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第十二話 笑覧と妖雲

 雅也の死に顔は美しかった。高く整った鼻梁と切れ長の目尻はなんとくなく章太郎に似て、肉感的な唇と濃い睫毛は千秋が受け継いでいる。  肌は透き通るように白く、生きているときの瑞々しさはない。背が高く、精悍な体躯も棺にすんなりとおさまっている。  背の小さな女性社員に案内された場所は橙色の光が照らされた、冷たいホールだった。四人はちいさく固まって、台車の乗った棺に視線を送る。このあと、雅也は主燃料炉に入れて火葬されてしまう。 「どうぞ皆さま、最後にお別れの言葉をお掛けください」  お別れなんて。なんて言えばいいのか……。眠っているような雅也を裕は唇を嚙んで見下ろす。灼熱のような恋に落ちては自由に愛を貫く。アルファという強いバース性と優秀な頭脳をもち、一緒にいたいと願って添い遂げようと永遠の愛を誓った夫。  これが、俺と雅也の最後。  ……雅也、ありがとう。お前の分まで、俺はがんばる。  小さく柔らかな手を握り、裕はうつむき加減にそっと硬く微笑んだ。 「まだねてる?」 「とーしゃん、ねんね?」 「うん、ばいばいしてあげような。ばいばいて」 「ばいばい」 「バイ、バイ」  三人でいつもと同じように手を振ると、蓋閉めが終わった。  鉄板の扉が静かにひらかれ、真っ暗な闇に棺がはいっていく。闇に白く浮かぶ雅也の顔がみえそうで、二度と帰ってこないような一抹の寂しさが胸に残る。あっ……と思って、駆け寄ろうとしたとき、頑丈な黒い扉は閉じられていた。 「では、またお呼び致します」  はっとして、黙って軽く頭を下げる。裕は踵をかえし、元来た方向へ歩きだす。太郎はなにも言わず、裕の背中を見ていた。  同情してるに違いない。裕はそう思いながらも、窮屈に身をかがめ、二人の幼い手を引いて歩く後ろ姿は物悲しさを帯びていた。  先刻歩いてきた廊下をたどって待合室に到着すると、隣の遺族はすでに潮が引いたようにいなくなっていた。靴を脱がしてやると、二人は遊びの気分に浮き立ってはしゃぐ。裕はそろそろと歩いて、青磁色の座布団の上に腰を下ろすと、疲れが一気に体の隅々までしみわたる。 「裕さん、おにぎり食べましょ。たくさん食べてください。僕が作ったんです」 「え、きみが? てっきり澄江さんかと……」 「えへへ、料理は得意なんです」  太郎がさも嬉しそうに、なにやらごそごそと大きな包みをだす。風呂敷で包まれたものは木製の一段のお重だった。朱内黒で塗られた漆器の光沢は透明なつやをだし、優しい温もりがあらわれていた。  お腹が空いている子供達の手を拭いて、蓋をあける。葬儀場にお重なんて面白いなと思いつつ、なかを覗くと、鮭、梅、昆布、ツナマヨなど様々な種類が一つひとつ丁寧に並べられていた。香り豊かな海苔の匂いに誘われたのか、子供たちも食べる気満々だ。水筒や紙皿も取り出すと、勢いよく飛びつく。 「おにぎり! 鮭がいい!」 「まんま! まんま!」 「あはは、これ、随分多いな。大変だったろ? 朝からありがとう」  まるでピクニックのような子供のはしゃぎぶりに笑いがこみ上げてしまう。久しく外出もしてなかったので、葬儀場でも楽しめるおかしさが悲しみを解きほぐすように染み込んでくる。 「いえいえ、気にしないで沢山食べてください」  太郎も手に取って、四人で黙々と食べた。座って噛んで食べるなんて久しぶりだった。  ずっと走ってる気がする。食べても、寝ても、起きても、誰かに追われているような緊張感がふつりと切れないように。  雅也も逃げ場が欲しかったのだろうか。最後はろくに目を合わせることも、会話を交わすことも少なかった。保育園のプリントですら目を通さない雅也になにも期待しなくなっていた自分もいた。  甘酸っぱい梅肉を噛みながら、大きな太郎をみて、なんとなく雅也のことを思い返す。四人でご飯なんて、いつだ? いや、千秋が生まれてからないな。ない。ちゃんと揃って食べても、裕だけがお茶やおかわりの為に腰を上げてしまう。  でも、家族だ。子どもたちを守るためには走り続けるしかない。  千秋が楽しそうに笑みを浮かべて海苔だけを食べていた。米がこんもりと皿にのっている。 「はい、ご飯もたべよっか」  太郎が新しい箸で千秋の口にむけると、美味しそうに食べて、千秋が顔を崩して笑った。 「……子守り慣れてるな」 「あ、はい! 昔、保育園のバイトをしてて、ちょっとは慣れているんです」  てへへとまた太郎は恥ずかしそうに笑った。  そっか、それで……。 「東雲様、ご準備が整いました」  火葬が終わったのか、また、名前を呼ばれた。

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