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第58話
ワンフロア全てが一つの分譲住宅になっているこのマンションは、エレベーターを降りると目の前に大きな鉄の扉が出迎える。さらに静脈認証させ開いたその先は、葉琉が以前暮らしていたマンションと似た雰囲気だった。床は一面ダークブラウンのウッド調で壁はアイボリーで纏められたシックな部屋。ドアやフレームは黒のステンレス調ではなく床と同じダークブラウン。
リビングは既に家具が揃えられており、6人がけのガラス製ダイニングテーブルとアイボリーのダイニングラグが印象的だが、葉琉はそれ以上に一面ガラス窓の側に置かれたアイボリーのシン・ソファに目が行った。
「似ているか?」
オレがソファに視線を向けていたのがわかったらしい。紫桜は珍しく悪戯が成功したような表情をしていた。
「あれ...」
「葉琉のマンションにあったソファをそのまま持ってきた。もう少し大きくしても良いかと思って、同じソファももう一つ買ったんだ」
通りで前に見たときよりも大きいはずだ。
社会人になって独り暮らしを始める時、最初に決まったのがこのソファだった。ただ一目惚れし名札も見ずに買ったこのソファ。思ったより高くて請求書を見たとき一瞬固まってしまったのを今でも覚えている。
それにこのソファは実家のサロンにおいてあるソファに瓜二つだった。よく母と紅茶を飲んだり雛と昼寝したり、穏やかだった記憶が詰まったソファでもある。
「以前家にいるときはソファかベランダのカウチで本を読んでいることが多いと言っていただろう?だからお気に入りなのかと思ったが...。違ったか?」
固まったまま反応しない葉琉に紫桜の自慢げな表情がどんどん不安に変わっていく。
「...ありがとう。このソファはお気に入りだったんだ。実家にも似たソファがあってさ」
ソファに座り天井を見上げる葉琉。紫桜はキッチンで何かしていると思えば、茶葉の入ったガラスのティーポットと同じくガラスのカップを2つトレイに乗せて持ってきた。
「院瀬見の本邸にこれがあったのか?」
「本邸というか、本邸の敷地内にある別邸なんだけどね。そこに母さんと従姉妹が好きなサロンがあるんだけど、昼寝にピッタリの場所にこのソファに似たソファがあったんだ」
「なるほどな。ここでも昼寝していいぞ?」
「そんな暇あるんだか」
笑顔で呆れたような声音でいう葉琉。そんな恋人のこめかみに紫桜は優しくキスをした。
リビングダイニング全て含めて大体60平米ほどあるこの場所は、吹き抜けになっており内装の位置的には東側に位置する。時刻は14時を回ったところ。リビングダイニングには午後の暖かい太陽が少しだけ差し込んでいた。
「実家にいたのは中学までだったか?」
「ああ。検査をするまでもなく自分がSubだっていうのは分かっていたし、オレ自身も家族を守りたかったんだ。だから子供のいなかった叔父の養子になった」
「それからも家族とは会っているのか?」
「...まぁ、ほどほどにね」
一瞬悲しそうな表情をしたが、ちょうど紅茶が良い感じのタイミングだったためすぐにキラキラと瞳の色を変える葉琉。
紫桜の用意した茶葉はフランス土産の一つで、マリアージュフレールのダージリンティー。深い香りがお気に入りな葉琉は香りから楽しんでいるようだ。瞳を閉じてまるでワインの試飲をするようにティーカップを回したり色を楽しんだりしている。
「どうだ?」
「...これ、マリアージュフレールのダージリンでしょ?父さんがフランスに出張へ行くと必ず買ってきてくれたオレのお気に入りなんだ」
満面の笑みを隣の紫桜に向ける葉琉。純真無垢なその笑みは紫桜からはとても眩しかった。
「さて、仕事だが、まだ復帰しなくて良い」
「え、でも」
「まだ安静にしていることを条件に退院を許可してもらったんだ。まだ復帰は認めない」
「......」
何がなんでも許さないと言わんばかりの紫桜の口調。直属の上司は秘書課室長の河本だが、社長命令となれば葉琉は休まらざるを得ない。しかし元々1週間有給申請していた葉琉。それがさらに入院で仕事をしなかったためどうにかして出社許可をもぎ取りたいと思っていた。
しかし恋人を完全復帰するまでは絶対に無理をさせたくない紫桜は、頑として譲る気などなかった。
「お前は俺が何を言っても無茶をしようとするだろうからな。明日から俺が出社している間は協力者に葉琉の監視をお願いした」
「協力者?」
「颯士と佐々原くんがこっちに来てくれる」
「はい?!」
まさかの人物たちに思わず紅茶を吹き出しそうになる葉琉。
「颯士は大学があるんじゃ」
「飛び級したから8月末までは暇だそうだ」
「...日本の大学に飛び級なんてあったか?」
「無理矢理だそうだ。早く尊敬する兄を越えたいと言っていたぞ」
「っ...」
颯士の思わぬ本音に照れる葉琉。鉄砲玉を食らった鳩のような恋人が可愛くて思わずキスしてしまうのはご愛敬だろう。
「8月末ってことは海外の?」
「そこからは本人から聞いた方がいいだろう。彼もお前に離したくてウズウズしていたからな」
「あ、じゃあ美智瑠は何で?」
何となく颯士のことは納得した葉琉。しかし、美智瑠が監視役を買って出た理由がわからない。そもそもなんで美智瑠と紫桜が連絡を取り合っているのかも理解できない。
「色々乱したからその罪滅ぼしだと言っていたが」
「...アイツのせいじゃないのに...」
罪滅ぼしという言葉にはぁ。とかなり大きなため息を吐く葉琉。入院したことがバレて颯士や父たちを焦らせたと思っているのだろう。あれはオレが美智瑠に黙っているように言ったことが悪いのに。
「気になるなら明日会って本人から直接聞け。いいな」
慰めるように葉琉にキスの雨を降らせる紫桜。今度は意図的に甘いGlareで葉琉を包んだ。
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