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 昼食を終えた後。  今度は、美術館に向かった。  正直……冬総はあまり、芸術に詳しくはない。  有名な絵画だったらなんとなく名前を知っているが、わざわざ美術館に行くほど好きというわけでもなかったのだ。  しかし、こうして美術館へ来てみると……存外楽しいものだと、冬総は思った。 「俺、学校の授業以外で美術館来たの……初めてだ」  壁に飾られた絵画を眺めて、冬総は声をひそめながら呟く。  秋在は美術品が好きなのか、一つ一つの展示品をじっくりと眺めている。 (そういえば……教室の床も、絵の具でグチャグチャにしてたもんな……)  秋在とのファーストコンタクトを思い出し、冬総は納得した。  あのときの関わりが、今に繋がっている。  ……そう思うと、とても感慨深い。  秋在は絵画を眺めながら、冬総と同じく声をひそめて話題を振る。 「学校の美術室にある、胸像。……フユフサは、好き?」 「胸像って、あの白い顔だけの彫刻か? うーん……好きとか嫌いって気持ちで見たことねぇかな」 「ボクはね、ヨカナーンに見えるんだ」 「……ヨカナーンって、誰だ? 有名な彫刻家、とかか?」  秋在を見つめるも、目は合わない。  ゆっくりと絵画を眺めて、秋在は答えになっていない言葉を呟く。 「サロメが命令したせいで、首を斬られた男」  どうやら、偉人かなにからしい。  後で調べようと思いつつ、冬総は秋在の言葉に耳を傾ける。 「もしも本当に、あの胸像がヨカナーンで……ボクが、サロメなら。……ボクはキスするよ」 「は……ッ?」  ――なんて言った?  ――キスをするって?  堂々とした浮気宣言に、冬総は大きめの声を出した。  気にした様子もなく、秋在は続ける。 「『わたし、貴方に口付けしたわ』……美術室でそう言うんだ」 「そんなの、絶対駄目だッ!」  思わず。  冬総は怒鳴るように、秋在に返事をしてしまった。 「秋在は『サロメ』って奴じゃない! だから、絶対に駄目だ! 秋在がキスしていいのは俺だけだろッ!」  まさか、ここで冬総が大声を出すとは。  予想外の出来事に、秋在は顔を、絵画から冬総へ向ける。  そしてそのまま……笑った。 「――うん。……ボクらは、目が合ったからね」  ――目が合うと、どうなるんだろう。  ――目が合わなかったら、違う答えが返ってきたのだろうか。  秋在はおそらく、その『サロメとヨカナーン』の物語をなぞっているのだろうが……もとの話を知らない冬総からすると、はてなマークしか出てこない。 (いったい誰なんだ、その【ヨカナーン】って奴は……! ムカつく、絶対調べてやる……!)  秋在が冗談を言っていたと思いたいが、本心だったのなら大問題。  顔も知らない【ヨカナーン】という男に敵意を向けていると、秋在が突然、、笑い出した。 「ふっ、あはっ!  ねぇ、フユフサ、見て?」  手を引かれ、慌てて秋在の方へ目を向ける。  そこにあったのは、一面が色とりどりのオレンジで塗りたくられた絵画だ。 「マヌケだねっ」  ――どのあたりがだろうか。  みかんの皮を拡大したようにしか見えない絵を眺めて、冬総は唸る。 「……秋在。浮気、しないよな?」 「うん、しないよ。フユフサだけ。……でもこれ、凄くマヌケ」 「そうなのか? 秋在は感性が豊かだな」  やはり、みかんの皮の拡大図にしか見えない。  しかし……秋在から浮気しないという言質をとった冬総は、満足だった。

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