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たとえば狂愛だったとしても

 深呼吸。深呼吸。  オロオロ道を歩きながら、そんな風に言い聞かせる自分は、滑稽だと思う。  それでも。 『今日、バイト帰りに、会って話がしたい』  意を決したみたいなメッセージに、跳ねた心。  また颯真に甘えてしまった情けなさを苦く飲み込んで、送り返したメッセージ。  その後続けて、バイト先まで行くねと送ったメッセージは、まだ既読になっていない。  大丈夫かな。行って嫌な顔されないかな。  不安に駆られて、逃げ帰りたがる足を叱咤して、目指したコンビニ。  あの日と同じ女の人が、神妙な面持ちで、レジの中の男の人と話している。  自動ドアをくぐって、キョロキョロと颯真を探したけど、姿はなくて。 「で、瀧川くんは?」 「うん、大丈夫って話なんだけどね。ごめんね、急に。お子さんとか大丈夫なの?」 「大丈夫です、今日は夫も休みでしたから。----それにしても、事故だなんて……」  大丈夫なのかな、なんて。  呟いた女の人の。  言葉に、ひゅう、と喉が鳴って。 「じ、こ……?」 「っ!? あ、すいません、いらっしゃいませ」  取り繕って笑った女の人が、慌てて言ってくれた声を、上手く聞き取れないまま。  喉がひゅうひゅう鳴るだけで上手く息が吸えずに、混乱する。 「そ、ぅま……じこ……?」 「!? お客様!?」  大丈夫ですか、と駆け寄ってくる女の人の、腕に情けなく縋る。 「じ、こ?」 「お客様!?」 「そ、ま」 「……お客様?」 「そぉまッ、----かぇ、し、てッ」 「--------店長! そこの紙袋取って、早く!!」 「ぇっ? えっ?」 「早く!!」  あわわ、とオロオロする男の人に、キビキビ指示を出すその人が、そっと背中に手を当ててくれる。 「大丈夫、落ち着いて。瀧川くんなら、無事だから」 「っ、は……っ、……ぅま、……ぶ、じ?」 「そう。大丈夫。だから、ゆっくり深呼吸して。……そう、上手。ゆっくりね」 「ど、どうしたの新海(にいみ)さん。その人は?」 「たぶん、瀧川くんの、お友達? かな? ……過呼吸発作ですよ。紙袋は?」 「ぇ? あ、これ?」 「ありがとうございます。----よし、じゃ、オネエサンと奥に行こう。ゆっくりでいいから」  ね、と優しく笑ってくれたその人に、涙目で頷き返す。  その人の、左の薬指に。  指輪を見つけた時に。動揺の一つが消えたことは、颯真には絶対内緒にすることにした。 ***** 「いぃぃぃってぇぇっ」 「そーまぁ、そーまぁ」  うわぁぁん、とくっついて離れないまま泣きじゃくる翔太を、オロオロ宥めるお父さんは、だけどオレに対して本当に真摯に頭を下げて、こうして病院まで付き添ってくれた。 「本当にすみません」 「いえ、ホントに大丈……----っぅいっ、て」 「わぁぁぁん、そーま、いじめちゃだめぇぇぇぇっ」 「っ、こら、翔太! お医者さん叩いちゃダメだろ」  ポカポカと小さな手で白衣を殴る翔太を、慌てて抱き上げたお父さんが、どうですか、と自分まで泣きそうな顔になって医師に問いかけたら。医師は笑いを堪え損なって引きつった顔で、大丈夫ですよと頷いてくれる。 「骨には異常ありません。まぁ、相当広範囲の擦り傷ではありますが、問題ないですよ」 「----よかったぁ」  はっはっは、と鷹揚に笑った医師が、びしゃびしゃと水みたいな何かを傷口にかける度に悶絶するオレを、哀れむみたいな表情で見下ろしていたお父さんが、肺を空っぽにする勢いで、安堵の息を漏らした。  走ってきたバイクに狼狽えて横断歩道のど真ん中で立ち尽くした翔太を守ろうと、オレとお父さんはほぼ同時に駆けだして。  