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第13話

 一之介を生き写しにしたような琅一の姿に、最初、銀有は驚き警戒した。  しかし、琅一が「過去は水に流し、新しくやり直しませんか」と言ったことから、今度は揉み手で琅一を歓迎しはじめた銀有だった。 「あれからどれだけ探しても、琅一さんほど見事に花びらを生む手合いは見つかりませんでした」 「……しろさんは、花びらを生んだのですか?」  母屋から続く廊下を歩きながら話す二人の声が聞こえてきたしろは、咳をするたびに痛む背中を起こし、期待に頬をにじませた。二年ぶりになる邂逅は、琅一をどう変えているのだろう。一之介のことも知りたいと思ったしろは、琅一と話せる時を心待ちにした。  銀有は、たかが叱責に証拠が残るはずはないと思っているのか、琅一に対して言い訳を言った。 「はあ。いや、あれは泣き虫になりましてな。こう、時々泣くと、はらりはらりと小さな花びらが……いや、ごく少量ですが。それに最近はほとんど出しません。泣いてもただの涙になるばかりで」  渡り廊下を下り、縁側の見える庭の雪見障子がからりと開くと、やけに背の高い蓬髪の少年が立っていた。後ろを琅一よりひと回り小柄な銀有がついてくる。 「しろさん」 「琅一……!」  琅一がしろの傍で膝を下り、その手を取ると、はらり、と花びらが落ちた。 「逢いたかった……、無事で良かった。琅一、背が伸びたね」  ぽろぽろと瞼から花びらを零しながらの邂逅に、銀有は目を輝かせた。しろがこれほど多量の花びらを生むことはなかったからだ。ひとしきり互いを懐かしむ時が経つと、琅一は銀有を振り返った。 「しばらくこちらにとどまり、しろさんの様子を診たいのですが、よろしいですか」 「え? ええ! それはもう」 「それと、少し二人きりに」 「え?」  琅一が言うと、銀有は回答を躊躇った。 「もし、しろさんに触っても、花びらは持ち出さないと誓います。何なら、身体検査を受けてもかまわない。ただ、少し話をするだけです」  琅一の奇妙な気迫に呑まれた銀有は、「少しの間だけですよ」と言った。 「何なら、しろに触ってやってもらえませんか。まあ、何事もほどほどに」  言って、銀有が母屋へ上っていくのを見届けた琅一は、しろに向き合った。 「しろさん、とてもやつれた」  二人きりになると、琅一は膝を近づけ、しろを抱き寄せた。かたく抱き合い、しろの背中に回された琅一の腕にも、強い力が込もる。逞しい首筋に頬を擦り付けると、花びらが湧く。泣くと、しろの頬にも花びらがあふれた。 「だいぶ痩せたな。身体は動くのか?」 「琅一はすごく大きくなった。肩幅も、背丈も、おれじゃ、もう届かない」  しろはひとしきり再会を喜ぶと、琅一の身体を離した。  琅一は、わずかに幼さの残る顔立ちに精悍さをにじませていた。二年の間に成長した若木が、成木となる過程を見ているようだった。健やかな身体にきれいな筋肉が均等に付いている。痩せぎすのしろとは正反対だった。 「ありがとう、きてくれて。その、一之介さんは……」  ずっと心に掛かっていたことを尋ねると、琅一の顔に少し影が差した。 「死んだ。葬儀をあげて、後始末をして、商売を継いだから、ずいぶんと時間が経ってしまった。すまない、しろさん」 「しろでいい。しろで……こほっ」  しろは琅一の言葉に心が重く沈んだ。父の銀有が付けた傷が元で亡くなったのか、本当のことを尋ねなければと思っていると、琅一が懐から、掌に乗るぐらいの大きさの、小さな丸い木箱を取り出した。蓋を開けると、白い練り物が入っている。 「口を開けてくれ、しろさん」 「?」 「舌を出して」  琅一の言葉に従うと、軟膏のようなものを舌の上に塗りつけられた。指にひとすくいしたものを、舌を捏ねるように押され、塗布され、味覚が琅一の指を甘いものだと認識する。 「粘膜には花が咲かない。お師匠様が言ったとおりだ。飲み込んで」  言われるままに恐るおそる軟膏を飲み込むと、やがて咳の衝動がおさまり、怠くて仕方がなかった身体が楽になっていった。 「これは花びらの抽出物からつくった、薬の原料だ。このままではしろさん以外には使えない代物だが、持ってきて良かった」  琅一が、戻ってきてくれただけでなく、しろのことを覚えていてくれたことに、胸がいっぱいになった。しろは、布団の上に正座すると、そんな琅一の方を向いて、深く頭を下げた。 「……すまなかった、琅一」 「しろさん……?」 「琅一のお師匠様を、父君を、おれの父が……。どう詫びたらいいのか……、本当にすまない。琅一からたった一人の肉親を奪ってしまった。