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バケツの中に、月がある。
……といっても、水面に反射している月だが。
秋在はそれを、飽きずに数分間……眺め続けている。
そしてそんな秋在を、冬総は飽きずに見つめ続けていた。
「……楽しいか?」
「……どう、だろう」
真っ直ぐにバケツを覗き込む秋在が、冬総の問いに答える。
「前は、悲しいだけだった。でも、今は悲しくない。それを『楽しい』って呼ぶのなら、今のボクは楽しんでいるのかも」
同じ気持ちを共有したい、と。冬総は素直に、そう思った。
だから冬総も、秋在に倣ってバケツの中を覗き込む。
(……ただの月、だな。中途半端な形の、月だ)
しかし、秋在と同じ気持ちにはなれなさそうだ。
すると、不意に。
「……おっ?」
秋在の手が、動いた。
すっと伸ばされた手が、バケツにかざされる。
そしてそのまま……反射していた月を、隠した。
そうすると今度は手を引っ込めて、水面に月を映す。
そしてまた、手を伸ばして月を隠した。
「ふふっ、あははっ!」
秋在はその行為が楽しいのか、無邪気に笑っている。
こんな風に、秋在が声を上げて笑うのは……正直、珍しい。
だが。
(ンン……? 秋在が何で笑ってるのか、イマイチ分かんねェぞ……?)
冬総に共感は、できなかった。
それでも、秋在が楽しんでいるのなら理解したい。
そう思った冬総は、秋在に訊ねる。
「俺もそれ、やっていいか?」
「うん。いいよ」
秋在が手を引っ込めたので、今度は冬総が手を伸ばす。
そして、今度は秋在と同じように、手を引っ込める。
(……ヤッパリ分かんねェや)
ただ、月が消えるだけ。
なのに、秋在は。
「フユフサも、そう思ってるかは分からないけど……あのね。月は、夜空でたった独り輝き続けるお姫様なんだ。ボクは子供の頃、お姫様を助けられる従者になれなかった。だけど、それって当然だよね。ボクは、脆弱で無力で矮小な、ただの人間なんだもん。……ふふっ」
嬉しそうに、笑っていた。
(……じゃあ、いっか)
楽しそうに笑う秋在を見て、冬総も頬を緩ませる。
「秋在。……月が、綺麗ですね」
「フユフサ……?」
使い古された言葉。
けれど、冬総はこの言葉遊びを割と気に入っている。
秋在はキョトンと、目を丸くした。
しかし、すぐに。
「――いつでも、触れられるよ」
そう、答えた。
……この答えは、今の秋在だからこそ言える言葉。
この言葉を紡げたのは……紛れもなく、冬総のおかげ。
その答えを与えたのは、冬総なのだ。
しかし、当の本人は……。
(――それって……『イエス』って意味だよな?)
秋在からの言葉を、告白への返答という意味合いにしか捉えていなかった。
「確かに、触れられるな」
相槌を打ち、秋在の頬を撫でる。
秋在が今の返事をするのに、どれだけの気持ちを込めていたのか……冬総には、分からない。
それでも、幸福だということだけは伝わったのか。
「――秋在、好きだよ」
そう言って、触れるだけのキスを贈った。
9章【終戦後デイブレイク】 了
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