立ち尽くす小さな翔太に気付いたバイクが急ブレーキをかけて、ギリギリ手前で停止するより前に、翔太を抱えてスライディングしたオレの、右膝から下が、ずる剥けになった。  バイクのお兄さんに助け起こされて、抱えた翔太をお父さんに手渡して。  じゃっ、と痛みを堪えて立ち去るはずだったのに。  ぼったぼた滴り落ちる、血だか体液だかに卒倒しかけたお父さんが、慌ててタクシーをひっつかまえて、バイクのお兄さんから名前と連絡先を聞き出した上で、近くの病院へ運んでくれたのだ。  会計を待つ待合ロビーのベンチで隣同士で座ったお父さんが、改めて頭を下げてくる。 「本当にすみませんでした」 「いや、あの、ホントに……気にしないでください。翔太が無事で、良かったです」  お父さんの腕の中で、指をくわえてしゃくりを上げる翔太の頭を、そっと撫でてやる。 「そーま、いたい?」 「んーん、大丈夫。もう平気だよ」  大袈裟に包帯の巻かれた足を、ぽんぽんと軽く叩いて笑って見せたら、ホッとした顔でふにゃぁ、と笑った翔太を。  だけど、ぽこん、と。軽くて優しいお父さんのげんこつが待っていた。 「いたぁい」 「ちゃんと信号は、右見て左見て渡りましょうって約束してるのに! 急に飛び出すなんて!」 「わぁぁぁん、ごめんなさぁいぃぃぃぃ」  ふわぁぁん、と元気よく泣く翔太が可愛くて、やれやれと頭を撫でてやりながら。  さて司にどうやって連絡とろうかと、悩み始めた時だ。 「ちょっと! 走らないでください!」  看護師さんらしき人の、怒る声を。  無視して 「そうまっ」  もう泣いてる顔が、飛び込んできた。 ***** 「まずね、瀧川くんは、ホントに無事だから。安心してね」 「っ……、ん」  こくこくと乱れた呼吸のまま、滲んで見える新海さんに、頷いて見せたら。  よしよしと優しく笑った新海さんが、口元に紙袋をあてがって、とんとんと背中を優しく叩いてくれた。 「大丈夫。上手に出来てるから。もう少し、ゆっくり。……そう、落ち着いてね」  背中を叩く、ゆっくりとした優しいリズムに合わせて、息を吸って吐く真似を繰り返す内に、真っ暗になっていた視界に、光が戻ってくる。 「ん、よしよし。もう大丈夫そうかな」  にこりと笑った新海さんは、オレの様子を見てホッとした息を吐いて、紙袋をそっと机の上に置いた。 「あたしは、新海ね。新海千春(ちはる)。君は? 瀧川くんの、お友達、だよね?」 「藤澤、司です。----っ、あの、そのっ……颯真は!?」  こくん、と頷いた後に名乗って、掴みかかりたい衝動を抑えながら忙しなく尋ねたのに。  大丈夫だよ、と笑った新海さんが、ぽんぽんと頭を叩いてくれた。 「事故に巻き込まれそうになった男の子を、助けようとして足をすりむいちゃったっていう話みたいなの。連絡も、本人からきたそうだし、大丈夫よ」 「--------っ」  よかった、と。声にならなかった言葉を、大きな溜め息と一緒に吐き出す。 「…………病院、教えましょうか?」 「ぇ?」 「今すぐ会いたいってカオ、してる」 「っ」  にこりと意味深に笑った新海さんが、待っててと席を外して、またすぐに戻ってきた。 「……瀧川くんね。少し前まで、ずーっとご機嫌でね。ホントに楽しそうにバイトして、楽しそうに帰って行ってたんだけど。……ここんとこ、凄まじく荒んでたの。なんかあったんだろうなって心配してたんだけど。……今日、藤澤くんがここに来たってことは、仲直りしたってことなんでしょう?」 「ぁ、の……」 「心配しないで。誰にも言わない」 「……」 「誰かが誰かに恋をするのは、とても勇気のいることだし。誰かと誰かが結ばれるのは、尊いことよ。男だとか、女だとか、関係なくね」 「ぁ……」  ふふ、と笑った新海さんが、店長の走り書きだから読み辛いけど、と小さなメモ用紙を渡してくれた。 