だのにおれは、こうして恩を受けるだけで……」  ぽとぽとと花びらが涙となり落ちる。謝罪してもしきれないほどの罪を、しろは銀有とともに背負ってしまった。こうなった以上、どんなことでもできることはして、琅一に償おうと思った。 「お師匠様は、育ての親だ。俺に両親はいない」  静かに琅一が言った。しろの肩を支えて、頭をさげるのを止めさせようとした。 「俺の母親は、遊郭の裏手に俺を捨てていった。だから本当の親の顔は知らない」 「え? でも、一之介さんは……」 「大方、産後の肥立ちが悪くて死んだと言ったんだろ。お師匠様の優しさだ。おれが些細なことで揶揄われないように、きっと嘘をついたんだ。あの人は、いつもそうだった」 「でも、育ての親でも親は親だ」 「泣かないで、しろさん。俺たちのために泣くことはない。お師匠様は、元々、もう長くなかったんだ。俺の顔継ぎのために各地を回っていたが、元々しろさんのところへ初めてきた時から、そう長くないだろうと言っていた。お師匠様が死んだのは、あの傷が原因じゃない。寿命がきたんだ」  琅一が静かに語るのが、胸の奥に突き刺さる気がした。本当にそうであっても、一之介の死期をあの傷が早めなかったか、しろにはわからない。琅一が意図して隠していることがあったとしても、責められないとしろは思った。しろが黙って俯いていると、琅一はそっとその頬に手を伸ばした。はらり、と花びらが散る。 「だけど、そうだな。俺は復讐をするために戻ってきた」 「琅……」  しろが顔を上げると、琅一の目が昏く輝いた。闇色が深くなり、底が見えなくなる。しろは胸騒ぎがしたが、琅一がしろの最後を看取るためにきたのだとしたら、幸せだと思った。 「琅一、おれのことは、どうしたっていい。でも父上は……父はどうにかなってしまったんだ。だから……」  この後に及んで命乞いをする自分を、しろは情けなく思ったが、父を理不尽に不幸にするのは、止めて欲しかった。銀有は変わってしまったが、それはしろのせいなのだ。 「しろさん、ここを出る気持ちは固まったか?」 「え?」  急な問いに驚いて琅一を見ると、琅一は強い視線をしろに投げかけた。 「しろさんが、本当にどうなってもいいと思うほどに悔いているのなら、一緒にこの郷を出よう。俺と一緒にきてほしい。もしも嫌がったら、力づくで奪う。そのために俺は、はるばるここまできたんだ」 「それは……」  しろのような足手まといと一緒に山を降りるのは、一苦労だろう。ましてやこの雪だ。一緒に行っても途中で動けなくなる可能性が高いのではないか。どう答えたらいいか迷ったまま、しろが琅一と見つめ合っていると、やにわに銀有が離れへの廊下を下ってくる足音がした。 「風呂を沸かしたので、入るといいでしょう。もう遅い。床はしろと一緒でよいですね?」  猫なで声で言う銀有に、琅一はいつもの無機質な声に戻り、言った。 「かまいません。元伽子ですから」 「なんなら、しろに触ってやってください。しろは喜ぶでしょうから。な? しろ」  一時の邂逅の間に、褥に花びらが零れ落ちているのを見た銀有は、満足げに言った。銀有の促す言葉に、しろは恥ずかしくなって再び俯いた。琅一にあさましい想いを抱いていることを知られたくなかった。しろが布団の上で握った拳を視界の端に捉えた琅一は、しかし、何でもないことのように、頷いた。 「わかりました。しろさん、行こうか」 「あ、うん……」  花びらが褥に散るのを見た銀有は、満足そうな目でしろを見た。その目が妙にぎらついていて、しろは自分の醜い欲望を見透かされたような気がして、嫌な気持ちになった。しろが琅一に支えられ、歩くたびに花びらが落ちるのを、銀有が拾い集める。父がそのようなあさましさを見せるようになったことを、しろは哀しく思った。 「──そういえば」  しろを支えていた琅一が、ふいに風呂の入り口で銀有を振り返った。 「あなたは試しましたか?」 「え?」  膝を折って花びらを懐に入れようとしていた銀有が、顔を上げた。 「灯台下暗しと言うでしょう。案外あなたにも……」  琅一はぽかんとした銀有にそう声をかけると、今度こそ目の前で扉を閉めた。  扉が閉まる瞬間に、しろが振り返ると、銀有のしろを見る目が生々しい光を宿した。  銀有はしろを、蝶よ花よと可愛がった。  あの父は、一体どこにいってしまったのか。  いつからこうなってしまった、としろは哀しくなった。  けれど、もし、しろの命が終わったら、その時は父も正気に戻るだろうか。

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