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第17話

 やがて都会に出ると、琅一はしろとともにその妓楼街を訪れた。  大門と呼ばれる、夜空にさえきらびやかに映える門をくぐり抜け、人混みをすり抜けながら広い目抜通りをまっすぐ進んでいく。碁盤の目状に道が配されたその区画の中心付近に、立派な妓楼の楼閣が左右から張り出しており、その下を通り抜ける時、しろは小さく口を開けたままだった。しばらくいくと、目抜通りの突き当たりまで出て、左へ少し折れたところに薬屋の看板と暖簾が見えた。 「ただいま戻りました」  琅一がそう言って暖簾をくぐると、漢方薬のつんとした匂いとともに、帳場にいた青年が顔を上げた。 「店主……? 店主じゃないですか! お帰りなさい、おい! 店主が帰ってきたぞ!」  帳場にいる青年のほかに、様々な薬種を入れてある百目箪笥の並ぶ店先に一人、奥の薬房に三人、男ばかりがわらわらと仕事を投げ出し、琅一を囲った。 「お帰りなさい、店主。寒かったでしょう。風呂の支度をさせますから。手紙でだいたいのことは聞きました。そちらが、例の遠い親戚の方ですか?」  言って、青年がしろの方に目を向けると、琅一は頷いた。 「小鳥遊しろさんと言います。今日から俺と一緒に暮らすことになるので、よろしくお願いします」 「いやぁ、こりゃ別嬪さんだぁ」 「こちらこそよろしくお願いします。しっかし店主も隅に置けないや」 「全くだ。こんなにきれいなお嬢さんが親戚にいなさるなんて」  琅一の周りに集ってきた者たちが、代わる代わるにしろを囲んで品定めの視線を投げては、はにかむ様子を見せる。男たちの言葉から、身寄りのないしろを親戚だと言ってくれる琅一の機転と思いやりに触れ、じわりと身体が温かくなった。それから、あの街道沿いの妓楼からこの街へくるまでの間、ずっと女装姿だったことをしろは思い出した。泥だらけだし、胸の詰め物は苦しいし、へろへろに疲れているし、少しは男だとばれても良さそうだと思ったしろが声を上げかける。 「いや、あの、おれは……」  だが、しろが「男です」と言う前に、帳場にいた青年が琅一の袖を引っ張った。 「なぁ、店主。こう言っちゃ何ですが、女性と二人住まいってのは……、その、ちょっとまずくないですか……? いや、店主なら大丈夫だとわかってはいますが、万々が一ってこともありますし、その、外聞も……」 「ああ、いや。しろは……」 「おれ、っ、男です……!」  琅一が言いかけた言葉尻に乗っかるようで恥ずかしかったが、しろが思い切って言うと、琅一としろを囲んでいた者たちが呆然とした顔をした。そのすぐあとで、どっと湧く。 「ええっ! 男っ? 騙されたぁ!」 「お嬢さ……いや、男だから……お坊ちゃんか?」 「店主! ひでえや。言ってくださいよ! 大恥かいちまったぁ!」 「す、すいません……っ」  しろが慌てて謝罪すると、琅一に諫言した青年が赤い顔をして手を横に振った。 「いやいや! こっちこそ勘違いして……」  ひととおり場が落ち着く頃、手袋越しに琅一がしろの肩を抱いた。 「しろにはこれから離れに住んでもらうことになります。はじめは不慣れなことも多く、身体も弱い性質なので迷惑をかけることもあるかもしれませんが、心根は良い奴です。皆さん、よろしくお願いします」  琅一がそう声をかけ、頭を下げたのを見て、しろも慌ててぺこりとお辞儀をした。 「よろしくお願いします……!」  男たちはそれを見ると、「水くさいですよ、大丈夫です。こちらこそ」と口々に琅一としろを嬉しげに迎えてくれた。  従業員たちに店を任せた琅一としろは、一旦薬屋の暖簾から外へ出たあとで、店の建物の横に設えてある木戸から脇に伸びる細い路地に入り直した。店はまるで鰻の寝床のようなつくりになっており、私有地である脇道を進んでいくと、やがて表通りの喧騒も人の気配も消える頃に、店の裏手の空き地へ出た。ぽつりぽつりと続く踏石を踏んでさらに奥へ歩くうちに、もう一軒、今度は茅葺屋根の屋敷が見えてくる。琅一は迷いなくその家の鍵を開けると、しろを中へと案内した。  薄暗い室内に佇むしろを座敷の真ん中に残し、琅一が鎧戸を開けると月光が眩しく差し込んでくる。縁側に面した部屋からは庭が見渡せ、山野草で彩られた青く美しい庭を縁取るようにして、梅、沈丁花、桜、楓、紅葉などの若木が植わっている。それを見たしろは、ぽかんと口を開けた。 「ここ……琅一の、店? 家? なのか?」  あまりのことに反応できずにいるしろを見て、琅一がふっと笑った。背丈がすっかり伸び、しろよりもがっしりした体格の琅一は、旅の途中、ずっと張り詰めていた気配を、やっと緩める気になったようだ。  庭には池があり、緋鯉が泳いでいる。  琅一としろが郷で過ごした、あの庭に似せて作られていた。 「うまく根付くまでには時間がかかるだろうが、いずれあの庭のようになるといいと思っている」  琅一が庭の木々を指して言った。 「これ、全部琅一が?」 「正確には、庭師を雇った」 「すごい……」  しろが感嘆の声を出すと、琅一は肩をすくめた。 「大したことじゃない。罪滅ぼしだと考えてくれ」 「そんな」  しろのためを想って、ここまでしてくれる琅一の心根に、心が温かくなる。  だが琅一は少し切なげに言った。 「本当に、大したことじゃないんだ。もっと早くに迎えにいければ良かったんだが、お師匠様の葬儀を終えたあとが大変で。この離れの家は元々、お師匠様が使ってたんだ。それを少し改造した。しろが元気で生きていることが、お師匠様にも伝わると良いと思って」 「……ありがとう、琅一」  しろは琅一の優しさに胸がいっぱいになり、心臓の上でぎゅ、と拳を握った。亡き一之介の頼みとはいえ、こんなにもしろを想ってくれていたことに心が温かくなる。 「ここで暮らそう。そしたらきっと、しろも元気になる」  琅一がそう言ってしろを振り返った。 「うん……」 (──生きよう)  しろは頷くと同時に思った。  死んでしまった一之介のために、消息不明の銀有のために、そして何より、しろを大切にしてくれる琅一のために。ついえるはずだった自分の命をつないてくれた人たちのために、しろは静かに生きる決断をした。

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