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第10話
春、しろは再び病みはじめた。
琅一と銀有が摩擦を起こしたあの日以来、銀有は琅一を猜疑の目で見るようになった。
銀有は、朝一番にしろが起きると褥の点検にくるようになり、花びらの枚数を数えて前日より少ないと、文句を言うようになった。かと言って、前日より花びらの数が増えた時は、まるで身体を触られた痕を見られるようで、しろはそのことを密かに酷く恥ずかしがった。
最初は折半だった花びらの数は、やがて六対四になり、七対三になり、銀有がしろに飲ませる分以外を、あれこれ屁理屈をつけて没収することもたびたび起こった。
しろに飲ませる花びらの数を増やしたいと琅一は銀有と交渉したが、一之介の指示でなければ駄目だの一点張りで、琅一はわずかに余った中からいいものを選び出し、しろに煎じ薬をつくってやることしかできなかった。
美しかった庭はあちこち掘り起こされ、開拓され、池は埋め立てられて花壇となった。そうしてつくられた花壇には、菊や雪柳などの白い花が植えられるようになっていった。
琅一の手元に何も残らないのを後ろめたく思うしろが、恥を忍んで触れてくれと言ってくる日も珍しくなかった。
「手を……」
そう言って、しろが布団から骨ばった手を出すと、琅一は決まって苦しげな顔をした。
「こほっ、おれと、手を、こほっ、繋いでくれないか、琅一、こほっ」
「しろさん、無理しなくていい」
「しろでいい」
さんはいらない、と言いながら、また咳が出た。
「琅一はもう、おれと比べても、遜色ないぐらい字も読めるし、算術だってすごくできる。自分を卑下する必要なんてない。立派な一人前の男だよ。こほっ」
「暖かくして、少し休んだ方がいい。しろさん」
「しろでいい。おれは、しろでいい……」
うわごとのように繰り返しても、琅一は頑なにさん付けを止めなかった。
しろは琅一を縛り付けている自分の身がもどかしかった。この肉体がいっそ花びらのように剥がれ落ち、朽ちてゆくなら良かったのに、とすら思った。琅一の力を借りなければ、生きることすらままならない。父に意見することもできない非力さが、身体を蝕むほど悔しかった。
咳が出る。
顔色が悪いのが、自分でもわかった。今日は起き上がれるかどうか。布団の中で思案していると、やにわに母屋の方から複数の男たちの怒鳴り声が聞こえてきた。どかどかと乱暴な足音をさせ、大人数の大人の男が、この離れへと向かってくる。
琅一がぱっと顔を上げると、がらの悪い、いかにも趣味の悪い着物を着た男衆が数人、離れへと雪崩れ込んできた。
「琅一……っ?」
琅一が立ちふさがり、しろを背にかばおうとするが、その肩を片手でひょいといなすと、男たちはしろの伏している座敷へと上がりこんだ。
「こほっ」
誰ですか、と声をかけようとして、咳が出てしまう。
「何だあ? いいご身分だな」
「こほっ、あなた、がたは……っ」
「けっ、病気持ちかよ。しかも男か」
しろの襟を掴んで男女の別を確かめると、男が軽蔑の言葉を吐いた。
「しろさんに触るな!」
部屋の隅に転がされた琅一が、怒鳴りながら、しろのことを引きずっている男に躍りかかる。
「うるせえ!」
その琅一の身体を、軽々と片手で吹っ飛ばした男は、明らかに喧嘩慣れしていた。
「琅一! こほっ」
「今度口答えしたら、お前のタマを潰してやる。餓鬼はそこで寝ていろ」
「……っ!」
その瞬間、吹っ飛ばされた琅一が、男の足首に噛り付いた。
「痛ぇ! 離せこら! この餓鬼ッ! 死にてえのか!」
琅一が殴られ、それでも噛み付くのを止めないと、今度は足蹴にされた。琅一が痛めつけられるのを見かねたしろが、琅一の頭を庇うようにしがみつくと、そこから花が零れる。
ぽとり。ぽとり。はらり。はらり。
「何だこりゃ? 手品か? 気持ち悪ィ」
その様子を見た男が、軽蔑を込めて呟いた。
「おい! 金目のものはあったか?」
「駄目だ。しけたもんだ。本ばかりしかない。母屋へ引き返すぞ!」
入ってきた時よりも乱暴な足取りで、暴れ者たちが引き返してゆく。母屋で大きな騒ぎが起こる音が聞こえた。男たちは乱暴の限りを尽くし、それでも飽きたらぬと、母屋のそこここを破壊していったようだった。
嵐の過ぎ去るのを待つしかないと、店の者たちが離れに避難してきて、大騒動になった。従業員たちが、あれは隣郷の高利貸しだよ、と囁き合う声がする。
しろは、何か悪いことが起こっているのに、見ていることしかできない自分が歯がゆかった。
(おれの、この身体のせいだ……)
この身体のせいで、全部不幸になる。
しろは琅一をかばいながら、また密かに泣いた。
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