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第81話
翌日、抱き潰された葉琉は午後までベッドの住人だった。そんな恋人に甲斐甲斐しく世話を焼く紫桜。どうやら何から何まで葉琉に頼られるのが嬉しいらしい。終始笑顔で上機嫌だ。
「なにがそんなに楽しいんだか」
久々に連休が取れたからと美智留が久々に会いに来ていた。最初美智留をマンションへ入れるのに不機嫌だった紫桜だが、葉琉が”昨日散々オレの事啼かせたよね?今日くらいお願い聞いてくれない?”と静かに笑顔でキレたことで今美智留はリビングのテーブルで自分の持ってきた手土産の水まんじゅうを楽しんでいる。
「…美智留、オレも欲しい」
「なんでアイツに聞く?」
「ちょ、なんで怒るのさ」
ソファでダラダラ過ごす葉琉は美智留の水まんじゅうをジーっと見つめると、一つ呟く。しかし恋人はそれだけで嫉妬したらしい。眉間に皺を寄せて葉琉の髪を梳いていた手を止めた。
「あー、はいはい。こし餡と抹茶餡があるけど、どっちがいい?ついでにあなたのも持っていくわよ、社長さん」
「両方」
「葉琉のを一口もらおう」
「え、嫌なんだけど」
辛辣な葉琉。本気で嫌な時の眉間の皺に紫桜は嫌々ながら”…緑茶だけくれ。”と葉琉の顔を覗き込みながら言った。
退院後以来、久々に親友に会った美智留は目の前の恋人たちの関係性が少し変化しているのを目敏く感じた。以前は秘書という職業柄もあり紫桜に尽くすことの方が多かった。しかし、今は明らかに紫桜が葉琉に尽くしている。食事を与えるのも、着替えを手伝うのも当たり前と言わんばかりの紫桜。さすがにトイレは葉琉が全力で拒否したそうだが、移動は常に紫桜のお姫様抱っこか正面抱っこだったらしい。寝起き最初に抱っこを拒否したらまたやられた と葉琉が愚痴っていた。
―Prrrr …
ローテーブルに無造作に置かれていた紫桜のスマホが無機質に鳴る。河本に調整を頼み、リモートワークにした紫桜はスマホを睨む。
「…出ないの」
撫でられて機嫌が良くなっていた葉琉は一向に取らない紫桜の顔を見上げる。ソファで恋人に膝枕をし髪を撫でていた紫桜は葉琉のキョトンとした顔を少し見つめると、嫌々ながら電話に出た。
「…なんですか」
松濤の会長かな。
そんなことを目を細めながら思う葉琉。ちょうど美智留がガラスの急須と水まんじゅうを持ってきた。
「お、玄米茶?」
「そう。前茶と玉露もあったから迷ったんだけど、こっちの気分かなって」
「さすが美智留。わかってる」
重い身体を起こし、ガラスのカップへ注がれた玄米の香ばしい香りを楽しみつつ、プルンプルンの水まんじゅうを口に運ぶ。金蝶園総本家の水まんじゅうだ。絶妙な餡子の甘さとちゃんと抹茶が感じられる抹茶餡。独自の配合で葛とわらび粉で包まれた水まんじゅうは葉琉を幸せにさせた。
「…悪い葉琉、少し松濤へ行ってくる。1.2時間で戻るから」
離れたくない。と顔に書いてある紫桜に垂れた犬耳が見える葉琉は思わず苦笑しながら頭を撫でる。
「ちゃんとやること片付けてきて」
「……すぐ戻る」
水まんじゅうの幸せも相まってキラキラの笑顔を恋人に向ける葉琉。その笑顔を見て紫桜は絶対に最短時間で帰ると心に決めた。
「…なんかさらに甘くなったわね、あなたの恋人」
「そうか?」
外出した紫桜を冷たい玄米茶を飲みながら聞く美智留。聞かれた葉琉は特に気にすることなく水まんじゅうに夢中だ。
高校生の頃から和菓子へ夢中な親友は未だに甘味料が少ない和菓子しか食べたくないらしい。美智留がついでとばかりに持ってきた量産型のチョコケーキを見て、盛大にしかめっ面だった。
「そうだ、弟君に会ってないの?」
「颯士?」
「そうそう。最愛のお兄さんが構ってくれないって嘆いてたわよ」
「忙しいから仕方ない。それに、颯士はそろそろ留学だろ?」
「だからその前に会いたいんでしょ」
ふーん。と興味のなさそうな葉琉の反応に美智留はさすがに颯士の事が気の毒になる。
「まぁいいけど。…ちゃんと会ってあげなさいよ。あんなに心配させたんだから」
「……」
水まんじゅうに夢中で反応しない葉琉。そう思った美智留は溜息を吐きながらリビングテーブルに置きっぱなしにしていたスマホを取りに葉琉から離れた。
「それじゃ、そろそろ帰るわ」
「気を付けて。今度は美智留のお酒飲みに行くよ」
22時を過ぎ、世間話や映画鑑賞をして時間を潰していた美智留はさすがに帰った。
「…大丈夫かな」
葉琉個人のノートPCを立ち上げるとすぐに帰るといい6時間以上帰ってこない恋人を心配しつつ、メールのチェックを始めた。
メールの送信相手は京を含め3.4人。登録していないメールアドレスの差出人は西園寺篤孝 で、一週間ほど前にメールが来たかと思うと”初めまして、Mr.K”の宛名。特にバレて問題はなかった葉琉は京を挟むことなく篤孝と今後のことを何度かメールし合った。
「さて…」
京のメール内容は西園寺当主、孝承 氏が政財界や色々な大御所と密会しているというもの。やはり原田副会長の件を揉み消す為に動いているらしい。にもかかわらず、当の本人承世 は未だに繁華街や風俗で遊び歩き、一般人を引っ掛けては捨てるという行為を繰り返しているようだった。
「…そろそろ動くか」
そう呟き、新しいメールを立ち上げる。
”覚悟はいいな。始めるぞ。”
本文にはただそれだけを書き、二人の宛先に送信する。
「……約束を果たせればそれでいい」
まだ戻らない恋人に理不尽な苛立ちを覚えながら、葉琉はノートPCをシャットダウンするとソファに丸まった。
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