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第3話

 脈を取り、口の中や舌を見て、西洋医学の先生のように聴診器は使わなかった。 「どうでしょうか、先生」  銀有が尋ねると、「今のところ、特におかしなところは見受けられません」と一之介が言った。  しろはほっとすると同時に、落胆もした。どこか悪いところが見つかることを期待していたのだ。どこが悪いかわかれば、治療法があるかもしれない。もしくはないかもしれない。諦めがつかない宙ぶらりんの今のような状態が、一番つらかった。  一之介の発言にしろが落胆したのが、見ている琅一にも伝わったのか、闇色の眸が睨んできた。琅一に凝視されると、しろはどこか落ち着かない気持ちになった。半裸になり、背中や腹を見せ、脚の裏まで見られたが、原因は一向にわからなかった。それをじっと食い入るように見ている琅一の目が、やけにしろをそわそわさせた。  まるで自分が悪いような気になり「ごめんなさい」と言うと、一之介は笑って、「大丈夫ですよ。謝ることはありません」と言ってくれた。琅一が闇なら、この一之介は日向だった。ほかほかと心が温かくなる。 「すみま……ありがとう、ございます」  しろが頭を下げると、「身体を診るついでに、清拭してしまいましょうか」と一之介が琅一を振り返った。湯を所望した一之介の指示に、琅一が銀有に伴われて一時、席を外した。 「こちらこそ、すみません、しろさん」 「え?」  一之介としろが二人きりになると、やにわに言われた。 「あれが無愛想なのが気になったのでしょう? 私からよく言って聞かせます」 「いえ……!」  一之介の言葉が図星だったのに驚いて、しろはぱっと顔を上げた。 「こほっ、その、おれは、ずっと臥せっていたので、同い年ぐらいの子が珍しくて。悪気はなかったんです。……ごめんなさい」 「いえいえ。十の時から私について回っていますが、愛想というもののない子で。後々苦労するから笑うぐらいしなさいと教えても、どうもうまくない。男手ひとつで育てたのが悪かったのか」 「男手?」 「あれの母は、子を産んですぐに流行病で亡くなったのです」 「そう……ですか」  しろも母を亡くしているから、少し親近感が湧いた。  そのうち、桶に湯を持った琅一がきて、「身体を拭いてあげなさい」と言う一之介の言いつけに従い、しろの傍らに座った。琅一に痩せこけた貧相な肌を晒すのは恥ずかしかったが、大人しくしていると、温かな手ぬぐいの感触が背中にした。  同時に、ぴりっと小さく裂けるような感触がして、ぽとりと何か軽いものが布団に落ちた。 「?」  見ると、ところどころ半透明なところのある、華奢で清楚な感じの白い花びらだった。ぽとり、ぽとりと琅一の触れたところの肌がこそげるようにして、花びらが落ちる。それを見た一之介も琅一も、そしてしろも、どこから迷い込み落ちてきたものかと庭を見上げたが、風も何も吹いていない。ただ、銀有だけがわなわなと震えはじめた。 「これに、心当たりがおありか?」  一之介が尋ねると、銀有はその場に崩折れた。 「おお……!」  唸ると同時に、ぐずっと鼻を啜った。 「この子の母親は……千影はお産で命を落としました。この子が生まれた時、白い花びらに全身を包まれていたと……、だが私は信じなかった……! まさかこんなことが……、この子は死んでしまうのですか、先生……!」  むせび泣く銀有を横に、一之介は眉ひとつ動かさず花びらを拾うと、匂いをかいで、色を見た。純白の、ところどころ蜻蛉の羽のような半透明なところのある繊細な花びらだった。 「落ち着いてください」  一之介はそれを陽に透かして見ると、確信のこもった声音で言った。 「少し試みたいことがあります。銀有さん、席を外してはいただけますまいか」 「親の私が席を外す必要がある治療なのでしょうか?」  銀有の滲んだ声に、一之介は首を横に振った。 「いえ、このままでも結構です。治療ではありません。しろさん、琅一に触ってみてくださいませんか。その肌に」  言われて傍らを振り返ると、一之介の言葉に琅一はするすると諸肌を脱いでみせた。  均質に筋肉の付いた、まだ細いがきれいな木肌のような身体。ぺたぺたと筋肉質な、バネのある肩のあたりを、しろはまるで吸い込まれるようにして触った。