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その日は結局、秋在から冬総へのモーションはなにもなかった。
なんと驚くことに、秋在は一日中寝ていたのだ。移動教室でさえ、秋在は起きなかった。
言うまでもなく、変人だと名高い秋在のことを起こす人も、いない。
冬総は何度も、秋在に声をかけようとした。……けれど、できなかったのだ。
距離を詰めたいのに、詰められない。
『──もしかして……夏形くんは、あの子と友達なの?』
挨拶を、しただけ。
それなのに、いつも自分に対して溺れたような目を向ける女子から好奇の目を向けられた。
たった一瞬向けられた、あの目が怖くて。冬総には、耐えられなかったのだ。
* * *
放課後になり、秋在がゆっくりと目を覚ます。
「……ん、っ」
まるで、小さな子供のような姿だ。秋在は小さな吐息を漏らし、こしこしと瞼をこする。
眠たそうな様子で顔を上げた秋在を、見つめる影があった。
「──おはよ、春晴」
──冬総だ。
放課後になり、教室から誰もいなくなるまで。冬総は、秋在との接触を待った。
「随分とぐっすり寝てたな。昨日は夜更かしでもしたのか?」
一見すると一途なように見えるこの行為だが、根底にあるのは恐怖だ。
誰かに見られたら、冬総も秋在と同じように変人だと思われるかもしれない。だから、誰もいなくなるまで待っただけ。
「……」
そんなこと、寝起きの秋在には関係ないけれど。
秋在はぼんやりとした目で、声がした方を振り返る。
笑みを浮かべて、冬総が挨拶をした。
しかし、秋在は返事をしない。ぼうっとした瞳を床に向けて、寂しそうな目をしただけ。
「春晴? どうかしたのか?」
どうしてそんなに、寂しそうな目をしているのか。
どうして返事をしてくれないのかすら、冬総には分からない。
戸惑う冬総を気にも留めず、秋在は鞄を持って立ち上がった。
「ま、待てよ、春晴!」
立ち上がった秋在を、冬総は呼び止める。
動きを止めた秋在は、床を見つめたまま動かない。なにも言わないが、おそらく冬総の言葉を待っているのだろう。
「えっと、さ。……ちょっと、俺と話さないか?」
せっかく二人きりになって、誰の目も気にせず喋られる最高のロケーション。まさに、冬総にとって絶好の機会だ。
それでも、秋在は冬総に目を向けなかった。
「なんで」
そんな、冷たい言葉を返すだけ。
「なん、で……って」
突き放されるなんて、思っていなかった。
むしろ、冬総は秋在に近付けた気がしていたのだ。
近付いて、特別になれたと。冬総はそう、思っていた。
確信と言っても過言ではないくらいの、自信。
冬総はそこで、ようやく気付いた。
昨日の出来事は、冬総にとって【初めての貴重な経験】だったが、けれど、秋在にとっては?
──冬総にとっての【特別】は、秋在にとっての【日常】だ。
「ばいばい」
冬総には目も向けず、秋在は教室から出て行った。
その足取りはとても重く、まるで、なにかを引きずっているかのように。
「……ッ」
教室に取り残され、失意のどん底にいた冬総では、秋在が放つ小さな違和感に、気付けなかった。
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