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第4話

薄汚れたビルは、長年、雨風にさらされてきたせいか、外壁に大きなシミができていた。3階の入居者のリストには「夜神司狼探偵事務所」の名前が入っていた。 ビルに入ると、澄はひんやりとした空気に身震いした。周囲をキョロキョロと見回す。「非常口」という緑色の電光表示。傷だらけのえんじ色のエレベーター。色の褪せたタイルを敷きつめた床。 奇妙なのは、ここには「奴ら」の気配が全くないことだった。電灯の裏にも、扉の隙間にも。 落ち着かない様子の澄に、雁がエレベーターに案内しながら、「気味の悪いビルだろう?」と話しかける。 「ここは、まさに霊能探偵が住む場所だと思うね。あちこちから怨霊たちのうめき声が聞こえてきそうだ。あっ! 君はお化けが見えるのだったね!! こんな澱んだ場所に留まるのは大変なことだろう」 雁が体をのけぞらせて大袈裟に言うので、澄は「逆、ッスね」とモゾモゾ言う。 「消毒剤をぶっかけた池、みたいな感じかな。きれいな水だけど、誰も住めないような……」 3階に着くと、余計に澄は「静けさ」が気になった。「清浄」という言葉が似合う空気かもしれない。だが、人工的で不自然だった。 雁は澄の言葉が全く理解できなかったようで「へえ、これがきれいだとはね」と顎の下に手をやっただけだった。そして、エレベーターをそそくさと降りると、カツカツと革靴の外を鳴らして廊下を歩く。 「夜神司狼探偵事務所」 プレートのかかったビルの一室のドアを、雁がノックすると、「どうぞ」という低い声が聞こえた。 部屋の中はスチールのラックと書類ケースが所狭しと並んでいた。長机がいくつもあるが、その上に黄ばんだ紙束が積み上げられ、天井まで高くそびえている。ホコリっぽく、蛍光灯はチラチラして切れかけだった。 「また連れてきたのか」 男は、艶のない黒い髪を顎まで伸ばしていた。無精髭が頬から顎にかけて伸びっぱなしで、しわくちゃの黒いシャツとパンツを身につけている。ゴツゴツした顔に、窪んだ目。その瞳はうつろで光を宿してなかった。 「夜神先生、今回は本物です。彼には霊感があります」 「お前、いっつもそうやって連れて来るじゃねえか。センスが無ぇ奴がいくら引っ張ってきても……」 そう言いかけて、夜神の視線が澄で止まる。居心地が悪くて目をそらす。 「雁、お前、妙なもの拾ってきたな」 「先生! 彼にご興味もっていただけますか? ほら、君、履歴書出して!」 雁に言われて、澄は慌てて持ってくるように言われていた履歴書を渡そうと、カバンを開けるがそのままひっくり返してしまった。指が上手く動かない。 「おいおい、しっかりしろよ」 夜神が床に散らばった澄の荷物を拾おうと、歩み寄ってしゃがむ。とっさに後ずさりをしてしまった。彼は、こちらを見上げてニヤッと笑った。 「俺にビビってるのか。可愛いやつだな」 そう言われて、頬がカッと熱くなった。

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