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4.主人と奴隷(R)
その奴隷を邸宅に連れ帰ったあと、自室内にある風呂に入るように言いつけ、身なりを整えさせた。
用意した白いシャツ、黒いスラックスに着替えさせれば、奴隷は見違える程に眉目秀麗な男だった。ぼさぼさの黒髪はオールバックにし、無精髭は綺麗さっぱりと剃毛した。
一目には奴隷だなんて誰にも分からないだろう。あとは仕上げを残すのみ。
リオはその男の首に、錫の首輪を回して錠を掛けた。
奴隷には錫の首輪を付けることが、この国の決まりである。首輪には主人の名が刻印されている。それは、その人間が奴隷であること、主人が誰であるかということを知らしめるための証明となる。
グレンの首に取り付けられた錫の首輪には、ちょうど正面に「私の主人はリオ」と刻まれている。
「どうだい、久しぶりの外の空気は?」
「⋯⋯」
グレンは黙ったまま、手首についた枷の痕を撫でて鋭い目線をリオに寄越した。
監房の中で見た時に烏のそれのようだと感じた黒い瞳は、明るい部屋の下で覗き込めば薄い灰色をしていた。
深い黒の瞳孔を囲む、澱の混じるような灰色。リオは、その真ん中に己を映した。
「お前の手足に枷を付けるつもりはない。その首輪だけでじゅうぶんだ。隣の棟にお前の部屋を用意したから、そこを自由に使うと良い。外にも出て構わない。必要なら小遣いもやろう。それから、僕の身の回りの事をさせるつもりもない。僕の使用人は山ほど居るんだ」
矢継ぎ早に説明するとグレンは、ならば一体何の為に? とでも言いたげな表情を浮かべた。
暴力的に拘束するのはリオの趣味ではない。錫の首輪さえあれば充分なのだ。この首輪は奴隷用に開発された特殊なもので、番いになっている鍵がなければ解くことはできない。もしもグレンが逃げ出したとしても、この首輪を外さない限りは警官に見つかり次第必ずここへ連れ戻される。
それに、グレンにはここでの生活を気に入って欲しい。その方が、リオの望む奴隷としての使役を全うさせられるだろう。
リオは頬を緩めて、聖人君子の笑みを見せた。
「さて、と⋯⋯。初めまして、グレン。僕はリオ。今日からお前の主人だ。お前は、僕専用のカメラマンになってもらうよ」
リオは引き出しの鍵を開けて、これまで撮った写真を数枚取り出した。まだ意味を理解出来ずに眉間に皺を濃く刻む彼に近寄って、きゅっと目尻を下げる。
「僕には、悪癖がある」
そう言って、写真の中の淫らな己の姿を赤裸々にグレンに見せた。
「自分で撮るのって難しいんだ。だからお前に撮って貰いたい。僕の、こういう写真」
清らかな笑みを浮かべてグレンにカメラを渡すと、固く閉ざされていた男の口がようやく開く。
「⋯⋯ふは、なるほど。要は、ド変態の欲求を満たす為に俺は飼われたってことか」
「⋯⋯理解が早くて助かるよ。僕のことを罵りたいなら好きにしろ。美しい写真さえ撮ってくれるならなんだって良いんだ。でも忘れるな。お前のオーナーは僕だってこと」
かつ、かつ、と革靴のヒールを鳴らして、グレンの周りを歩いてみる。
すらりとした長身、腕や肩はほどよく筋肉質で、その形の良い体躯がシャツの上からでも見て取れる。監獄の中で筋トレでもしていたのだろうか。
とにかく、これだけの身長があれば俯瞰からの撮影も可能だ。リオの胸が期待に弾む。
「こっちに来い」
言いながらグレンのシャツの裾を引き、誰も招いたことのないベッドへ誘い込む。グレンが膝をついて乗り上げると、二人分の体重を乗せたベッドがぎしりと軋んだ。
「僕の上に乗って⋯⋯、上から撮れ」
か細い手でグレンの腰を煽るように撫でる。リオが静かに背中をシーツに預けると、黙ったまま跨ってきたグレンの冷たい視線が降り注いだ。
