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16.告白

 どさりとベッドに下ろされて、勢いのままに背中を預けると、先ほどのマティーニのせいでグレンの影が二重になって映った。裸電球のオレンジの明かりが眩しくて、余計に視界が霞んでよく見えない。微かに煙草臭いのは、狭いこの部屋の窓を閉め切ってしまったせいだ。  ここは、グレンの部屋。いつだったか、彼が留守の時に無断で侵入して、その後何度もこの部屋で犯されるところを妄想した。  グレンを好きで、でもどうしようもなくて、せめて妄想の中でだけでも求められたくて、愛されたくて。  アルコールに酔った頭でそんなことを思い巡らせていると、ぼやぁ、と暈ける視界の中でグレンはベッドに腰を下ろして、デキャンタからグラスに水を注いでいて。 「お前がさっき飲んだマティーニ、クスリが盛られてた」  言って、ほら、とグラスを渡される。思いも寄らない言葉に驚いて、のろのろと上体を起こしてちびりと水を飲んだ。 「……クスリ? そんなもの、誰が……」 「さぁな。周りにいたあの貴婦人さんの友人か、召使いってとこだろうな」  ふわふわと浮きそうな頭で少しずつ理解していく。やはり、たった一杯のマティーニでこんなにも酔うはずがない。これがマティーニに混ぜられたクスリのせいなのだとすると納得だった。ここ最近、この国に裏ルートで出回っているラブドラッグの類だろうか。要は、血液促進や幻夢を見せる作用のある媚薬だ。 「あれぐらいの量、下流階級の俺にはなんてことねえよ。もっとヤバイ葉っぱがそこら中に生えてたからなぁ。ほっときゃいいのに、なんでお前が手ぇ出すんだよ」  全くその通りだ。グレンのことなんて放っておけば良かった。  だけど許せなかった。少し目を離した隙に、知らない女と酒を飲み交わしていたグレンが。 「だって、⋯⋯」  うまく言えなくて口籠った時、二人分の体重を受け止めたシングルベッドがぎしりと軋んだ。  ゆっくりと押し倒されていく。シーツに染み込んだグレンの残り香とグレン本人の匂いに挟まれて、全身の細胞が内側からぎゅうっと掴まれるような感覚に陥った。  薄暗い部屋の中、ひとつしかない電球がゆらゆらとグレンの顔を照らしていて。揺らめく視界の中、だんだんとグレンの姿に焦点が合わさる。見上げた先のグレーの瞳は、重く鈍く光っていた。 「ご主人。お前、ほんと危なっかしくて目離せねえな」  それはこっちの台詞だ、ばかやろう。  そもそもグレンがいけない。商談を終えて応接室から出たら、きっと一番近くで待ってくれていると思っていたのに、グレンは遠く離れたところで女たちに囲まれていた。目を離すなという、リオの命令を無視したのはどっちだ。  応接室でのことだってそうだ。確かにリオの命令通りの事をグレンはしたのかもしれないけど。でも。キスをしてくれなかった。  それなのに、女たちとは命令でもなんでもなく愉しく酒を交わせるのだ。  それがどうしても気に入らない。  もうグレンには求めない、愛されたいなんて望まない、と決めたのに、グレンが自分以外の誰かを見ていると思うと、吐き気がする。泣きたくなる。  頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。アルコールと媚薬と、自分を惑わす男の匂いのせいで。気持ちの整理が付かない。言葉がまとまらない。けれど、抑えておくことも出来ない。 「ぜんぶお前のせいだろ!? 僕だけ見てろって言ったのに⋯⋯なんで⋯⋯他の女ばっかり見やがって⋯⋯!」  勢いに任せて吐き出した。口から飛び出したのは、隠していた本当の本音だ。  最悪な気分に潰されそうになっていると、意外なことにグレンは数度瞬きをして、叱られた子どものように小さくなった。 「あー⋯⋯それは……、俺が悪かった。ちゃんと応接室の前で待ってたんだが、あの女が突然目の前で気を失っちまって」  決まりが悪そうにこめかみを掻きながら、ゆっくりと話すグレン。 「介抱してやったら、そのお礼に飲めって。もちろん断ったが⋯⋯」 「⋯⋯それで?」 「招待客の貴族の誘いを召使いが断るのは、お前の顔に泥を塗るのと同じだっていうから、仕方なく」 「馬鹿⋯⋯、そんなの嘘に決まってるだろう」 「まぁそうだろうと思ったけどさ。貴族様のルールなんざ俺にはわかんねえし。さっさと終わらせるつもりが、あの女すげえ酒強くて結構長引いちまって⋯⋯」  カレンが想像以上に巧妙な手を使っていて驚いたが、気に入った男を是が非でも手に入れようとするその精神の逞しさには目を見張るものがある。リオには到底できないことだ。  不意に、長い指が伸びてくる。目にかかっていたリオの前髪がふわりと掻き分けられて。 「お前のこと待っててやれなくて⋯⋯ごめんな」    そんなふうに素直に謝られてしまっては、煮立っていた苛立ちがあっという間にしゅるると収まっていく。我ながら単純細胞だと思いながら、頭の中でばらばらに散らばった気持ちの欠片を拾い集めた。  グレンがエリサという女性を見ていた目も、貴婦人のカレンを見ていた目も、本当は羨ましくてたまらなかった。その目が自分に向けられなくて当然だと、どこかで分かっていたからだ。  グレンが恋をするのなら、きっと自分ではなくこういう女性たちだ。  リオは権力でしか、その瞳を占領できない。その心を、手に入れられない。  これは、この気持ちは、醜くて救いようの無い嫉妬だ。 「ちゃんと、僕だけを見て欲しかったんだ⋯⋯」 「見てるよ、ご主人。俺の主人はお前なんだから」  グレンの主人はリオだ。  何もかも、リオが金で作り上げた。  思い通りになる奴隷を、そばに置いた。  けれどそれが、こんなにもこんなにも、胸を苦しめることになるなんて。 「ちがう、主人としてじゃない」  言ってしまったら、どうなるのだろう。この想いを。奴隷に恋をした主人だなんて、笑い者だろうか。こんな想いを口にしなければ、せめて妄想の中だけでも愛されたままでいられるのに。  どうすればグレンの瞳を独占できるだろう。どすればグレンの唇を、グレンの体を自分のものにできるだろう。一体どうすれば、グレンの心を手に入れられるのだろう。  きっと、出来ない。  グレンが従順な奴隷である限り、リオが主人である限り、どれだけ金を積んだところで一番欲しいものだけ手に入れられない。  それならもう、いっそのこと――  グレンの首に両手を回した。しゅるりとスカーフをほどき、その下に隠された首輪がひやりと指先に触れる。  びく、とグレンが動いたのも躊躇わずに、ゆっくりと錠を開ける。錫の首輪がリオの頬を掠めてシーツの上にゴト、と落ちた。  これがどういう意味なのかを知って欲しい。  そして、見て欲しい。主人としてではなく、ひとりの男として―― 「僕を、見てよ⋯⋯」

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