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第8話

 翌朝、シオリは店でサンドイッチをこしらえてゴロウのうちに向かった。 「タマゴサンドは、まだまだワシの足下にも及ばないなあ」 「うっせ。君津のメニューにはないんだからいいんだよ! 文句があるなら食うな」  それでも涼しい顔でぺろりと平らげてしまう。細い体だけれど、ジジイになっても食欲が衰えないのは我が祖父ながら感心する。 「で、リョータくんは? その様子だと無事だったのかな」 「…………飛び込んだんだってさ、電車に」 「ん?」 「昨日リョータの中に入っていたヤツ。俺がアレをして…………結果的に除霊したんだろ?」  よくわからないし混乱していたが、突然感情のようなものが流れ込んできた。  リョータに取り憑いたものは、昨日隣の駅で人身事故を起こした。理解するとその瞬間までが鮮明に映像化されて、シオリはもどさないようにするのが精いっぱいだった。 「そうか……でもお前が行ったのは、除霊じゃない。消去だ」 「消去?」 「消失でもいいかな。天国も地獄も、生まれ変わりも――そういうのを全部取っ払った無にする。概念みたいなもんだから呼び方はなんだっていいんだが」  なんで俺が、という思いは正直ある。だが痣がひょうたんだと認識できるようになってからは、自分には逃れられないものが降りかかってくるということだけはゴロウから繰り返し聞いていたから、もうあきらめなくてはならないのかもしれない。 「これからはお前も古い資料を読むんだな。逃れられない自分の宿命なんだから知っておくべきだ」 「知るって、何をさ」 「ワシにもよくわからん。だがこれから、お前とリョータくんにはいろんなことが起きるだろう、確実に。思考停止でボーッと受け止めてたんでは、命取りになることもあるかもしれない」 「…………大げさじゃない?」 「少なくともワシは、大げさだとは思わない。お前とリョータくんがこの時代に、この場所で巡り逢ったのは、必然なんだろうから」  淡々と述べているが、ゴロウが自分を案じているのは痛いほどわかった。意識してみればリョータと出会ってから、人の心の流れに敏感になっている気がする。ゴロウが宿命を負うのが自分ではなくて、孫のシオリにいってしまったことを悔やんでいることも伝わってくる。 「こんなのが続くんだな……」 「まあ、それもお前の代で終わりだろう」  一族で苦労したり苦しむ者がでるのは。という意味だろう。己の性的指向を自覚し、家族にバレた時も、両親もゴロウも目を丸くしたが、それだけだった。その時はなんて理解のある家族なのだろうと思っていたが、違う思惑もあったのだと今さらになって気付く。  代々、奔放な性格の者が多いらしい。かつてのシオリも、現在の両親もそうだが、世界中を放浪する者も少なくない。  生きていくこととは、人生とはと、大きすぎるテーマを考える機会が多いからかもしれない。 「リョータの方も、そういう一族なのかな?」 「ちょっと調べたが、あの子の母親は自分の親の顔も知らないような生き方をしてきたみたいだ。子ども、つまりリョータくんも行きずりの男との間にできたようだから、両親どちらの一族の話かはわからんな」 「そう……しかし仕事が早いな」  事情を知っていても知らなくても、面倒であることには変わりない。  その後も君津のお客さんからリョータに乗り換えた霊や、この間のように人身事故でホームからそのままやってくる霊など、成仏じゃなくて消えてなくなりたい霊は思いのほか多いみたいで、週に一度以上はそんなことを繰り返した。  まだ高校生のリョータに自分と同じ重荷を背負わせるのは忍びなかったが、幸いリョータは、取り憑かれてから目を覚ますまでの記憶がぷっつりとなくなってしまうようだった。だから、今のところ抱え込むのはシオリひとりだけでよいのが救いだった。 「シオリさーん、アジはあと何匹開いとけばいいの?」  接客や店の中の一通りの作業だけでなく、包丁さばきまでも様になってきた近頃のリョータ。シオリのまかないおかわり無制限の誘惑に乗せられ、フライ用にアジまでさばくようになってしまった。  できる限りの手作りにこだわりたいため、君津ではアジと白身魚などの魚介類は、パン粉をつけて揚げる直前までの状態にして冷凍している。 「そうなー、そこにあるの全部?」 「なんで疑問系? シオリさんも手伝ってくださいよ」 「俺はこっちでキャベツやっつけとかないといけないから」 「あれ、キャベツロボットは? また機嫌悪い?」  リョータに「社員かよ」とからかうと真っ赤になって怒るが、キッチン君津の事情に詳しいのは一目瞭然だ。 「頼むよー、終わったらまかないのミックスフライをオニ盛りにしてやるから」 「マジで! じゃあ頑張る」  学校の中間テスト明けだとかで、いつもより早く出勤してきたリョータがアジの仕込みを終え、オニ盛りフライ定食を食べていると、外の通りからアイス片手に手を振る男がいた。シオリの眉間には深ーいシワが寄る。 「あっ……あの人」 「リョータ、目ェ合わせんじゃねー。下手すりゃ孕むぞ」  村沢由悟(むらさわゆうご)。白面通り商店街にある七十年代テイストの古着屋『ヌードフラワー』の店長だ。  ピンクアッシュに染めた髪を8:2で斜めに撫で付けた前髪多めヘア。パーマをかけたり、マッシュにしたりとコロコロ髪型を変えるが、髪色はほとんど変えない。  シオリとは歳が近いが、身だしなみに無頓着なシオリと、頭のてっぺんからつま先まで隙のないコーディネートが命の由悟ではまったく気が合わずぶつかることが多い、いわゆる犬猿の仲。  由悟は入口で仁王立ちするシオリには目もくれず、リョータに向かって満面の笑みで手を振り続けている。

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