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第4話

 ◇◇◇◇  キッチン君津はもともとシオリの母方の祖父、島根(しまね)ゴロウが純喫茶として長年営業をしていた。  シオリは高校卒業後定職には就かず、ふらふらと世界を放浪していた。日本にいる時はほぼニート。もしくはゴロウのうちでたまに喫茶店を手伝っていたのだが、数年前、ゴロウの隠居を機に店を継いだ。その際喫茶ではなく、独断で定食屋に鞍替えをした。  店を構える白面通り商店街は、駅のロータリーから続くメイン通りの光苑寺温情商店街から一本脇にそれた、レンガ敷きの比較的落ち着いた通りである。  白面、という名前の通り、老若男女の呑兵衛が集まるこの街には珍しく、エリア内では五十年前より酒類の販売・提供を禁じている。  どうしてそんなルールができたかは不明で、そこで商売をしているものですら、その理由をきちんと説明できない。だが不思議とルールだけが生きている。禁を破ると恐ろしい不幸が降りかかるという噂もあるが、破るものがいないので真偽の程は不明だ。  全長三百メートル程しかないこの通りは、それでも不思議と、いつの時代もそれなりに愛されている。  とはいえ他の通りの例に漏れず、昨今店舗の入れ替わりは激しい。  現在はキッチン君津の他に、夜九時から開店して朝閉店するカフェや、ゴシックテイストの古着屋、製麺から店で行っているつけ麺屋、古書店、金物屋、易・占い、熱帯魚屋などがある。商店街の裏玄関、ワセ田通りに面した大きい建物は元丸不動産の社屋になる。  元丸不動産の社長、聖天元丸(せいてんげんまる)は六十代半ば、シオリの祖父であるゴロウより少し年下だが、古くからの友人であり、光苑寺北エリアを総括する北口のボスである。  職業柄か、金にうるさそうなところが多分に見えるし、それをも隠すつもりも毛頭ないようだ。現在はヒキガエルのように横に伸びてしまったが、若い頃はそこそこ見られた容姿だったのではないだろうか。また、シオリはいたずら坊主の時から知られているので頭が上がらない。  シオリの店ではランチの営業をせず、夕方五時から日付が変わる十二時まで営業している。定休日は日曜のみだ。 「あのー、すみません」  仕込みをしていると、制服姿の男の子が扉を開けて声をかけてきた。準備中の札は出しているのでチラリと様子を伺う。 「すみません……お忙しいところ」 「ううん。別にいいけど、何?」 「表の貼り紙を見て……あの、バイト募集ってまだやってますか?」  近頃の高校生は日本語も読めないのかとシオリは小さくため息をついた。そんなシオリの様子に、男の子は必死な様子で続ける。 「俺、長良リョータっていいます。高校生ですけど一生懸命働きますので、雇ってもらえませんか?」 「ごめんね、外にも書いてるけど高校生は募集していないんだ」 「時間に制約があるからですか?」 「う、うん……まあそうだね。ほら、うちは十二時閉店までわりと途切れずにお客さん来るからさあ」  本当は高校生みたいな子どもが好みではないだけなのだが、私情が多分に入っていることなのでそこはやんわりと濁す。 「うそだ!」 「へっ?」 「ここ二週間、平日と休日、昼間や夜などいろんな時間帯にこの店を観察していましたけど、お客さんのピークはだいたい十九時から二十二時前までですよね。土曜もだいたい一緒だ。二十二時以降は、それほど客数は多くないはずです」  まさにリョータの言う通りだったので、シオリは面食らった。そういえば、最近仕事の合間に表の様子を窺うと、目が合う高校生がいたのを思い出す。 「ああ、そういえばうろちょろしてるちっこいの、いたなあ。お前だったか」 「……ちっこいのは余計です」  リョータは一瞬むっとした顔を見せたが、真剣な様子でシオリに詰め寄った。 「二十二時まで一生懸命働きます……だめですか?」  正直、シオリの心は揺れていた。実を言えば長くいてくれたアルバイトの子が就職を機に辞めてしまい、その後なかなか人が居着かないのだ。  たまに面接に来るのも正直、回れ右してお帰りいただきたいタイプばかりで、目の前にいるリョータが一番まともにみえる。思わず気持ちが揺らぎそうになるが思い直す。高校生など、いろいろ面倒そうだ。 「うん、悪いな。卒業しても気が変わらなかったら、また来てよ」  きっぱりと断るとさすがにそれ以上は詰め寄ってこなかった。そうなるとほっとしたくせに気の毒になってしまい、帰ろうとするリョータをなんとなくそのまま返すのも忍びなくて、せめて飲み物でもと、冷蔵庫にあったコーラを取り出した。 「こんなんで悪いけど、持ってって」  がっくりとうなだれたまま、リョータがコーラを受け取ろうとする。その時リョータの掌の痣が目に入り、釘付けになった。右手親指の付け根、いわゆる母指球と呼ばれる場所に、小さなひょうたん型の赤い痣がある。 「わっ、なにするんすか!」 「お前、これ……」  いきなりぎゅっと手を握ったことに驚いたのか、リョータが目を見開いた。シオリを見上げる顔がなぜかみるみる赤くなる。 「ああ、これは生まれつきあるんです。ひょうたんの形に見えますよね。結構珍しがられたんですけど……ってえっ?」  ひょい、とシオリがリョータの目の前に掌を突き出すと、目をまるくしたリョータが今度はシオリの手を握った。 「そっくり…………ですね」  手を合わせるとちょうど重なる、シオリの左手の同じ場所にも、同じようなひょうたん型の痣がある。リョータがまじまじとそれを眺めていた。 「おい……いつまでそうやって見てるんだよ」  珍しい偶然だということはシオリにもわかるのでしばらく好きなようにさせていたが、それがあまりにも長い時間なので、いい加減うんざりしてリョータの顔を覗き込んだ。 「ちょ……おまっ、なに? ど……どうした?」  リョータははらはらと涙を流していた。慌てふためいたシオリが声をかけても、放心したまままったく反応しない。 「おいってば。リョータだっけ? おい、リョータ!!」 「…………やっとだ」 「なんだって?」 「……ったく……永すぎ……んだよ」  がくがくとリョータのからだを揺さぶっていると、切れ切れに何かをつぶやいて、やっと瞳の焦点が合った。 「大丈夫か? おい」  尋常じゃない様子に本気で心配になった頃、リョータは我に返った。制服の袖でごしごしと乱暴にをぬぐっている。 「あれ……? ってなんで泣いてんのオレ」 「えっとさ、いつから来れんの?」 「は? えっ……? 今までのだめってやつはなんだったんだよ!」  望んでいたこととはいえ、突然の心変わりに納得がいかないのか、リョータが憮然としている。 「そうだよな。だけど俺もお前に聞きたいことができたもんで」 「なん……ですか?」 「そもそもお前はなんで、こんな定食屋でバイトしたいって思ったんだよ。この界隈なら、マックにミスド、コンビニもある。高校生がバイトしたがるような場所はいくらだってあっただろう」 「そう聞かれると、よくわからない。でもシオリさんを見て、なんか心の中がざわざわして、ここにいなきゃいけないって思ったんだ」  さすがにリョータも気恥ずかしくなったのか「あまりに子どもじみた理由ですよね」と目を伏せた。シオリは首を振り、今日初めて真面目な顔になった。 「俺も同じだ」 「えっ?」 「その痣。昔からじいちゃんに何度も言われてる。同じ痣を持つ人に出会ったら、絶対に逃すなって」

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