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第2話
しのぶ君がデートに指定したのは、うちの大学生の間では有名な、そこまで大きくない水族館だった。大学最寄りの駅で落ち合って、電車に乗り目的の場所へと向かった。
講義が少ない平日に予定を合わせたため、館内はそこまで混雑していなかった。休日には響き渡る小さな子がはしゃぐ声や中高生が騒ぐ声もなく、薄暗く静かな館内で、大きな水槽の家主がマイペースに僕らの前をスーッと通り過ぎていった。こんにちは、そちらの住み心地はどうですか。
「はじめさん、あっち。」
「ん?」
「ヒトデとかにも触れますよ。」
しのぶ君が指差した方を見ると、スタッフが手作りしたのだろう可愛らしいPOP体の文字で、ふれあいコーナーと書いてあるカラフルな看板があった。子供も手が届くような浅い水槽にヒトデやら小さなカニやらがもちろん生きたまま展示されている。あれ、僕もしかしたらこういう場所で、実際に触ってみたりしたことないかもしれない。
「触ってみてもいいかなぁ。」
「許可とることでもないでしょ。どうぞ。」
「あはは、確かに…わぁ…。」
意外とヒトデは硬く、ゴワゴワとしていた。フニフニ柔らかいものなのかなと思っていたので、ちょっと意外だった。掴んで持ち上げて裏側を見ると、ぶつぶつ細かいひだがびっしりとつまっている。こんなに間近で観察したことがなかったので、ちょっと楽しい。あ、この子は表面撫でるとさっきの子よりもちょっとすべすべしてる。ヒトデにも個性があるんだなぁ。面白い。夢中でいじってると、不意にしのぶ君の視線を感じた。
「あ、ごめんね。次行こうか。」
「いや、まあいいんですけど。」
−−−
平日といえど、水族館の売りであるイルカショーには人が集まっていた。そこまで大きくはない施設だが、観客席の半分ほどは埋まっている。しのぶ君に座りたい席を伺うと、せっかくなので前の方に座りましょうと促された。一応服が濡れないようにしようか、と係員のお姉さんからビニールのカッパのようなものをもらい、服の上から羽織った。
小さな水族館ながらも力をいれているのか、イルカショーはなかなかに盛況だった。イルカが水しぶきをあげればそこらかしらから悲鳴が上がり、飼育員を真似するように手を振れば、また別の声色の悲鳴が上がっていた。
「お客さん、すごい盛り上がってたね。小さい子なんて歓声あげて喜んでたね。」
「そうっすね流石力入れてるだけありましたね。」
「ここの水族館で、イルカショーが1番好きかもなあ。」
「は?」
しのぶ君はぽつりとそう呟くと足を止め、どうしたのかとしのぶ君の方を振り返った僕の目を真っ直ぐと見つめていた。その瞳はあまりにも真っ直ぐで、僕の目を、実に空っぽだと言われる脳みそを、頭蓋骨を貫いて僕の頭の風通しをよくしてしまうんじゃないかというくらい、力強さがあった。
なんていうか、しのぶ君って、僕のことをすごい目で見るなあ。
「あんたがイルカショーが好き?女にでもそう言われたんですか?」
はじめって、本当イルカショーが好きだよね〜。可愛い〜。
確かに、そんなこと前の彼女に言われたことがあるかもしれない。言われて思い出したけど、そういえばここの水族館、いつか付き合っていた女の子と一緒に遊びにきたことがあった。なんとなく初めて見る気がしないなと展示を見て回っていたが、今の今まで思い出せなかった。結構前の彼女だったのだろうか。
「イルカショーのどこがいいんですか?」
「え?しのぶ君はそんなに好きじゃなかった?あんなに会場盛り上がってたのに…。」
しのぶ君は止めていた足をまた動かし、僕と並んで歩く。心なしか、先ほどより歩みが早い。怒ったのかな?でも声に怒気はそんなに含まれていない気がする。二人でイルカショーの会場を出て、水族館の出口に向かって足を進める。館内の展示は大体回り終えた後にイルカショーを見たので、水族館に訪れてからそれなりに時間が経っていた。あとはグッズ売り場でも回って帰る感じだろうか。
そう思っていると、前の方を向いていたしのぶ君の鋭い目が、また僕の方へと向けられて、僕のやっぱり空っぽな頭を見事に撃ち抜いた。
「はじめさんの感想、イルカショーについてじゃないんですよ。イルカショーを見てる周りの反応にしか言及してない。それよか、ヒトデとかカニとか触ってる方が夢中になってましたよ。どう考えたって、はじめさんはそっちの方が好きだ。」
そのしのぶ君の言葉を空っぽの脳みその入り口に含んで、咀嚼して、味わって、飲み込むまでに体感10秒くらいは必要だったように思う。あれ?確かに、そうかもしれない。ヒトデとか触るときはちょっと時間を忘れるぐらいまで触っていたかもしれない。でも、イルカショーは?みんな楽しそうだなぁって思ってたけど、じゃあ僕はどうだったんだろう。イルカ、可愛いなとは思ったけれど、もっと近くで見たいな、とか触りたいな、とか思っただろうか。
しのぶ君の言葉を受けて、目も口も開いたままの状態になっている僕を見て、しのぶ君はちょっと呆れたような顔をしてから、堪えきれず漏れ出てしまった、と言ったような調子で笑っていた。
「はじめさんって、ほんとに自分のことわかってないですよね。」
なんだかしのぶ君は、僕以上に僕のことをわかっている気がする。
そのあとしのぶ君はそのまま水族館の出口へ向かっていってしまった。そして出口にある小さな売店で、はじめさんが夢中になってかまってたヒトデがいますよ、というので、僕はそのヒトデのキーホルダーを買って帰った。
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