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◇ ◇ ◇
無事に夜勤のアルバイトを終えた九蔵は、憂鬱を背負って夜明け前に帰宅した。
ニューイを起こさないように物音を殺して荷物を置き、億劫なシャワーを浴びる。
ドライヤーをする気にもならず濡れた頭をタオルでかき回しながら部屋へ戻ると、カーテンの隙間の月明かりに照らされたベッドが、もぬけの殻だと気づいた。
「…………」
脳と表情筋はきっちり驚いたのに、吐き出す言葉がわからない。
ポケットからスマホを取り出すが、なんの連絡もないようだ。いつもなら眠る前に送られるおやすみのメッセージもなかった。
ニューイが連絡もなく九蔵が帰るまでに戻っていないことは、なかったのに。
九蔵はフローリングに膝をつき、そっと抜け殻のベッドを抱き寄せる。
目を閉じた。
深呼吸をしてみると、嗅ぎなれた寝床の香りにニューイの香りがある。
「…………」
もしかして、もう帰ってこないのかもしれない。なにか言いたげなニューイの言えなかったことは、これだったのだろうか。
嫌な想像が巡った。
優しい、優しい、ニューイ。
優しいばかりで、無理をさせていたような気がする。唯一言われた不満は、しっかり突っぱねた記憶もある。
それにあの時もニューイが譲った。
九蔵が好きだから自分が歩み寄ると、真っ直ぐ言い切った。
諦めてばかりの自分にはできない生き様は、眩しかった。……恋をした。
それがきっかけで、自堕落な性根を奮い立たせて一生懸命にやってみようと足掻くことにしたわけだ。
ニューイは憧れで、好きな男で、諦められないもの。九蔵の世界では、それを王子様と呼ぶ。
「……一生懸命……の、やり方が……なんか、間違ってんのかなぁ……」
うつ伏せたまま柔らかいシーツに尋ねた。秋も深まるこの時期の夜明け前。濡れた髪のせいでとても寒い。
「つか、空回りしてるし……全部いいから一緒にいたいとか、重いっての……」
それならば、煩わしくなって捨て去っても、仕方がない有り様だろう。
キュ、と冷たい布を握る。
知ったこっちゃない。
勝手にすればいい。大嫌いだ。
もうニューイなんか、大嫌いだ。
自分をこんな気分にさせる酷い男。憎らしいとすら思う。人を散々振り回して消えるバカげた悪魔には、心底ウンザリだ。
なのにどうしようもなく大好きだから、大嫌いでたまらない。
「……ぅ……ふ……」
喉奥から嗚咽が漏れると共に、シーツを握る手が震えた。
痩せた肩が縮こまる。奥歯をかみ締めて吐息を殺し、ヒタリと泣く。
泣きたくなんてないのに、なにもかも止まらない。固く閉じたまぶたの裏にたった一人を願うと、ひとりでに涙が出るのだ。
泣いたところで惨めな自分が際立つだけだとわかっていても、一度も言えなかった言いたいことばかり思い浮かんで泣いてしまう。
──好きだよ、ニューイ。大好き。愛してるんだ。知らなかっただろ?
──なんでっていう理由は一言じゃ説明できないけど……そうだなぁ。
──誰にも言えなかったことを、お前になら言えるって、思ったからかもな。
「ニューイ……俺、ほんとは……うまく泣けない、泣き虫なんだ……」
「──あぁ、そうだね。キミは涙が隠すものじゃないと、知らないようだ」
「っ……!?」
誰もいないから吐き出した秘密と涙に思わぬ返答があったかと思うと、九蔵の体は熱く熱く逞しい体に、背後からすっぽりと抱きしめられてしまった。
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