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第2話
橘イズミ(23歳/A型)クンは放心して朝を迎えた。
そう。
女装が趣味の橘イズミクンである。
長身の眼鏡の男性こと『恋ちゃん』は朝、目覚めるともう何処にも居なくなってしまっていたのである。
こうなったら一晩だけでも良い…―彼の残した言葉が頭を旋回する。
肌を晒したのはそう暗い場所ではなかった筈だのにあの人は男同士で致してそう抵抗もなさそうであった。
無論、酒の勢いもあったのかも知れない。
女装した男だとバレたら脱皮の如く逃げられるかと思っていたけれども、彼は戦々恐々とするでもなく、ごく自然に受け入れてくれた。
もしかして、疑問を持っていたものの優しさから触れずにいてくれていたのか。
ずっと男の人に手料理を振舞ってみたかった。
それだけで嬉しかった。
女性だったら短大を出て結婚して団地妻になれるだろうが、男だもんでしょうがない。
一時の事だったけれど、嬉しかった。
夢を見れた気がする。
若さにかまけて女装を張り切る度に多くの人を傷つけて来たけれど、昨日、彼に出会えた事によって報われた気がした。
彼の事は好きだ。
好きになってしまった。
一夜の事と割り切れない。
玄関を開けて、目と目が合った時から好きになってしまった。
こんな事は初めてである。
東京上空から下を見たらそりゃ星の数ほど出会いは落ちている。
我々はその一粒に過ぎないであろう。
彼はプレゼントしてくれた大輪の薔薇を『貴方だと思って選びました』と差し出してくれた。
彼はどんな思いで自分を選んでくれたのだろう。
女装ばかりいる僕が純愛ぶるのは可笑しいかも知れない。
でも、大切にしたいものは、やっぱり捨てられない。
恋したい。
恋一郎をもっと好きになってみたいし、好きな事を伝えたいし、一緒にいたい。
***
あれから三か月が過ぎたが、イズミは未だ放心していた。
よりによって妊娠してしまったのだ。
妊娠初期、三か月だ。
何度も検査薬で調べたし、恥を惜しんで産婦人科にも行った。
彼との子以外にあり得ない。
医師からは世紀末(グランドクロスやノストラダムスの大予言)の影響だと説明を受けた。
まさか自分がそうなるとは思ってもみなかった。
処女だったし、そんな一回のセックスでぴったり妊娠するとは驚いた。
子供は産みたいと思っている。宿した命は仮にも惚れた男の子供である。
あの逢瀬を一生胸に抱いて一人で大切にしまっておけば良い。
一晩だけでも自分は好きな男から愛されたのだ。
『恋ちゃん』は此処、新宿・歌舞伎町で動物病院を開業しているらしい。
彼の年齢からしてそれは若い店に違いない。
彼が見つからなかったら見つからなかったでしょうがない。
そして身籠ってしまった事を正直に打ち明けて、拒否されたら拒否された時だ。
『ブーケ』ことイズミは部屋の片隅に飾った額の中のドライフラワー・アートを熱く見た。
それはかつて『恋ちゃん』が選んでくれた薔薇である。
彼は自分を見つけ出して選んでくれた。
ネオンの瞬くこの歌舞伎町の何処かに彼がいるならば、今度は自分が彼を見つけ出す番である。
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