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14.淫蕩(R)

 ゆったりとした美しいドレープのカーテンを閉め切った応接室。真ん中の大きなテーブルには商人が置いていった最新型のカメラが何台も並べられ、そのレンズは皮肉にも全てがこちらを向いている。  壁際のスリーシートのベルベットソファに、リオはグレンに後ろから抱き締められる様な形で座っていた。その手は下半身へ伸ばされて、指先はスラックスの上から張り詰めた股間の形をなぞるように動く。もう片方の手は背後から胸元に回され、一番上まで正しく釦の留められているウイングカラーのシャツの上をしなやかな手つきで撫でられる。狙い定めるように胸元を這う指先はわざとらしく乳頭だけを避けるように、突起の周りをくるくると弄んだ。  焦れったさに身を捩るたびに背中に感じるグレンの体温がやけに熱くて、互いの燕尾服の擦れる音を敏感に感じ取る耳。今すぐにでも身に纏った衣服を脱ぎ去ってしまいたいくらいなのに、グレンは決してそうはしてくれない。 「もう、焦らすなよ⋯⋯」  堪えきれずに吐き出すと、背後の男は愉しげに口端を上げる。 「いくらご主人の命令でも、こんなところで⋯⋯なぁ? 本当にいいのか?」  口ではそう言っているくせに、手の動きは止めようとしないから鬼畜だ。命令を下しているのはリオなのに、まるで主導権はグレンにある、この状況。 「部屋の外にはお友達もいるんだろ? もしバレたらどうするんだ、ご主人が本当はこんなにも淫乱だって」  追い詰めるような低い声を耳の中に流し込まれて、体がぴくんと震える。晩餐を楽しむ優雅なピアノのメロディや貴族たちのさざめく談笑の声が遠のいて、すぐそばにあるグレンの体温や声しか感じ取れなくなっていく。 「ん? なぁ、ご主人。それでもいいのか?」  形の良い唇が目前で嗤う。あの夜、キスをした唇だ。何度も妄想していたグレンの声や体温よりも、ほんもののグレンはあまりに生々しく、その存在感に視界が暈ける。指先は相変わらず二つの性感帯をもどかしくいじめてきて、呼吸すらうまくできずに、は、は、と短い息が切れた。  こんな風になってしまうのはグレンの前でだけだ。リオの体が、理性が、こんなにも自分で制御できないほどに爛れてしまうのはグレンのせいだ。きっと彼もそれを分かった上で、この状況を愉しんでいる。  この、二人だけの秘密の共有を。 「お前が⋯⋯口を割らなければ、バレない」 「へぇ。俺がバラさないって自信あるんだな」  ゆっくりと、胸元の指が探し当てるように一箇所をまさぐり始める。せかすように大きく胸を上下させて、その手を誘う。これからこの指にここを蹂躙されるのだと思うと、その期待に喉の渇きが止まらない。  さわられたい。いじめられたい。もっと強く、濃厚に。  舐めて欲しい。キスがしたい。  ――欲しい。この男が。 「だって、お前にはもう⋯⋯行くアテがない。お前には僕しかいない」  それがどれだけ利己的で、グレンを傷つけることになったとしても。  今はただ、この男を縛り付けて自分ものにしておきたい。  グレンは逡巡の後、小さく息を吐いて苦笑した。 「⋯⋯ふは、そうだな。俺にはもうお前しかいないよ」  グレンにはもう、待っている人がいない。あの女性はすでに別の男と家庭を作っていた。グレンの唯一の未練はもう消えたはずだ。  その現実を思い知らせるような言葉を突きつけてまで、この男を所有しておきたいという思いが止まらない。  また一つ、己の愚かさを知る。けれど、快感を与えることを命じられた指先がスラックスのジッパーを下ろしてしまえば、沸き上がるような期待にわずかな理性など押し流されてしまった。 「は、⋯⋯っ、んっ、」  はち切れそうになっていた股間から、グレンの指がリオのペニスを引き摺り出す。下着の中で快感の液を溢れさせていた昂ぶりがようやく解放されて、ふるりと肩が震える。同時に、シャツ越しでも分かるほどにぴんと勃ち上がった乳首を爪の先でかりかりと引っ掻かれて、待ち望んでいた感触に思わず大きく漏れそうになった声を噛み殺した。 「いい子だ、ご主人。声は出さないほうがいいな」  言って、胸にあった指が不意に口元に触れた。