己よりも大きな体に跨られる事はリオにとって初めての体験だ。妙に心拍数が上がってしまうのは、これから撮られる写真の出来映えに期待しているからだろう。
「ご主人。お前、見たところまだガキだが、名家のお坊っちゃんだろ。こんな趣味、バレたらどうすんだ?」
男の言葉は皮肉めいているのに、低く掠れたその声はどこか甘くて、耳心地が良い。
グレンを奴隷として買ったのは、カメラマンとしての使役を務めさせるためだけではあるが、もしもこの声で、いつも妄想しているような卑猥な言葉を吐かれたら、と思うと、リオの胸は密やかに高鳴った。
「⋯⋯だからお前を買ったんだよ。お前が口を割らない限り、誰にもバレることはないからな」
ふん、と鼻で笑ったグレンがカメラを構える。ピントを合わせているのか、ピピッという音と共にレンズが前後する。
片手で持つのがやっとだったカメラは、グレンの手の中にある時にはいくらか小さく見える。大きな手がカメラの胴を支え、しなやかな人差し指がシャッターに触れる。
リオの真上から、漆黒のレンズが覗いている。そこに目線を送りながら、一番上まで正しく留められていたブラウスの釦ををひとつ、外した。
カメラがリオを捉える。
煽られているような気分になって、さらにひとつ、ふたつ、ブラウスの釦に指を掛けた。
二人しかいない部屋。
時折ベッドが軋む音と、シーツが擦れる音。
漂う熱。
誰も招いたことのない自室のベッドに、出逢ったばかりの男の侵入を許している。むしろ自ら誘い込んだと言って良い。
ここまで来て、気が狂ってしまったか、と自制しようする自分と、欲望を叶えたい自分が脳内で交差する。
すぅ、と、こちらに向けられている漆黒のレンズを見上げた。
その奥の瞳がこちらを見つめている。監房で感じたような震えが背筋に走る。
この震えは恐怖の類のものではない、とリオは知っていた。
これは、この男の眼差しは、快感に近い。
「撮って⋯⋯」
リオの言葉に応じて、シャッターに触れていた太くて骨張った指に力が込められる。
しなやかに指を動かすその仕草を見て頭によぎったのは、この指に触れられたら、一体どういう感触なのだろう、という事で。
無垢な体が、疼き始める。
カシャ。
シャッターが一度ゆっくりと落ちると、リオの背中に再びゾクゾクゾク、と駆けていく柔らかな震え。
「ん、なかなか良いのが撮れた」
ジジ、と音と共に印刷口から吐き出された写真。まずはその出来を一度確認したグレンが、写真をひらりと裏返してリオにも見せる。
フィルムに浮かび上がるのは、真っ白なシーツの上で衣服を乱して際どく肌を晒した白く美しい体だ。
ピント調整、色調、光の加減、画角、すべてが完璧だった。
「ほんとだ⋯⋯綺麗に撮れてる」
やはりこの男を選んで正解だ。再びカメラに目線を向けて、今度はニヤリと口角を上げる。誘うようにカチャカチャとベルトを緩めて、臍の上までブラウスを捲った。
カシャ。カシャ。カシャ。
連続して撮られる度に、じわじわと性感が昂ぶる。あの淀んだ灰色の瞳がレンズ越しに己を覗いていると思うと、煽っているようで煽られているように感じて、だんだんと過激に肌を晒してしまう。
もっと、近くに寄ってくれないだろうか。
そう思ったさなかに、彼がベッドから下りてしまった。
グレンの重みから逃れたベッドが、ふんわりとバウンドする。
せっかく気分が乗ってきたところなのに、離れるなんて。もっと強く命令すべきなのか、と体を起こそうとすると――
「な、四つん這いになってみてくれよ」
聞き慣れない言葉がリオの耳に飛び込んだ。
「よ、つんばい⋯⋯?」
「撮ったことねえだろ? 撮ってやるよ」
「それは⋯⋯お前の趣味?」
「どうかなぁ」
グレンがファインダーを覗いている。その様子は、奴隷とは言えこのような不純な行為をすんなりと受け入れていて、むしろこの状況を愉しんでいるかのようで。
