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お互い様の敗北者。
例えばエネルギッシュなニューイが百メートルを走ったって、それはあまり頑張って走ったわけじゃない。
けれど省エネな九蔵が踏み出した指先ぶんは、ニューイのために自分を変えて行動した指先だ。
どれほど必死に走っても五十メートルしか走れない九蔵が、汗にまみれて呼吸を乱しながら、なんとか五十メートルプラス指先、前に出た。黄金より尊い価値がある。
しかしニューイのことがドンドン好きになる九蔵は、いつも、ニューイの百メートルに足りなかったとその場で丸くなった。
追いつけないなら置いていかれる。
そしていつか去っていく。
だがそう思い込み丸くなる九蔵を、ニューイは〝いつもより指先ぶん九蔵が近くにきてくれたぞ〟と思っているのだ。
足りない足りないと嘆いているのは九蔵だけで、ニューイは幸福だった。
「だって、九蔵は私に追いつけなくても、きっと指先ぶん頑張ることをやめないだろう?」
「……っ……」
「私にとってはね、九蔵のその指先が、残り全ての距離なのだ。九蔵は、いつも私の隣にいてくれるのだよ」
語り終えたニューイは、そっと九蔵の体を反転させ、向き合った。
「高価なものをポンと貢ぐ。寝る間も惜しんで脇目も振らず盲目に愛し合う。誰もが振り返る美男美女になる。それが愛なら、貧乏人は孤独かな? 多忙な夫婦は離婚すると? 美醜の基準は統一されるのかい? もしもそうなら、人間は何百年と前に絶滅しているさ」
「……そう、ですね……」
「そうだとも。愛情のパラメーターなんて、目に見えるものじゃないのだ。そういう目に見えるステータスだけで、心は心に恋をしたりしない」
「…………」
「私を頼っていいんだ。甘えておくれ。ポンコツだけれど、こう見えて千年以上も生きているのだからね……九蔵はずいぶん自分を腐すが、キミの心が弱いわけじゃない。千年ぶん、私はキミより頑丈なのだよ」
──あぁ、そっか。
──千年先輩なら、仕方ねぇよなぁ。
それっぽい根拠で納得させるニューイは、優しい侵略者だ、と九蔵は思った。
この年上の恋人は、九蔵がせっせと積み重ねてきたなんでもないの殻を、柔らかなノックで壊すのだ。
「ふ。これ以上甘えて、いいのかねぇ」
「いいのだ。むしろお待ちかね」
「お待ちかねか」
情けなく眉を下げてニューイを見つめる。ニューイは九蔵が弱音を吐き始めた時から変わらず、ニコニコしている。
まるで九蔵が呆れられたらどうしようと死ぬ覚悟で吐き出した悩みが、日常会話だったかのように自然体だ。
おかげで安心する。
心の摩擦に弱い九蔵の傷は一大事じゃないと、笑って〝痛かったね〟とただなでてくれるような穏やかさが沁みる。
ニューイは九蔵が喜ぶことをしたのに、まさかこう返されると思わなかっただろう。
身も蓋もないさもしい話を聞かされて、きっと意味がわからないと思う。
なのに、付き合ってくれた。
ほんの些細なトゲに。赤切れに。ささくれに。──大切に。
「なんだかなぁ〜。また甘えさせられてしまいまして……」
「ムフフ、四六時中甘えてほしい。私はいつでもウェルカムなのだよ!」
「うぃ。……あー、……じゃあ、俺の抱き方で、失礼します」
「へぉっ」
口元を解いて困り顔で笑った九蔵はそっとニューイの体に腕を回し、トン、と肩に額を預けた。
ニューイは不意打ちの抱擁に目を丸くしてバッ! と両手を上げたが、ややあって嬉しげに九蔵の体を抱き締め返す。
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