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      第55話

 紫桜との関係も修復され、葉琉は満足げに美智瑠の持ってきた紅茶を楽しんだ。  結局全員が葉琉の病室で穏やかに過ごし、七々扇兄弟と院瀬見兄弟がさらに仲良くなり瑠偉が正式に息子を頼むと頭を下げた。颯士と飛結はちょっと嫌そうな顔をしていたが、ただ兄を取られるような気がして嫌だったのだろう。夏輝にそれをからかわれて颯士は妹を無言でド突き、好敵手(ライバル)は無言で夏輝を睨み付けていた。  そんな穏やか過ぎる時間はすぐに終わり、夕方前には瑠偉がもう大丈夫だろうと笑顔で帰り美智瑠と飛結、夏輝はこれから仕事があるからと18時ごろには帰ってしまった。  残された紫桜は葉琉のベッドに座り河本から送られてきた仕事を捌き、葉琉はそんな恋人に寄り掛かり上機嫌になりながら本の続きを読んでいた。 「じゃあ葉琉、また明日夜にくる。マンションの鍵はここに置いておくが、退院する時は迎えにくる。...また一緒に暮らそう」 「...ありがとうございます、社長」 「敬語はなしで、呼び方も違うだろう?」 「っ...。ありがとう、紫桜」  帰る前にバードキスを交わし、また恋人に戻ることができた実感が沸々と沸き上がる葉琉。笑顔で帰っていった紫桜をジッと見つめ、次の瞬間無表情に戻った。 「...紫桜...」  無表情で呟く葉琉。その表情に感情の欠片も見られない。  そこに安城医師が私服で入ってくる。どうやら帰る前に様子を見に来てくれたようだ。 「葉琉君、薬の過剰摂取は本当だが、理由は他にあるんだろう?」  いつもの笑顔はなく、真剣な表情でベッドサイドの丸椅子に座りながら聞いてくる安城医師。疑問系とは名ばかりに、確信を得ているような聞き方だ。 「他に理由はありませんよ。気を抜いて過剰摂取してしまっただけですから」 「君の主治医になってそう短くはないし、精神科のライセンスも持っている私にそれが通用すると思っているのかい?」 「...確実に紫桜が原因ではないです」 「それはわかるよ。原因が彼なら、昼間彼が近寄ってきた時に多少の拒絶反応を見せたはずだ。だが、その様子は一切見られなかった」  ニコニコしているが、本当によく見ている医者だ。 「だが、佐々原君が持ってきたノートPCを見た瞬間、顔が一瞬だけ強張った。ほんの一瞬だったがね」  まさかそこまで気づかれていたとは。  お見事を言わんばかりの観察力に思わずため息が漏れる葉琉。ベッドサイドの机にあったノートPCに視線を向け、無表情になった。 「もう少しで終わるんです、何もかも。多分また入院すると思いますが、そのときはよろしくお願いします」  それで話は終わりです。  そう言わずとも伝わったようで、安城医師は一瞬目を見開いたが諦めたようなため息をついていつもの笑みに戻った。 「わかったよ。...けど、また危なくなったら私でもいいが恋人である彼に話すこと。いいね?」  苦笑する葉琉に安城医師は立ち上がり、最後に安定剤の入った点滴を確認して葉琉の頭を撫でる。 「たまには何もかも忘れて彼に甘えなさい。いいね」  葉琉にとって第2の父でもある安城医師は笑って帰っていった。  それから時間が静かに流れる。  消灯時間も過ぎ、葉琉を照らすのはベッドサイドのランプのみ。薄いノートPCにパスワードを打ち込み、メッセージを立ち上げる。 「...まだか」  なにかを待っているような葉琉。求めているものがないとわかると、PCを閉じ眠りについた。  レースカーテンの外は怪しげな赤い雲が西の方から迫っていた。  その頃の西は京都。季節外れの雨がすべての音を遮ろうとしていた。  府内にある由緒正しい料亭では、一人の男性が電話越しに怪しげな会話をしている。 「ほんならそっちは頼むで、リア」 『ええ、もちろん。あなたもヘマしないでね』 「そんなんするかいな。失敗した3年前とは違うんや。次こそは手にいれるで」 『私だって欲しいもの。全力で協力するわ』  その言葉を聞いてニヤリと悪い笑みを浮かべ縁側へ出る。  雨がこちらまでくることはないが、美しい庭園は雨のカーテンと飲み込まれそうな闇に囚われていた。料亭からの光が届くところは美しいが、光の届かない場所からなにかが出てきそうだ。 「失礼致します。お連れ様がおいでどす」  わざわざ女将が伝えに来てくれる。  しかし、それが当然だと思っているこの男は広角をあげただけで何も言わずに部屋へ戻った。 「...お久しぶりです、まさか貴方が私を呼ぶとは思いもしませんでした」 「そら呼ぶで。株式操作をするにはうってつけの人材やん」  現れた女性は黒いパンツスーツを着こなし、黒く長い艶やかな髪を青藤色の紐で結わえている。  そんな女性に上機嫌の男はとっくりに入った冷酒をお猪口へ注ぎ、女性にも進めた。 「いえ、本日は車なので遠慮させてください」 「連れないやっちゃなぁ。まぁええわ」  京都であるのに関西弁を使う男はお猪口にいれた日本酒を一気に煽る。  女性はそれを見るどころか、障子の空いているところから外を眺めた。 「計画通りに進めたいんやけど、どうや?」 「私の方は構いません。いつでも可能です」 「...よぉやっとアイツを手に入れることができるんや。院瀬見を潰し、目障りなオヒメサンを殺すだけや。...自分にも期待しとるで」 「はい」  少しだけ低頭する女性。上機嫌な男はそれを気にすることなく懐石料理を摘まみ、女将に持ってこさせた追加の日本酒を煽った。 「では、私はこれで」 「おお、お疲れさん」  男は女性を見ることはない。料亭から出た彼女はひとつのメールを打った。 ”そろそろ動く”  ただ一言それだけ。  京の雨はいっそう強くなるばかりだ。  

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