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3.奴隷市場
「リオ様、この辺りは危ないですから、わたしから離れないようにしてくださいね。あなたみたいに見るからに美しい貴族様は、攫われでもしたら高く付きますから。わたしの一生分の稼ぎを懸けたって買い戻せやしない」
黒い布で頭をすっぽりと包み、顔を隠したリオの少し先を歩くのは、初老の商人。
闇市場にまで通じている商人を探すことなど、名家の令息にとってはいとも容易いことだった。
これは、アンディに奴隷市場の話を聞いた五日後のことだ。
案内係の商人はランタンを手に提げ、背を丸くして警戒するように辺りを見渡している。
辿り着いたのは、都の中心部の地下深くに作られた広大なスラム街だった。
リオは静かに商人の後ろについて歩きながら、湿った空気に混じる埃と生ゴミを混ぜたような臭いに思わず眉を顰めた。
「奴隷市場はこの先ですよ。まさかリオ様みたいな若い青年が買いに来るとはねぇ」
「おい、あまり名を呼ぶな」
闇奴隷市場。
地上で売られた子どもや罪人を、奴隷として商品にしている悍ましい闇のマーケットである。
リオが日頃生活をしている安全で華やかな地上の都とは、対極の場所。
まさか罪人までもが売られていることには驚いたが、奴隷落ちは死罪よりも重い刑罰にあたるらしい。
「へへ、それは失礼しやした。今日はどんな娘をお探しで?」
灯りのない細い階段を降り切ったところには、重厚な鉄の扉があった。商人が重そうに扉を開けると、中は薄暗く太陽の光など微塵も届かない閉ざされた空間だった。
「そうだな⋯⋯口の固そうな⋯⋯」
扉をくぐれば、それまでとは一変して突然ひんやりとした空気に包みこまれる。寿命の切れかかった裸電球がちかちかと瞬く中、かび臭い通路を壁伝いに歩いてゆく。
何重かの扉を進むと中廊下になっていて、両側には檻の壁が連なっていた。まるで収容所だ。
等間隔に区切られたその監房の中に、ひとつずつ人間の形をした影が見える。
これが、奴隷。
時折、重い金属が地面に擦れるジャラ、という音が暗闇に響く。奴隷の手や足に嵌められている枷のせいだろう。
「ここは罪人どもの檻です。あまり檻の方に寄らないでくださいよ」
見れば、どの檻にも小さなプレードが掛けられている。名前と罪名と、その奴隷の値段が書かれていた。
確かにこんなところでカナリアのようなか弱い女の子を見つけたら、一般的な良心を持ち合わせた人間ならば連れて帰ってあげたくなるだろう。
だが、リオは人助けをしにここへ来たのではない。貴族であるリオがこんなところにまで一人で足を運んだのは、己の欲望を満たすための道具を探すため。それだけだ。
さっさと持ち帰る奴隷を決めて、こんなところから出よう、と思ったその時だった。
どこからか、カメラのレンズが己を狙っているような、鋭い気配を感じる。突然シャッターが切られたような感覚にぞわりと背筋が震えた。
「⋯⋯?」
檻に囲まれた静まり返った空間で、写真を撮る者などいるはずかない。錯覚だ。
それならばこの震えは、一体。
リオは頭を覆う布を取り去り、その素顔を晒して視線を感じる方へ目を凝らした。
灯りのない檻の中にうっすらと浮かび上がる、人間の輪郭。壁に凭れ掛かり座り込んだ男の姿が見えた。
ゆらりと動いたように思ったのは、肩に掛かるほど伸びた漆黒の髪が揺れたからだ。
一歩、檻へと近寄る。
じり。
暗闇の中に見えたのは、まるでレンズで覗かれているような黒い眼光。ぎらりと黒く光る二つの瞳が、真っ直ぐにリオを見ていた。
その瞳に、頭のてっぺんから足のつま先まで捉えられて、フォーカスされている。
ただ見つめられているだけなのに、もう何十枚もシャッターを切られてしまったような感覚に身震いして、リオはごくりと生唾を飲み込んだ。
「⋯⋯この男は?」
「そいつはあれですよ。フリーのパパラッチだった、グレン・オブスクラ」
「グレン・オブスクラ⋯⋯あの王宮のゴシップ写真をスクープした? 死刑になったんじゃなかったのか?」
「えぇ。華やいだ地上の世界から一転、こんな薄気味悪いところで買われるのを待つ人生なんざ、死刑よりも酷です」
グレン・オブスクラ。
その名は記憶に新しい。昨年、リオが住むこの国の絶対的タブー、王宮のゴシップをスクープし、名を馳せた凄腕カメラマンである。 すぐさま王付きの警察に逮捕され、死刑宣告を下された重罪人だ。
彼の記事は瞬く間に国じゅうに広がった。一面を飾った写真は、言い逃れできないほどの決定的瞬間を捉えたものだったことを、リオは鮮明に覚えている。鉄壁の王宮の秘密を暴くなど、並の人間が出来ることではない。グレンのカメラの腕は確かである事は間違いない。
その男が奴隷として市場に売られているなんて、まさに運命の出逢い。
グレンはリオにとって、絶好の人材なのだ。
「さぁさ、リオ様。罪人エリアはもういいでしょう。イイ女なら売るほどいるんで、早く行きやしょ⋯⋯」
「結構だ。僕はこの男を貰う」
薄暗い監房に、瞬くようなリオの声が澄み渡った。
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