リオの唇をなぞる二本の指がその隙間を割り開くようにして、ぐに、と口内に入り込んでくる。 「ん、んぐ、」  人差し指と中指で舌を挟まれて、思うように声が出ない。それをいいことに、彼のしなやかな指が硬くなって腺液を垂らすペニスに絡みついてきて、ゆっくりと握り込まれていく。  あの夜と同じ感触だ。骨張っているのに柔らかなグレンの手のひらが、ぬくぬくとリオのペニスを扱き始める。上半身は清廉な燕尾服のまま、スラックスの前だけを開けて勃起したペニスを露わにしている己の姿があまりにもアンバランスで、その下品さにひりついた欲が溢れて、今にも弾けてしまいそう。 「⋯⋯っ、んぅっ」  悶えるたびに口内の指に舌をぐにぐにと揉まれて、溢れる唾液が止まらない。そうすると指を引き抜かれて、ぐい、と顔をグレンの方へ強引に向かされた。口端から顎に伝い落ちるリオの唾液がグレンの舌で掬って舐め取られていく。その至近距離にはっとして、思わず息を飲む。それなのに、グレンの唇はリオの唇には一切触れようとはしない。 「ん、っ⋯⋯、ど⋯⋯して⋯⋯」  どうしてキスしてくれないの? という想いがすぐ喉元まで溢れるのに、それを口にすることはできない。空いた手はシャツの三番目の釦だけを器用に外してその内側へと入り込み、リオ自身の唾液でぬるぬるになったグレンの指に尖りを摘み上げられる。じんと疼く頂きを濡れた指先でくにくにと捏ねられて、脳から溢れる快感と胸の奥の切なさが体の中で渦を巻く。感じ入っていることを伝えるようにグレンの手の中でペニスが硬さを増していって、昇り詰めていく快感がたまらない。 「もう出ちまいそうだな⋯⋯」  指で作られた輪っかの中で、リオの鈴口は今にも快楽の液が零れそうになってひくひくと息づいていた。胸の中はこんなにも切なさでいっぱいなのに、この体はどこまでも正直にグレンの愛撫に悦んでいて、うんざりする。  時も場所も選ばずに好色に耽って、せっかくの燕尾服だって台無しになってしまう。今更そんなことが脳裏によぎったとき、突然手先の動きが止まったかと思うと背中にあったグレンの温もりが離れていく。  奴隷の首輪を隠すために巻いてやったスカーフを細長い指でしゅるりとほどいたグレンは、それを細く伸ばしてリオの口を塞ぐようにして縛った。  そうしてその体はふわりとソファから床へと下りて、リオの足の間で跪く。 「ん、ぅ⋯⋯、」  状況が飲み込めずに、霞がかる瞳でグレンを見つめていると、力の抜けた腰をぐいとその顔の前まで近付けられて。 「ふ、っ⋯⋯!」  瞬間、睫毛が震える。無意識に抵抗しようとした時にはもう遅く、先走りでてらてらと光るペニスはグレンの口の中へ、すっぽりと飲み込まれてしまっていた。と同時、感じたことのない甘やかな快感が熱を持って走り抜けていく。 「ぅ、ん、んんっ⋯⋯!」  篭った呻きがスカーフの中に閉じ込めらる。グレンの舌が口内で硬くなった竿にぬるぬると絡みついて、それだけでも気持ちいいのに、まるで絞り出すように口を窄めて根元から先端までを何度も往復している。吸引されながら雁首の段差が唇の縁に引っかかるたび、気持ち良さに体が震え上がった。  突き抜けるような快感が、むしろ怖い。逃げようとした腰はグレンの両腕にがっちりと両腿ごと抱え込まれて身動きが取れず、与えられる快感をただひたすらに享受する。  気持ちいい。こんなのは初めてだ。  あの夜だってさんざん知らない快感を教え込まれたけれど、新たな快楽がこの躰を開こうとしている。  手で扱かれる時とはまた違う、弾力のある舌と吸引力のある唇で強弱を付けられながらなぶられて、全身の血流が一気にそこに集まっていく。  ふと見た先、テーブルの上からは何台ものカメラがこちらを向いていて、まるでこのふしだらな行為を撮影されているみたいで、快感が倍に膨れ上がる。 「んぅ、ぅ⋯⋯っ、んん⋯⋯っ!」    ひときわ強く吸われながら、尖らせた舌先に鈴口をぐりりと抉られた刹那、耐え難い快感の波が腹の奥底から精路を駆け昇ってきた。咄嗟に離れようとしてグレンの肩を掴んだのに、その躰はびくりともしない。 「ん、っ⋯⋯ふ、っ⋯⋯!」  びゅくびゅくと勢い良く放たれる精液。それは一度も空気に触れることなく、グレンの喉の奥へ飲み下されていく。その感覚がたまらなくて、快感に身を任せるようにソファの背もたれに背中を預けた。