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7.戯れ

 あの日から四日が経った。  リオはあの日以来、グレンと顔を合わせていない。リオから言い付けた二人だけの午後の約束も、この四日間ずっとすっぽかしている。  使用人のドリーによると、グレンは毎日リオの部屋に訪ねているとのことだったが、体調が優れないからしばらく来るなと伝言を頼み、その間の小遣いとして紙幣を数枚握らせた。  リオはあの日から、午後になるとアンディを誘って慣れない狩猟に出掛けたり、友人の淑女たちとお茶会をしたりして、自室には居ないようにしている。  アンディは久しぶりの誘いを喜んでくれたし、淑女たちも色めき立って談笑の相手をしてくれる。  あの撮影行為よりも興奮する事ではないが、今のリオにはそうする他なかった。  そうしていなければ、自我が保てない。  あの奴隷の目の届かない所に行きたかった。  あれはなにものにも代えがたい程に没頭していた趣味だったのに、あの日以来カメラに手が出せないのはグレンのせいだ。  彼の目に映されると、心臓の脈打つ速さがおかしくなってしまう。彼の手に触れられると、まるで自分が自分でなくなってしまうように、頭も体も制御が利かなくなる。  誰にも晒した事のなかった本能が、欲望が、彼の手で剥き出しにされていく。写真に写る己は見惚れるほどに綺麗な造形物なのに、ほんものの中身は愚かで汚い。  あの奴隷と居ると、それが気持ち悪いぐらいに炙り出されていく。  それなのにも関わらず、グレンを求めて止まない自分が怖くて仕方がない。  グレンという男は、リオにとって毒だ。  もう彼に、自分を見られたくない。  あの射抜くような目に映されたら、またどうなってしまうか分からない。  だから、彼を避けている。  きっとグレンも、変態貴族の趣味に付き合わされずに済んで、今頃せいせいしていることだろう。小遣いを使って、自由で快適な奴隷の暮らしを開花してくれても良いし、このまま隙をついて逃げ出してくれても良い。  このまま、顔も合わせず、名前を呼ぶこともなく。  高い代価を支払って買った奴隷だったが、もう会いたくない。  会いたくない。会いたくない。  そう思えば思う程に、グレンという男の存在がリオの心を占めていく。 ◆ 「リオったら、またうわの空ね」  淑やかな仕草でかちゃ、とソーサーにティーカップを置いたアンヌがクスと微笑う。  ルシーダ邸の応接室では、親しい淑女を呼び集めてのアフタヌーンティーが開かれていた。 「あぁ、ごめん。少し考え事を」 「最近多いわねぇ。リオらしくないじゃない」  そうかな、と貼り付けた笑顔を返すと、ティーカップの中でコーヒースプーンをくるくると回しながら、セリーナが小首を傾げている。   その隣ではアンヌがスコーンにバターを塗り広げながら、何かを思いついたように大きな目を更に大きくした。 「もしかしてリオ、恋の予感かしら」 「まさか。その反対だよ。きらいな奴のことを考えていただけだ」  咄嗟に否定をするが、返ってきたのはセリーナの愉しげな声で。 「まぁ、リオ! それは恋よ。きっと恋だわ」 「セリーナ、聞いてた? 僕は今、きらいな奴って言ったんだよ」  ぎろりとした目をセリーナに向けると、彼女は怯む様子もなくむしろふわりと優しい眼差しでリオを見つめ返す。 「うふふ、でも貴方、二日前のアフタヌーンティーの時も同じ事を言っていたわよ。その相手が同じお方なら⋯⋯」 「嫌よ嫌よも好きのうち、と言うものね」  セリーナの言葉にアンヌが被せる。 「リオの心を射止めたのは、一体どのようなお方なのかしら?」 「それはわたくしも興味があるわね。リオには今までそういった浮いた話がなかったんですもの」 「そうだわ。週末にここで開かれる晩餐舞踏会にその方はいらっしゃるの? 呼んでみたらどう?」 「それは良いわね。是非そうするべきだわ、リオ」  これが恋だ、などと認めた覚えはないのに、二人の中ではすでに恋として話が進んでいってしまった。違うとリオが言っても、二人とも聞く耳を持たずに愉快そうに会話を弾ませている。  拗ねたように口を噤むと、セリーナがうららかな声で問うた。 「それならリオ、その相手のことをきらいだという理由はなんなのかしら?」  やっと話す隙を与えてもらったリオは、決まりが悪そうに胸のあたりを軽く押さえた。 「⋯⋯その人のことを思い出すと、息苦しいんだ。なんだか食欲もなくなるし、いっそのこと目の前から消えて欲しいって思うのに、手離すのは惜しくて、自分でも何がしたいのかよく分からなくなる⋯⋯だから、きらい」  そう答えると、二人は口を閉ざしたままお互いに目を合わせて、もう一度まじまじとリオの方へ目線を戻した。 「「リオ、それを恋というのよ」」

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