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香る一夜
「ソファがいいですか、それともベッドが?」
まるで卵の焼き方を尋ねるくらいの軽さだなと斎藤は思わず笑う。
「ソファも楽しそうだけど、初めてはベッドで」
「………次回もあると?」
「うーん、相性次第、かな」
店主はソファから立ち上がると斎藤の手をやんわりと引きながらカーテンで仕切られていた店の奥に誘う。
斎藤が奥の部屋に入ると店の灯りを消した。
「いいのか?他の客…」
「いいんです、今夜のお客様はあなただけですから」
店の奥の部屋の灯りを店主が付けるとごくシンプルな家具だけの広いとも狭いとも言えない広さの空間があった。
置かれているのはダブルサイズのベッド、サイドテーブル、
ベッドの脇にはローテーブルとローチェスト、
ベッドの反対側には小さなキッチンがあり、
その奥にドアが2つ見えた。
「お先にシャワー使いますか?」
ローチェストから出したタオルを渡しながら店主が斎藤にキッチン奥の右側のドアを指し示しながら言う。
「バスルームにバスローブがありますからそれを」
「一緒に入るのは?」
斎藤が腕を伸ばし店主の腰を引き寄せると、店主の手が斎藤の胸に置かれた。
「わ、私は準備があるので後で…」
「その準備は俺じゃできない?」
店主が驚き顔を上げる。
その頬はうっすらと赤く染まり、先程までは年上かと思っていた店主が急に年下に思えるほど初々しくかまいたくて仕方がなくなった。
頬だけではなく同じように染まった耳に唇を寄せながら斎藤が意識して低く囁く。
「名前、教えて」
びくっと身体を揺らした店主が耳を押さえながら斎藤と距離を置くと腰を抱いたままだった腕が容易に店主の身体を引き戻した。
「耳、弱いの?」
ふるっと首を振り、店主が斎藤から顔を背けたまま口を開く。
「あなたの声が…」
「俺の、何?」
「あなたの顔と声が…好みなんです」
これはいい事を聞いた。
どこまでが本当でどこからが誤魔化しなのか、そんなことはもうどうでもよかった。
店主のこれまでやこれからの言動が全て嘘でも騙されてやってもいいとさえ思ってしまっている時点で自分の負けは確定しているのだろう。
そもそもがここは店主の領域、どこまでも自分には分が悪い。
その領域の中で嘘だとしてもいい気分にさせてくれているならそれに乗っかるしかないだろう。
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