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「時計が! ないんだよ!」  白ウサギは怒りのままに立ち上がり、洞窟内が揺れるほど大きな声で吠えた。 「ぐぁ……ッ」 「時計がないとぉ急ぐのか急がないのかわかりゃしねぇ! 腹が減ってもアフタヌーンティーの時間がわかりゃしねぇ! パイもスコーンもホットチョコレートも俺っちは嫌いだがぁ、ティーパーティーは三時と決まってるんだぁよぉ!」 「ッく……ッ……」  ドッスンドッスンと足踏みをし、白ウサギは九蔵を握ったまま癇癪を起こす。  九蔵は窒息しそうになりながら、駄々をこねる白ウサギに振り回された。 (痛ってぇ……頭、割れそうだ……っ)  めまいどころではない。  軽く死にそうである。防具がなければ骨が折れているかもしれない。  ──俺、こんなところで、死ぬのか……?  九蔵の脳裏に、自分の末路が過ぎった。  こんなところで、こんな流れで、こんな駄々っ子に、こんなマヌケな癇癪で殺される。そんな九蔵の冒険の書のオチ。  霞む視界で記憶をなぞる。  元を正せば、自分の迂闊なのだ。  ニューイたちに話せばよかった。ついて行かなければよかった。  とんでも世界では、どれだけ慎重に進めて準備をしたって意味がない。  話の通じない世界。  ナビゲーターなんてありゃしない。ストーリーがないのだから当たり前だろう。  真正面から向かった自分の愚行。そりゃ結構。ご苦労さま。お粗末さま。反省会なら後で死ぬほどやりましょう。  今はいいかげん──キレそうだ。 「…………いい」 「あ?」  気がつくと、無意識に心の中から声が上がっていた。  ボソリとした呟き。  されどハッキリと言ったことだ。  それが大きな耳に届き、オモチャさながら九蔵を揺さぶり叫び散らしていた白ウサギが、ピタリと動きを止めた。 「あ〜? 今なんつったぁ?」  白ウサギは握っていた九蔵を自分の顔の前に持ち上げる。ルビーの瞳が九蔵を睨み、小馬鹿にしたようにせせら笑う。  鼻の奥から熱いものが伝った。  舌を伸ばして舐める。  鉄臭い。鼻血だ。  振り回されていたせいで逆上せたのだろうが、そうじゃなくても、まぁ、そのくらい頭に血が上っている。 「………もいい」 「聞こえねぇぞぉ」 「……でもいい」 「聞こえねぇってよぉアリスゥゥゥ」  ニヤニヤと下品の笑みを浮かべてわざと揶揄う白ウサギに、九蔵はゆっくりと、伏せていた顔を上げる。 「耳にクソ詰まってんのか? どうでもいいって言ってんだよこのチ✕カスウサギ」 「っな、なんっ……!?」  その冷ややかな視線と吐き捨てるセリフに、白ウサギは大きな耳をピンッと伸ばして絶句した。  今なお自分の手の中で絶体絶命のはずのアリスは、愉快な弱者だ。しかし、豹変したアリスはまるでそんな気がしない。 「さっきから聞いてりゃいい気になりやがって。迂闊な俺が悪い? 違うだろ? 人様を脅迫するお前らクソ迷惑な人外どものせいでこうなってんだろ? この責任はどう取ってくれるんですかね。クリスマスパーティーにローストラビットでも並べてくれるんですかね」 「ヒッ……!?」 「ハッ、時計? こちとらお前の事情なんかどうでもいいんだわ。好きな時に走って好きな時に飯食って好きな時に死ねばいい。それともそんなに時計が欲しいなら、俺がいいこと教えてやろうか? 地べたに丸描いて好きな時間の数字と棒二本入れてください。大好きな時計ですよ。そのまま顔面めり込ませてろドヘタレ野郎が」  暗黒面に堕ちた目の下のクマと光のない絶対零度の瞳に、背筋も凍る無表情。  有無を言わせない口調と冷淡なセリフ。 「だってお前さん、大して時計なんか大事じゃないですよね。なぁ今なにしてんの? なぁなにしてんの? 俺握ってるとか暇なの? 人の口に舌挿れてる暇あんなら自分に気合い入れろよバカじゃねぇの。大事なもんなら人様で遊んでねぇで必死こいて探せばいいでしょ。目ぇ開けたまま寝ぼけてるんですか。  その程度の気持ちで惨めったらしく泣きべそかいて、癇癪起こして、挙句の果てに八つ当たり? 情けねぇなぁ恥ずかしいわ。俺の大事は居てもたってもいられねぇんだよ。今すぐブン盗ってダッシュでアイツに捧げてぇの。ダッシュでアイツんとこ帰りてぇの。  だからどうでもいいんです。お前さんの存在ごと毛の一本まで俺は一切合切興味がないです。どうぞご勝手に暴れてください。お好きなようにヘタレてください。シクシクメソメソベソかいてキノコ栽培でもしててください。どうぞお一人でなさってください」  弱者にあるまじきドライな態度で責める九蔵に白ウサギはカタカタと震えるが、知ったこっちゃない。 「俺は最初っから、億が一にでもアイツの宝物壊させたくないだけですので」  だからさっさとよこせ。  それ以外は、どうでもいい。  九蔵はずっとそれだけをこの世界に要求するため、殴り込んできたのだ。

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