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第66話
「おかえり」
「ただいま、葉琉。体調は大丈夫か」
「大丈夫だって。いつも聞く気か?」
21時。帰宅した紫桜はすぐにソファで小説を読む葉琉を後ろから抱き締め、体に異常がないか確かめる。入院中も来たと思えば一言目は「体調は大丈夫か」だった。
もはや口癖になってないか?
「過保護ねぇ。まぁ分からなくもないけど」
ダイニングテーブルで帰りに買ってきたチョコケーキを食べながら美智瑠が呟く。明日の夜は仕事があるからと、食後のお酒はコーヒーに変わっていた。
「夕食は食べた?」
「いや、早く帰りたかったからな」
ジャケットを脱ぎながら葉琉の隣に座り、流れるようにキスを降らす。
「ちょ、邪魔」
読書に集中していたい葉琉はコバエを払うように紫桜を追い払おうとする。それが気に入らなかったのか、紫桜は葉琉を自分の膝の上に乗せると後ろから抱き締めた。
まさかの行動に葉琉は固まるも、顔は見えないが恋人が拗ねているのは分かった。
「...一緒に餃子食べるか?」
「いいね。宇都宮の餃子だろう?観光もしてきたのか?」
「餃子だけ食べて帰ってきたよ。これ読みたかったし」
そう言って葉琉が見せたのは、読みかけのバルザック著作のサンソン回想録。パリの処刑人の話だ。
「面白そうだな」
「読み終わったら感想聞かせるよ」
それだけ言うと本に栞を挟み、キッチンへと向かう。そんな恋人を追いかけるようにスーツのままキッチンへ行く紫桜。口には出さなかったが、颯士と美智瑠は「金魚の糞だな ...」と呆れていた。
冷凍餃子を大きいフライパンで焼きながら、同時進行で玉子スープを手早く作っていく葉琉。その間、紫桜は仕事用のスマホで葉琉の代わりに日本に来ている第2秘書 に連絡しているようだった。
「できた。美智瑠も食べるか?」
「私はいいわ。今日はもう休むわね」
カップとケーキの皿を片付けながら欠伸を溢す美智瑠。
「コーヒー飲んだ直後でよく眠れるな」
「私にコーヒーのカフェインは効かないのよ」
じゃ、おやすみ。とそのままリビングから出ていってしまった。
「兄貴、俺の分もある?」
「あるよ、さっさと座れ」
いぇーい。とまるで子供のように喜び、ホット烏龍茶を淹れる颯士。院瀬見家で中華や油物を食べるときは必ず熱い烏龍茶を淹れるのが恒例になっていたからだ。
「とりあえず着替えてきたら?」
「いや、風呂に入るからいい」
「んっ...」
今生の別れかのようなキスの仕方に顔を真っ赤にする葉琉と満足気な紫桜。餃子でテンションが上がっている颯士は見て見ぬふりでダイニングテーブルの準備をしていた。
ガラステーブルに並んだのは約8人前の焼き餃子と胡麻油で仕上げをした玉子スープ。
「美味しいな」
ネクタイをジャケットのかかっているソファへと投げ捨て襟元を緩めてテーブルに着き、葉琉のタレ皿にお酢と大量の胡椒を入れると何も付けずに一つ餃子を食べる。一人で暮らしていた時は通いの家政婦に食事を作り置きしてもらっていた紫桜からすると、冷凍食品がここまで美味しいとは思わなかったようだ。かなり驚いたような顔をしている。
「最近の冷凍食品は美味しいだよ」
「ま、ここの餃子がそもそも美味しいんだけどな」
兄弟は次々と餃子を食べる。いつも控えめで可愛い恋人がこんなに大食いだとは知らなかった紫桜は、固まって兄弟を見ていた。
「...食べないのか?」
固まって自分を見ている紫桜に葉琉は小首を傾げて聞く。
...っ、それは可愛すぎる...。
紫桜のことに関してはとことん疎い葉琉は、最近ヤンデレを隠さなくなってきた恋人がそんなことを考えているなんて微塵も気づかない。
ただ、颯士だけは冷静に憧れの人を観察していたからか、今夜は兄が殺される と察した。
「あ、兄貴、俺明日の朝から予定入っているから今日は帰るわ」
「そうか。迎えは呼んでるんだろ?」
「誰にも知らせずに一人で帰ったら親父どころか大祖父様にも殺される」
ため息を吐き少し遠い目をする颯士。
院瀬見の直系である颯士は常に護衛がつく。それは院瀬見の人間が資産家であり実業家でもある、俗に言う”お金持ち”だからだ。それが原因で3兄弟が誘拐されかけたのは1度や2度ではない。自分が誘拐されると親兄弟にも迷惑がかかると理解している颯士や夏輝は護衛の存在が面倒だとは感じることはあっても、不必要だと思ったことはなかった。
「...本当は兄貴にも護衛がついて当たり前だと思うんだけどな」
「オレの顔を知っているのは大企業の会長や各国の大臣クラスだ。だからもう護衛は必要ない。...それに、大祖父様の護衛はまだ付いているし、なんなら紫桜もオレに護衛を付けているだろう?」
「......知っていたのか」
淡々と餃子を食べながら言う葉琉に、まさかバレているとは思っていなかった紫桜が餃子を落としてしまう。それと同様に颯士も、まさか兄を追い出した張本人である大祖父が兄に護衛を付けていると思いもしなかったので餃子を皿に落としていた。
「...大祖父様は兄貴が気づいてること」
「知っているだろうな。あの人はそういうとこと嫌なくらい鋭いだろ」
今度は遠い目をしながら葉琉が呟いた。
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