「なら、一枚だけ⋯⋯」
体勢を変え、腕と膝を立ててカメラの方を振り返る。
「それじゃあセクシーじゃねえよ。胸をシーツに擦りつけて、背中反らせてみろよ」
「なんでそんな乗り気なんだよ。⋯⋯良い写真が撮れるなら良いけど」
「まぁ。元カメラマンの血っていうか。被写体が良いから、俺も腕が鳴る」
その言葉に気分を良くして、言われた通りに上半身をシーツに突っ伏して背中を反らせた。自然と尻が突き上がって、自分が性的にいやらしい格好をしているのだということを自覚する。
「⋯⋯こう?」
「そう。スラックス、膝まで下ろして。下着見せて」
「え⋯⋯!?」
驚いて顔を上げると、カメラを下ろしたグレンが表情一つ変えずに冷徹な目で答える。
「最高に興奮する写真撮ってやるっつってんだよ」
言われるままにスラックスを膝までずり下ろした。上半身をうつ伏せにして、下着が丸見えになった姿勢でグレンの方に顔を向ける。
「そう、シャツもっと捲って」
「⋯⋯これくらい?」
「いいよ。その手、尻に這わせて」
まるでグレンに征服されているような感覚。カシャカシャと音が鳴るほどに高揚して、きゅっと目を瞑った。
自分で妄想しながら撮っていた時には得られない、快感に似たようなぞわぞわとした感覚が身体の内側から沸き上がってくる。
「こっち見ろ」
グレンから指示が飛ぶ。言われるままにのろのろと瞼を開けて、グレンのいる方へ目線を送ると、途端にカシャカシャとシャッター音が鳴る。
「ふ⋯⋯、」
籠った熱い息がシーツに落ちた。
いつもなら、こんな風に体が疼いてしまえば自慰に耽る。だけど、今は目の前に他人がいる。
触りたい。
下半身に伸ばした手を熱の集まっていく前に回して、気持ちよくなりたい。
またカシャ、と音が鳴る。
まるで、「触っちまえ」と煽るようにシャッター音が速くなる。この歯痒さにさえ浸るように、意識がふわりと浮いていく。
カメラのレンズを見つめた。いっそのこと、この男が触ってくれれば良いのに。
そう思った刹那。
「あッ⋯⋯!」
生温かい指先の感触が、内腿を滑っていく。
思わず溢れてしまった己の甘い声に驚いて、慌てて手で口元を塞いだ。
「さ⋯⋯触るのは⋯⋯だめだ⋯⋯」
「はいはい、かしこまりました。触って欲しそうな顔してたのはご主人の方だけどな」
「そんな事⋯⋯!」
図星を指されて言い訳を考えるより先に、二人の間に割って響いたのは扉を叩く音だった。
「リオお坊っちゃま。夕食のお時間です。もう皆様揃われていますよ。どうかされたのですか?」
部屋の外で、使用人のドリーの心配そうな声がこちらを伺っている。
時計を見れば、夕刻六時を回っていた。リオはがばりと起き上がり、乱れた衣服を整えた。
「今日はおしまい。お前は部屋に戻って良い。食事は部屋に運ばせる。明日の夕方三時にまた僕の部屋に来い。夕食までの三時間、今みたいに密撮をする」
言いながら、鏡台の前で髪を梳かし整えたリオは、グレンからカメラと撮影した写真を奪い取りそれを鍵のついた引き出しに仕舞い込んだ。
「仰せのままに⋯⋯おっと、ご主人」
さっさと扉の方へ向かおうとするリオの頬を、グレンの指の背がそっと掠める。不意な仕草に目線を上げると、垂れ下がった瞼の下の灰色の瞳が、じいっとリオを見つめていて。
「⋯⋯何?」
「随分と頬が赤いぜ? ⋯⋯せいぜい、何してたかバレねえようにな」
カァッと熱くなるのを誤魔化すようにグレンの手を払い除け、自室を後にした。
扉の外では、ドリーが一体どうしたのかと不安げな顔をしていた。なんでもないとだけ返してそそくさと食堂へ向かうリオの口角は、愉しげににやりと吊り上がっていた。
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