絞られるように吸われると、もう出し切ったと思ってもぴゅくりとまた少量飛び出て、その度に腰ががくんと震える。  そうしてグレンは、ただの一滴すら唇の外へ精液を零さなかった。  最後まで丁寧にペニスに舌を這わせて、じゅぷ、と強い吸引音を立てて唇が離れる。熱にぼやけた視界で見ると、口端についたリオの精液をぺろりと舌で舐め取る仕草が信じられないくらいにセクシーで、目が眩んだ。 「よく我慢できたな、声」  精液を出し切ったリオのペニスを下着の中へ仕舞い、元どおり正しくスラックスのジッパーを上げるグレン。ふわりと立ち上がった彼の大きな手が伸びてきて、リオの髪を撫でる。  でもそれはほんの一瞬で、流れるような手つきで口元のスカーフがしゅるりとほどかれた。ところどころにリオの涎が染み込んだスカーフが、再び彼の首に巻かれる。 「水持って来てやるから、待ってろ」  そして、広い応接室にリオを一人置いて、扉の方へと向かって行ってしまう。  そんな汚いスカーフ、もう巻かなくて良いのに。という言葉も、水なんていらないからここにいてほしい、という言葉も、絶頂したばかりで力の抜けた体では伝えることができなくて。部屋から立ち去っていくグレンの背中を黙って見送った。  どくん、どくんと心臓が鳴っている。射精したはずなのに心音が一向に落ち着かず、むしろ速く大きくなっていく。  それはきっと、グレンに向けられたものだ。  もっと知りたい。もっと触れたい。もっと触れられたい、離したくない。妄想だけで終わらせたくない。  こんなにも生々しく濃厚に、体を曝け出しているのに。すべてが思い通りのはずなのに。  なぜだろう。胸の奥が、ちりちりと痛い。  グレンの心だけが、手に入っていない。  こんな時にどうすれば良いのか分からないのは、やはりリオが人間的に欠落しているからなのだろうか。例えばこれがアンディなら、どうするのが正解なのか分かるのだろうか。そんな考えを思い巡らせて、リオは小さく嘆息した。  そもそも、アンディがこんな不品行なことをするはずがない。あの誠実な青年は、カナリアという少女の自由のために大金を払ったのだ。  欲望のままに使役するため、グレンから自由を奪ったリオとは何もかもが違う。グレンの心まで手に入れたいだなんて望んでしまったこと自体、どうかしているのだ。  心底、愚かしい。  しばらくして、グレンが水の入ったデキャンタとグラス持って部屋へ戻って来た頃には、リオの顔にはいつもどおりの貴族の仮面が貼り付いていた。 「お前は部屋に戻って口を洗ってこい。ドリーに代わりのスカーフを持って行かせる。着替えが済んだらすぐに戻れ」 「ご主人は?」 「僕は商談を続ける。次の客も到着しているはずだ。次の客はお前がいなくてもいいから、終わるまで応接室の外で待っていろ」 「⋯⋯大丈夫なのか?」  締め切った応接室、熱く篭った空気。リオの火照った頬。その全てが、ここでの情事を物語っている。  だが、応接室の大きな窓を全開にすれば、換気くらいはすぐにできるだろう。心配ない、とだけ返して、乱れた髪や襟元を正す。  不意に伸びてきたグレンの手が、リオの顎をクイ、と引き寄せて。 「⋯⋯なに?」  じっと顔を見つめられる。  普段は乾いたグレンの唇が瑞々しく赤く色づいているのは、先ほどのいやらしい行為のせいだ。  本当はもっとこの唇に甘やかされていたい。浸っていたい。  けれど、それを求めれば求めるほど、まやかしの快楽ばかりが手に入って惨めになってしまう。  き、と眉を顰めてグレンを睨みつけると、その手はそっと離された。 「いいや、なんでもねえよ」  グレンを送り出して、それと交代するように数人の使用人を応接室へ呼びつける。テーブルに出されたカメラを片付けさせ、換気を行なって次の来客の準備を整えた。  次の客人は、確か毛皮の商人だ。大して興味もないのに、体裁のために招いた客。  そうして新たな商人を応接室に迎えたリオは、清く美しい燕尾服を纏い、先ほどまでの淫らな情事など微塵も感じさせない笑顔を浮かべた。  華麗な貴族の仮面の下に、グレンを求めて切なく疼く心を隠して。

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