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第9話

ふらつく体を、ほとんど雁に抱きかかえるように支えてもらい、湾岸沿いのタワーマンションの一室に通された。てっきり一人暮らしだと思い込んでいたが、中から「おかえりなさい」という男の声がした。 「嶌川(しまかわ)、悪いな、面倒ごとを増やして」 「いいえ、雁さんの客人ですから」 出てきた嶌川という男は、銀色の細身のスーツに身を包み、静かに微笑んでいた。細い目は笑うと線のようになる。だが、それが心からの笑みであるかは判断がつかず、澄は「世話になります」とぶっきらぼうに言った。 「ねーえ、お客さん?」 甲高い声がすると、パタパタとスリッパの音を鳴らして女の子が飛び出してきた。澄の顔をぱっと見ると「あっ」と声を上げ、嶌川の影に隠れた。 「瑠衣(るい)、今日からこのお兄さんの面倒見てやってくれよ。お前がお姉さんだ」 瑠衣は「えー?」と首を傾げてこちらを見てから、恥ずかしげに嶌川のスーツの裾を引っ張った。 澄は「子持ちだったんすか」と呟くと、雁が「僕の娘みたいなもんだな」と笑う。 「さっき言ってた弟の忘れ形見だ。可愛いだろ」 雁にソファに座らされると、澄は「オレ、マジで帰ります」とうつむいた。 「迷惑かけんの、ほんと無理で……こんなの……」 そう言いかけると、嶌川に体温計を渡された。 「澄くん、これ、脇に挟んで。顔が赤いし、息も苦しそうだから熱上がってるんだと思うよ」 断ろうとするが、嶌川は澄のそばでひざまずいて「雁から話は聞いてるから」と有無を言わさず、体温計を受け取らせる。 「アンセルフィッシュの大事な人材なんでしょ? 変な遠慮はする必要ないよ」 「そうと決まったわけじゃ……ていうか、なんでこんなことに、オレ……」 体温計を見つめていると、嶌川が「雁の話に巻き込まれたんでしょ? わかるよ、私も似たようなものだから」と困ったように笑う。 「あの、嶌川さんは……」 「私は雁の秘書みたいなものだよ。アンセルフィッシュの事務局長だしね。あとは見てのとおり、生活のお世話係かな」 雁は「経理もだろ?」と横から言う。嶌川はため息混じりに「経理はそろそろ専門のプロを雇いましょう」と答える。 「澄くん、きっと雁さんは君には何も説明してないんだろう。体調が良くなったら、私から説明するか心配しないでいいよ。君が、この家に来て、ゆっくり休むのもアンセルフィッシュの業務だと思って」 そう言うと嶌川は「ね」と片目を閉じてウインクをする。 その嶌川にぴょんと飛びつくようにして、瑠衣が顔を出す。 「きれい。ほんとにきれい」 まじまじと瑠衣に顔を覗き込まれて、澄はそっぽを向くと、「わかった、説明してくれよ」と言うと体温計を脇に挟んだ。

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