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第27話

 月に二度ほどの頻度で、琅一とともに岩永のもとへ通う生活がはじまった。  岩永の話はどれも面白く、ためになるものばかりだが、決まって講義をはじめる前に雫を吐き出す儀式をせがまれる。琅一によってされるのはしろにとって密かな悦びだったが、目隠しされたしろを、岩永がどんな目で見ているのかわからないのがもどかしかった。  しろの知っている岩永は、いつも穏やかな、少し茶目っ気のある目をしている。商売の仕組みから外国語、時には流行りの文学にまで岩永の話は及び、回答に苦心していると、髪をそっと梳かれるのが心地よかった。自分でするか、琅一に触れられるかしかないしろは、岩永に触れられても何も生じないことが、珍しくて嬉しいのだった。  昼過ぎにきて、終わると大抵、日が沈んでしまうので、しろはそのまま岩永の酒の相手もした。岩永の隣りで空になった猪口に酌をするのがしろの仕事で、時々問題を出されては、間違ったり正解したりする。 「きみらは若いんだから、どんどん色々なことに挑戦しなさい」  岩永は時々、奇妙に老成した口を利いた。そんな時は大抵、酔いが回っており、琅一が静かに席をはずすと、子供のようにしろの膝枕で眠ってしまうこともあった。  琅一は、岩永が酔いはじめると、しろにその場を預け、たびたび階下に姿を消した。あまりにも頻繁なため、一度岩永に断ってから琅一のあとをつけたことがあったが、姿を消した二階の隅の部屋の前で、「琅さんだろ? 取り込み中だよ」と花魁のひとりに教えてもらってからは、二度と琅一を探さなくなった。 「あっち」  言って、白粉の匂いをさせた指で、奥の座敷を花魁が指す。いざ見つけても、しろは中を覗くことができなかった。もし戸を開けて、琅一が誰かと同衾中だったら、と想像するだけで、しろの心は穿たれたように痛む。  琅一はもてる。  こう言っては何だが、女性を惹きつけるものを持っているようだった。  岩永のもとへ通うのは好きなしろだが、妓楼という場所柄、どう工夫しても途中で花魁たちに捕まってしまう琅一を見るのはつらかった。そういう時は手持ち無沙汰なまま、大抵近くの柱に背を預けて、琅一の用事が済むまで膝を抱えて待っている。置いて帰ることができない以上、半刻近く待たされても、迷い犬にならないように琅一の傍にいるのが、しろにできる最大限の配慮だった。 「面白い、もっと乱れて」  その反動か、岩永の元で淫猥な遊びをする時は、その声に催促されるまま乱れてしまう。琅一もまたしろに煽られるようにして、あられもない体位でしろを可愛がることが増えた。  それでも、その時以外の交わりは減っていったから、しろは琅一のことを考えるたびに胸が軋んだ。  その日、眠ってしまった岩永に静かに布団をかけて、しろは琅一のいる部屋の前で、蹲ったまま待った。このまま終わらぬ夜を越すのでは、と重い気持ちになっていたところへ、酒の抜けたらしき岩永が降りてきて、声をかけられた。 「しろさん、琅一を知らないかい?」  どうやら広い妓楼中を探し回ったらしく、片手に何か帳面のようなものを抱えていた。 「あの……」  岩永に琅一の色事のことを告げるべきか迷っていると、何かを察したらしい岩永が「ああ、なるほど」と言い、戸を叩き、あっけなく琅一を呼び出した。 「琅一、入るよ、いいかな?」 「どうぞ」  返答があると岩永はすぐに座敷へ入り、戸を閉めた。 「何でしょう」 「これ、きみにきた見合いの件。この間、置いて帰ったろう。一応、目を通してくれないと僕が困るんだ」  襖越しに聞こえてくる声に、しろは息が止まりそうになった。琅一に見合い話がきているなどとは、思いもしなかったからだ。 「断ってくださいと言いましたよね?」  迷惑そうな声音で言う琅一の反応に、しろは少しほっとしてしまう。しかし、岩永はさらに迷惑そうな声で言った。 「そう頑固なことを言うものじゃない。先方にお見せしたという証拠がだな」 「必要ありません」 「必要ないって、なあ、きみ」 「必要ありませんよ。話はそれだけですか?」  こうなると梃子でも動かない琅一を知っている岩永は、扱いあぐねた声を出した。 「仕方ないなぁ。……ところで、しろさんが表で待ってるぞ?」  急に自分の名前が出てびっくりしたしろは、ぎゅ、と抱えた膝に力を込めた。琅一がどんな返答をするのか、聞こえてくる。 「知ってます」 「知ってるのか?」 「はい」 「……そうか。知ってる、か」  心臓が止まりそうにどきどきする。琅一に知られていると思うと哀しくて、肩が、腕が震えるのを止められない。泣くまいと唇を噛んでいると、岩永が部屋から出てきて、しろに視線を注ぐのがわかり、いたたまれなくなった。 「気にするなよ、しろさん。あれは本当に頑固者だが、根は……」  しろが俯いているところへ、岩永がするりと頭髪を撫でた。触れた瞬間、しろが震えているのが伝わったのだろう。岩永は「野暮なことを言ったな」と消化不良のような声を出し、遠ざかっていった。

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