168 / 182
終章 : 8
春晴家で、冬総を出迎えたのは秋在で――。
「――いらっしゃい、フユくん!」
――は、なかった。
勢い良く玄関の扉を開いた秋在の母親に、冬総は驚く。
しかし、そんな冬総の反応はどこ吹く風。
「春になっても、相変わらずカッコいいわね~。アキちゃんがゾッコンなのも納得だわ~……!」
「あ、はは。……どもッス?」
「や~んっ! 思春期男子っぽい照れと困りの混ざった曖昧な笑顔~! アキちゃんったら、いい彼氏見つけたわね~!」
「え、えっと……どうも」
自分の母親とは対照的すぎるテンションに、冬総はたじろぐ。
決して、秋在の母親が苦手というわけではない。
むしろ、好感を抱いている方だ。
……ただ。
「アキちゃんったら、ご飯のときとかに『最近、フユくんとはどうなの~?』って訊くと、ノロケてくるようになっちゃって! 最初は『ヒミツ』とか言ってたのよ? なのに最近は、たま~にだけどアキちゃんの方からフユくんの話を振ってきたりしてね~? こんなにカッコいいお婿さんが来てくれるなら、春晴家の姑ポジションとしては、大歓迎よ! アキちゃんのベタ惚れっぷりったら、ほんっと~に凄いんだから~!」
どことなく秋在に似た風貌で、台風並の勢いで褒めちぎられると。
……どうしていいのか、分からなくなるだけだ。
まるでマシンガンのようなトークを全身に浴びつつ、冬総は母親について歩く。
「アキちゃ~んっ! フユくん来たわよ~っ!」
通路を歩いていた母親は、不意に声を張り上げる。
その顔は……浴室の方を向いていた。
「……秋在、風呂に入ってるんスか?」
「ん~……? まだ、入ってないと思うんだけど~……」
顎に指を添えた母親が、そう答えるのと。
「……いらっしゃい、フユフサ」
浴室から秋在が出てきたのは、同時だった。
普段と変わらず、無表情な秋在だが……。
――一つだけ、普段と違いすぎる点があった。
「――オイ、秋在……ッ? なんで、血まみれなんだ……ッ?」
――そう。
――秋在の服には、血のような赤い汚れがベットリと付着しているのだ。
秋在は自分の服を引っ張り、眺める。
そして、冬総の疑問に……短く、答えた。
「魚」
「……へ?」
「ちょっと待ってて」
それだけ言い、秋在はもう一度、浴室の方へと姿を消してしまう。
二人のやり取りを微笑ましそうに眺めていた母親が、丁寧な説明を始めた。
「アキちゃん、さっきまでお魚捌いてたのよね~。本当はフユくんが来る前にお風呂を済ませたかったんだけど、思ってたより魚相手に時間をかけすぎちゃったらしいのよ~」
「あ……そ、そうなんですか……?」
そう言われると、どことなく生臭さを感じる。
おそらく、リビングに隣接されているキッチンからだろう。
(魚の血、か……。よ、良かった……ッ!)
一安心した冬総を連れて、秋在の母親がリビングに向かって歩く。
その背に向かって、冬総は素朴な疑問を投げかけた。
「エプロンとか、つけなかったんスか?」
「あの服、もう要らないんですって~。ちょっと子供っぽいデザインだったでしょう?」
「……秋在らしいですね」
大小様々な星がプリントされていたパーカーは、確かに少し子供っぽいデザインだっただろう。
だが……あれはあれで、似合っていたのに。
そう思った冬総だったが、秋在の気持ちを尊重し、その点に関しては閉口した。
ともだちにシェアしよう!