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 九蔵をアルバイトへと送り出したあと──ニューイは人知れず、悪魔の世界にある自分の屋敷に帰っていた。  屋敷の中にある空色のドア。  空色のドアの部屋の中には、常に春風がそよぐ青空の草原がある。  その草原には、イチルの墓標があった。  このドアはニューイがイチルの肉体を安らかに休めるためだけに作った、常晴の部屋である。魂が輪廻すると知る悪魔は、通常墓を作ったりしない。  しかし、ニューイは作った。  一人で墓穴を掘り、一人で墓石を削り、丁寧に埋葬してたった一人、イチルのために人間の真似事をして弔ったのだ。  いつも通り葬儀を真似て真っ黒なスーツに身を包み花を供えたニューイは、イチルの墓の前で跪き、その墓石にコツンと額を預ける。 「イチル……」  ──なんだい? ニューイ。  そう微笑むイチルは、もういない。  どれほど呼びかけても、ただの朽ちた肉体はニューイの言葉に返事をしない。  嫌というほど知っていることだ。  お墓参りというものは、どうしてこんなにあばら骨の内側が痛烈にうねるのだろう。  ニューイは参るたびに、そう思った。  キシキシと軋む体の骨が辛くて、ニューイはイチルのお墓参りをしたあと、逃げるようにここから離れてしまう。  話したいことがたくさんあるのだが、いてもたってもいられなくなる。  けれど今日は、立ち去らずに済んでいた。  ──ニューイ。 「……九、蔵」  ニューイの胸には、消えてしまったイチルの代わりに、優しく名を呼ぶ一人の人間が宿っているからだ。  個々残 九蔵。  イチルの魂を持つ生まれ変わりだが、性格も人生も姿かたちも、全くの別人。 『俺は、ハッピーエンドが好きなんだよ』 「っ……ん、……」  トクン、と胸が高鳴る。  あぁ──嫌だ。  彼の声は、笑顔は、言葉は、視線は、体温は、呼吸は、形作る全ては。この心を歓喜に震わせ、そして悲痛に、収縮させる。 「いっ、イチル……っ」  九蔵の笑顔を思い浮かべるだけで空を舞いそうな心が痛くて、ニューイは咄嗟に、墓石の名を呼んだ。 「イチル。あの、ね、イチル……私は、ついにキミの魂を、永遠に手に入れられそうなのだよ」  ずっと欲しかった、キミの魂。スリ、と墓石に額を擦りつけ、目を閉じる。  ──悪魔に生まれたことを、ずっとずっと、呪っていた。  辛いことや痛いこと、恐ろしいこと。  自分はそれらが全て好きじゃない。  どうしてそんなことをしなければならないのだろう? 食事は事足りているのに、死人の魂を集めなくてもいいじゃないか。  人間と契約してなにになる?  対価に魂を貰ったところで、携帯食料程度のオトク感しかないはずなのに。  人間も、悪魔も。  必要以上は、誰も傷つけたくないのに。  ニューイはそう思って悲しくなった。  悪魔の性質を否定したいわけじゃない。悪こそが正義。大いに結構。  人間を喰らう悪魔ならば、罪悪感など極力抱かないシンプルな思考と図太さ、性根の悪さが必要だ。  神様がいるなら、悪魔の心をそういうふうに作るのは当然だと納得できる。  ただ、ニューイは、違う。  ニューイの心は、神様にそういうふうに作ってもらえなかった、できそこないのポンコツなのだ。  優しくしたい。  馬鹿げた願望を抱いた、心。  けれど悪魔に生まれたからには、そんなニューイとて、それらをもたらす生き物として生きていかなければならない定めがあった。  そうでなければ、居場所がない。  それが悪魔という、生き物。  魂を、欲望を食らう生き物。 『ズーズィ、ズーズィ』 『あぁん? なんだよ、ニュっち』 『アッシェとマーリのけんかをとめたら、わたしはたくさん、ぶたれたのだ。ぶたれてとても、いたかった。けんかをみると、かなしいよ』 『クソマヌケかよニュっちのバァカ! そんなのどうでもいいからほうふくするの! はらたつじゃん!? さっさとすりつぶすしかなくないっ!?』 『でも、わたしは……』 『くどいなぁ! やられたらやりかえしてなんぼだってぇの!』  諦められないニューイは何度となくチャレンジしてはみたものの、幼馴染みですら、悪魔は誰も、ニューイの思考を理解できなかった。  幼いニューイは肩を落とす。トボトボと一人歩き、コン、と石を蹴る。 『わたしは……いっしょに、あそびたく、て』  ──豪快で、傲慢で、我欲に満ちた存在である悪魔。  もしも優しく生まれた悪魔がいたならば、それはとても……とても寂しい存在に、なってしまうのだ。

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