触れながら、どこか恍惚とした表情を浮かべるしろに、何を思ったか琅一が一瞬、身を引いた。  はらり、ぽとり、としろの掌の、琅一に触れた場所から落ちる花びらに、銀有は驚き、狼狽した。 「これは……これは一体、どこから」  震える声で銀有は懐を探ると、小さな桐箱を取り出し、絹の布に包まれた、色あせた花びらを一之介に向かって見せた。 「こ……この子が生まれた時に包まれていた花びらが、今もこのように」  まさか父がそんなものを後生大事にしているとは思わなかったしろは、驚きながらも、自分を愛してくれている銀有の不器用さに胸が滲んだ。 「拝見しても?」  一之介が、既に赤茶けて、繊維だけになってしまっている色も判然としないその花びらを、一枚摘まみ出すと、表裏を見た。 「ふむ」 「どうでしょうか。なにかわかりますでしょうか」 「これは花弁症ですね。間違いない」 「かべ……? 何ですと?」 「花弁症。触れている時は空咳が止まるでしょう? 特定の相手の身体に触ると、こういう真っ白な花びらを生成してしまう奇病です。思春期に入ると同時に身体の中の気が乱れ、多くは原因不明のまま没するのですが、幸い相手が見つかれば、こうして症状として現れてくる」 「は……き、奇病? しかし、乳母や他の誰かが触っても、こんなことには一度も……」  ならなかった、と銀有が不思議がると、一之介は笑った。 「しろさんの場合、琅一に触ることで、接地面から花びらが咲きます。それがこの病の正体です。琅一を、しろさんが選んだのですね。無意識にでしょうが」 「それは……治るものなのですか?」 「完治させることは残念ながら。ですが、病状を和らげることはできます。この子の病弱なところや空咳は、花びらを煎じて飲ませれば、軽くなるはずです」 「は……。し、しかし、なぜ……」 「この琅一を、伽子として、しばらくしろさんの傍に付けましょう」 「伽子……?」 「夜伽をする者のことです」 「夜伽……っ? そんな、しろはまだ……!」  慌てる銀有に、一之介は静かに手を振った。 「夜伽といっても、添い寝をさせるだけです。しろさんと琅一の肌の触れたところから花びらが生じることは確認できました。そうして生まれた花びらを、朝、煎じて飲ませること。そうすれば、いずれ空咳もおさまり、歩くこともできるようになるでしょう」 「は……、で、では、その、特に何をするというわけではなく」 「便宜上伽子と呼んだだけで、ただ一緒に寝るだけです。この年頃の男同士ですから、それ以上のことは何もないでしょう」 「はあ……」 「花弁症は肌に触れることで発症します。逆に、発症しないと、治らないものなのです。琅一が選ばれたのは、幸いなことでした。私は用がありますので、一週間後にはお暇をいたしますが、準備を整えてまた戻ってまいります。それまでの間、琅一を付けますので、便利にお使いください。いいね? 琅一」 「はい」  銀有は少しの間、自分が担がれている可能性を考えたようだが、あらためて状況を認識し、花びらを煎じて飲ませたところ、わずかではあるが効用があったので、信頼できる態度へと変化した。 「あ、ありがとうございます……。何とお礼を言ったらいいか……!」 「この病に対する根治療法は、残念ながらありません。ですから、騙し騙しやっていくのが一番いいのです」 「はい。はい」 「それから、今回の診療代ですが、この余った花びらをいただければ、それでよしとします」 「え?」 「しろさんには、毎日三枚の花びらを煎じて飲ませることを約束してください。そして、余った花びらが生じた場合は、私が引き取ることにします。それでよろしいですか?」 「わかりました。必ず。それで結構でございます」 「それから、琅一の貸与料ですが、一日につき二円で如何でしょう?」 「に、二円……っ! 一日にですか?」 「琅一はしろさんが選んだ者ですから。おそらく他の者で試しても、花びらは生まれますまい。いわば琅一は、しろさんにとっての命綱」 「よ、用意いたします……!」 「では、琅一がここにいる間、週に一度、彼にお支払いください。琅一、しろさんを頼みますよ」 「はい、お師匠様」 「おお、しろ、良かったなあ……。しろ……」  こうして琅一の滞在が決まるとともに、しろの病気もはっきりしたのだった。

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