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第7話

体が火照る。澄は、右へ左へ何度も寝返りを打って た。大きな手がそっとひたいに当てられる。その手が心地よくて「ずっとそうしていて欲しい」とぼんやりと思う。 だが、すぐに手は離れていった。 誰の手だろうか……。こんなふうに、誰かが優しく自分に触れた記憶。きっとこうされるのが心地よいということは、子どもの頃に自分を撫でてくれた人がいた。 誰だ……あれは誰だ…… 朦朧としながら、寝返りを打つ。熱い、息が苦しい。首筋を汗が流れ、そこに髪がはりついて気持ちが悪い。 「だれだ……」 喉からうめき声が漏れた。そのとき、男の低い声が響いた。 「ああ、俺だ。そう、そうなんだが……」 ボソボソとした喋り声が聞こえて、澄は目を開いた。染みだらけの天井に、チカチカと点滅する切れかけた蛍光灯。何度か瞬きすると、自分が夜神司狼探偵事務所の簡易ベッドで寝ていたことを思い出す。 体が重く、力が入らない。やっと思いで体を起こすと、髭面の男がケータイを片手にこちらをチラリと見て、「ああ、本人も今起きた」と電話越しにと喋っている。 「くそ、あいつ、オレに何しやがった……」 記憶をたどれば、あの男が何やらブツブツ言って、澄の手を取ったあと、猛烈な眠気に襲われてしまった。自分の手のひらを見る。彼がなにかをした。さっき、ひたいに手を当てたのも、あの手だったのだろうか。澄はギッと目を細めて、手のひらのシワを睨んでいた。 「おい、どうした?」 通話を切った夜神が、澄に近づいてくる。「お前のせいだろ」とこれを睨みつけた。 「悪いな、予想外だった。お前の緊張の糸を切っちまったらしい」 彼は苦笑して、指先でチョキンとハサミで糸を切るジェスチャーをして見せた。 「疲れが出たんだろう。しばらく体を休めろ」 「なにいって……オレは疲れてなんかいねぇ!」 そう吠えるつもりだが、体に力が入らず、予想以上に弱々しい声になってしまった。「クソっ」と拳をベッドに叩きつけた。金属製のパイプが少しだけ揺れた。 「オレはずっと上手くやってきた。これからもやっていける」 「わかった、わかった。体調が戻ったら、またその話は聞いてやる」 駄々をこねる子どもをあやすような夜神の口調が耐え難い。今すぐ、この部屋を出て行きたい。澄はよろめきながら、ベッドから立ち上がろうとした。だが、足がぐらついてバランスを崩す。 「おっと、危ない。無理するな」 夜神の分厚い体に支えられ、「くそ、やめろよ」と抵抗しようとする。彼に抱きすくめるように抑えつけられ「どうどう、落ち着け」といなされる。 「こう見えて、俺はお前を気に入ってるんだ。悪いようにはしないから、おとなしくしてろ」 「そんなこと言うやつを信じられるか!」 「ったく、ガキはオッサンの言うことを素直に聞けよ」 そう言うと彼の腕がゆるむ。その隙に抜け出そうとしたが、両の頬を手でギュッと挟んで覗き込まれた。 「きれいな顔してるねえ。無垢で穢れのない、澄んだ魂」 男の穴ぼこのような漆黒の瞳がこちらが見つめてくる。「ひっ」と喉が鳴った。 「澄……」 低い声で囁かれて「はなせ……はなせっ!」と声を絞り出す。 食われる……その恐怖だった。男は、あの化け物たちと同じ目をしていた。 その瞬間、ガチャリと大きな音を立てて事務所の扉が開いた。 「夜神先生!! お待たせしました、お迎えに上がりました!」 白いスーツを着た、長身の雁が満面の笑みを浮かべ、片手をあげて、そこに立っていた。 しかし、ベッドの上でもみ合う夜神と澄を目にして「おっと、お取り込み中でしたかね」と気まずい表情を浮かべた。 「いや、ちょうど良かった。この暴れん坊の子犬ちゃんを連れて帰ってくれ」 夜神は肩をすくめ、雁にそう言った。

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