯士?なんでこんなところに」  まさかの人物に驚く美智留と紫桜。驚いてはいるものの、二人の驚きは別物だった。美智留は葉琉の入院と状況で嘘をついていたことがバレたと悟ったから。そして紫桜はなんでこんなところに颯士がいるのか。ということだった。 「ねぇ、答えて下さい美智留さん。兄貴は貴方の家に泊まっているって言ってたはずだ。なのに、入院している?美智留さんが言っている名前の”ハル”が別人ならいいんですけど」  嫌味たっぷりに皮肉を言う颯士。かなり切れているのが見て取れる。無意識のglareは美智留に向かっているが、余波で他の客がそそくさと退散しているのが視界の端に写る。店員は戸惑っているものの、飛結がいくらか渡して”貸し切りにして下さい”と言っていた。 「美智留さん!答えろ!!」  いつもは怒鳴らない兄の声に、夏輝がビクッとする。紫桜もどういうことか分からないようで颯士と美智留を見ていた。 「…あなたの兄の葉琉で間違いないわ」 「なんで!本当の事を言ってくれなかった!!まだ自分がざわついているのが気になっていたから、兄貴にメールした。そしたら”美智留の家でゆっくりしているから気にするな”って返信が来た。なのに、は?入院?なんだよそれっ!!!」  泣きそうになりながら叫ぶ颯士。大切な兄が自分に嘘をついていたこともそうだが、信用して兄を任せた美智留にも嘘をつかれていたことに大きなショックを受けたのだ。それは夏輝も同じようで、夏輝に関しては号泣していた。それを飛結が慰めるように大丈夫か。と声を掛ける。 「颯士、落ち着け」 「黙れ!あんたのせいで兄貴が入院した?憧れだったあんただから大切な兄貴を任せられたのに!!!!」 「颯兄!もうやめてよ!」  紫桜に掴みかかろうとした颯士を夏輝が後ろから止める。まるで牙を剥き出して攻撃寸前の虎のようだ。 「ちょっと待て。葉琉は」 「俺の兄貴だよ!神代は養子になったから変わっただけで、本当は院瀬見葉琉だ!俺たち家族にとって、大切な兄貴なんだよ…っ」  訴えるように切実に言う颯士。泣いている夏輝を抱きしめながら自分も涙を流していることを自覚しているのだろうか。  そしてうっすらと葉琉が一般人ではないと思っていたが、まさか院瀬見家の隠れた天才だとは思わなかった紫桜は目を見開いて固まった。  まだ院瀬見家の長男として表舞台にいた頃の葉琉は、既にその才覚の片鱗を見せていた。大人との裏を読む会話を余裕で行い、完璧な笑顔を貼り付けて格上の者と渡り合う。院瀬見家は安泰だ。と周りの人は思っていた。しかし、15歳で Subであることが発覚し彼は表舞台から姿を消した。それからは葉琉の事を”院瀬見家の隠れた天才”と比喩する人が増えたのだった。  仕草がどうも可笑しいわけだ。  どこか納得した紫桜は乾いた笑いを漏らしていた。

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