「瀧川くんを、よろしくね」 「--------ぁ……はい」  さっと目を通した病院の名前は、章悟が運ばれたのと同じ病院で。また乱れかけた呼吸は、だけど新海さんが頭に載せてくれた手の平で、何とか持ち直す。  震えそうになった足で立ち上がったら、ぺこりと頭を下げて駆けだした。 *****  その場で泣き出しそうになっていた司は、だけど翔太に、つかさだと笑われてキョトンとしている内に泣き損ねたみたいで。 「ぇ? 翔太?」 「つかさ」  はしゃぐ翔太にじゃれつかれて、ぽかんとオレをみた司の顔が、安堵と混乱にオロオロするのを見つけたら、ふ、と心が和んだ。 「ごめんね司。心配かけちゃったね」 「ぁ……ぇと……」 「誰かにオレのこと聞いたの? 新海さん?」 「ぇと、あの」  困惑気味に頷こうとした司を。  遮ったのは、元気よく手を上げた翔太だ。 「はーい」 「へ?」 「…………あの……新海って?」  黙ってオレ達のことを見ていたお父さんまでもが、窺う目でそう口を開いて。 「バイト先に、新海さんていう、先輩がいて……」 「…………もしかして、コンビニ?」 「はい……?」 「………妻ですね、たぶん」 「はぃ!?」 「そうか、後輩に瀧川くんてイケメンがいるんだって、はしゃいでたんですよ。さっき名前聞いた時、どっかで聞いた名前だなって思ってたんですけど」  世間は狭いですねぇ、ホントにイケメンだし、とのほほんと笑ったお父さんは。  だけどはっとして青ざめた。 「……オレ、嫁に連絡してないや」 *****  結局、支払いを済ませた後に、新海さんがすっ飛んできて、オレの顔を見るなり深々と頭を下げてくれた。 「本っ当にごめんなさい。翔太のこと、助けてくれてありがとう」 「いや、もう、ホントに……」 「ホントに、道路に飛び出すなんて……」 「おかさん?」  きょとんとしてた翔太に、お父さんの時と同じように、優しくて軽くて、だけど愛情のめいっぱい籠もったげんこつを食らわせて。  大泣きする翔太を抱えたお父さんと一緒にもう一度頭を下げたら、司に意味深な目配せをして帰って行って。  台風みたいだった新海さん達を呆然と見送ったら、取り残された駐車場で、司と二人、お互いに顔を見合わせるしかない。  気まずいというよりも、呆気に取られたみたいな沈黙を、取り繕うみたいに軽く咳払いしたら、窺う目をした司に、そっと微笑ってみせる。 「………………とりあえず、オレん家、行こっか」 「……ん」  小さく頷いてくれた司の頭を、癖でぽふ、と叩いてから。ずる、と痛い足を引きずったら、オロオロした司が、ぎゅう、とオレの手を握った。 「肩」 「ん?」 「かす、から」  さっきまでのやり取りでどっかへ行ってたはずの涙が、またぶり返したらしい。  潤んだ必死の目が、オレを真っ直ぐ見つめてくるのにホッとしながら、ありがと、と呟いて甘えることにした。  華奢な肩に腕を回したら、一生懸命な目をして歩き出そうとする司の、今にも泣き出しそうな顔が痛々しくて。 「……ねぇ、司」 「……ん?」 「…………ごめんね」 「……なんで? なんで、颯真が謝んの?」  結局はべそべそと泣き始めた司の、オレを支える手に力がこもる。 「オレが…………ッ、オレが……逃げてたのが、悪いのに」 「……うん、でも。……事故とか言われて、びっくりしたんじゃないかと思って」  ごめんね、と重ねたら、ぶんぶん首を振った司が、ぎゅう、とオレを強く----確かめるみたいに強く、支えてくれる。 「こわかった。ホントに……そうま、いなくなったら、って……こわかった」 「うん、ごめんね」  もう一度謝ったオレに、だけどやっぱり首を振った司が、ぎゅっと唇を噛んだ後にそっと瞬きをして。