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迷う二夜
「斎藤様」
斎藤は深いため息を吐き出すとゆっくりとしおりを紫音の手のひらに乗せた。
そのまま紫音の手をぎゅっと握る。
顔を上げ紫音の目を見つめながら斎藤は握る手に力を入れる。
冷たかった紫音の手が斎藤の熱でじんわりと温まるまで斎藤は紫音の手を離さなかった。
「一つ、聞いてもいいかな」
「私がお答えできることでしたら」
「紫音が探してる人って?」
「黒川清悟」
「総理大臣…!?」
斎藤の驚く顔を見た紫音がふふっと笑みを零した。
「冗談です、すみません。
先程の質問にはお答えできかねます」
力の抜けた斎藤の手から紫音の手がするりと逃げてゆく。
そのまま立ち上がった紫音を見上げ、斎藤も腰を上げた。
来た時と同じように店の入り口まで導かれ、ドアが開けられる。
本当にこれで最後なのか。
みっともなくてもいい、何か、何か紫音を動かす言葉を。
落ち着きのなくなった斎藤の背中に紫音の手が添えられる。
「斎藤様、今日お煙草をお持ちですか?」
「え?煙草?うん、持ってるけど……」
「一本いただいても?」
うん、と頷いて斎藤が煙草を取り出す。
はい、と差し出された箱から一本を抜き取ると紫音は片手でそれを包むようにそっと指を折った。
背中に添えた手で導き、店の外に出た斎藤を紫音が見上げる。
「どうか、お元気で…………」
涙声のような紫音に斎藤が振り返った時にはドアはもう閉められていた。
呼び鈴を鳴らすが、さっき鳴ったはずの呼び鈴がいくら押しても今は鳴らなかった。
住む人もなく、訪ねてくる者をも拒むように音の消えた建物を前に斎藤はしばらく立ち尽くしていた………
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