頬を綺麗に伝った雫にみとれていたら。  濡れて束になった睫毛が震えて、泣き濡れた瞳がオレを捕らえた。 「でも、オレも、ごめんなさい」 「司?」 「そうまの、言うとおりだった。……オレ、ずっと、……まだ、全然、逃げてた。……章悟と、颯真は、違うのに。……章悟がいなくなったから、颯真もいなくなるかもって、……恐くて、逃げてた」 「つかさ……」  ごめんなさいと、ボロボロ泣く司を。  結局、----堪らずに抱き締める。 「そっ……ここ、外だよっ」 「いいから」 「そうまっ」 「いいから!」  慌てて離れようとした司を、強引に抱き締めて、離すまいと腕の中に閉じ込める。 「オレだって、恐かったよ。……条件反射で飛び出して、翔太のこと抱えた時。……死ぬかもって、思った時。……もう二度と、司に逢えないかもって、思った時。……恐くて恐くて、どうしようもなかった」 「そうま……」  ぎゅう、ときつく抱き締めた司の、肩に顔を伏せたのは、滲んだ涙を隠すためだったのに。  気付いたらしい司の手の平は、オレの頭をそっと撫でてくれた。 「だけど、もっと恐かったのは」 「うん?」 「司と、喧嘩したまま……二度と逢えなくなったら、どうしようって」 「……うん」 「また、司が……あんな哀しい目で、独りになるなんて……一人で遺してくなんて、耐えられないって、思ったんだ」 「そうま……」  そっと、淋しそうに笑った司が、頭をぎこちなく撫でてくれる手のひらを感じながら。  ぎゅっと目を閉じて、司を抱く腕に力を込める。 「オレも、恐い。…………----オレ、自分が恐い」 「……そうま?」 「連れてけないとか、言ったくせに……どっかで生きてて欲しいって思うとか、綺麗事言ったくせに……あんな淋しがる司、置いてくくらいなら……、連れてくって、思ったんだ」  ----そう。  あの、バイクの前に飛び出した瞬間、今すぐ司を連れて、一緒にいきたいと、思ってしまった。  独りにするくらいなら、----殺してでも一緒にと、思った自分の。  これは、本当に、愛なのだろうか。  だけど腕の中に収まっていた司が、ふふ、と。軽やかに笑って。 「ありがと、そうま」 「ぇ?」 「ありがと」 「……つかさ?」 「つれてって、くれるんでしょ」 「つかさ」 「ありがと」  覗き込んだ先。  司は、泣いたまま微笑っていた。 「だって、やっぱり……連れてってって、思ったもん。……あんなに、颯真が、言ってくれたのに。……納得した、はずだったのに……独りにしないでって、思ったもん」 「つかさ……」 「ずっと恐かった。大好きなまま、いきなり失くすのが、ずっと恐かったんだ」  ポロポロと泣いた司が、ぎゅう、とオレのシャツを掴む。 「連れてって。どこにでも。颯真のこと、好きだから。----もう絶対、離れたくないから」 「司……」 「約束して。破ったら、赦さない。----一生、傍にいて」  泣いたまま真っ直ぐ見つめてくる司の、愛が。  重たくて眩暈がするのに、だけど今まで誓いたくて誓えなかった、傍にいる、を。約束できるチャンスは、今しかないんだと。  思ったら、すんなり頷いていた。 「約束する。絶対、司の傍にいる。----絶対」  放った約束に、返ってきたのは華やかな笑顔。  ----自分達は狂っているのかもしれないと、ほんの少し不安になったけれど。  だけど目の前で、これ以上ないほど幸せそうに笑う司をみていたら、どうでもよくなるから、多分。狂っているのも壊れているのも、二人とも同じなんだと思う。  それならいいやと、笑って。 「よし、帰ろう」 「……ん」  二人三脚みたいに、歩き出した。

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