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第10話

 夏休みも折り返し地点の頃、光苑寺では来たる熱い祭りに向けて、各所で踊りの練習が行われていた。掛け声とともに鳴り物と呼ばれる独特の鋭い鐘の音があちこちから聞こえてくる。  リョータは高校三年生になり、君津でのバイトも半年以上経ってすっかりベテランの域になっていた。そして例のリョータに取り憑いたものを消去するのも、だいたい月に二回ほどのペースに落ち着いた。 「うわー、やばかった。雷こえぇ……」  ゲリラ豪雨の中駆け込んできたリョータは、全身びしょ濡れだった。タオルを投げ渡し、小柄なリョータに合うような着替えがないか悩んでいると、リョータがロッカーからレトロな柄シャツを出してきた。 「こういうのあんまり着ないから……ちょっと恥ずかしいけど、エプロンすれば目立たないかな……」 「お前、そういうの趣味だったっけ?」  七十年代風のシャツ。ベージュのナイロン生地にブラウンの幾何学模様が入っている。 「やっ……これは、由悟さんが、その……くれたんだ。悪いからって断ったんだけど、押しつけられちゃって」 「はあっ?」  暗かった時代にはさぞ映えたデザインだろう。おどろおどろしい雰囲気は、確かに由悟の店そのもののイメージだ。しかも、押しつけられたというだけあって、リョータによく似合っていた。  そこがまた面白くない。由悟とは腐れ縁だが、シオリは由悟からシャツはおろか、ネクタイ、ベルトの一本すらもらったことがない。知らぬ間にそんなにリョータは親しくなったのだろうか。どう考えてもおかしい。 「お前、マジで手ぇ出されてないよな?」 「えっ? なんのことですか?」 「あいつはなあ……本当に節操なしなんだよ。男でも女でも美でも醜でも関係ない。アレの毒牙にかかったら面倒なことになるぞ」  しかし節操なしとはいっても、今まで高校生に手を出していることはなかった。どこにもでも物好きはいるもので、近隣の女子高生の中では由悟のファンクラブみたいなものもあるが、売り上げに繋がる程度の愛想しか振りまいていないことをシオリは知っている。 「由悟さんは、すごくやさしいです。もちろん変なことなんて、されたこともないです」  リョータの答えは意外なものだった。生真面目に答える様は、嘘をついているようにも見えない。 「いつも俺のこと気にかけてくれるんです。帰りがよく一緒になるけど、何回断っても危ないからってアパートまで送ってくれたり。俺がうちでひとりでいるのを知ってるから、学校が休みの日はお店の開店前に顔を出してくれたり……」  由悟の店「ヌードフラワー」は二十三時閉店だったはずだ。夜中でも買える古着屋として重宝されている。シオリはリョータを遅くとも二十二時過ぎには追い出すように帰すようにしていたが、バイトを上がった後のことまでは知らなかった。  急いでスマホを取り出し「ヌードフラワー」のHPを開くと『*諸事情により、しばらく二十二時閉店となります』とあった。  由悟は基本的に愛想はいいが本心がわかりづらい、底が知れない男だ。だからシオリは由悟には完全に気を許したことがない。  笑みを浮かべたまま、恋仲になった相手を平気で切り捨てるから、捨てられてぼろぼろに傷ついた人が数人じゃきかないことも知っている。  およそ人を人とも思わぬような仕打ちをすることに躊躇のない由悟が、リョータだけにはそんなやさしさを見せるのが意外だった。  シオリが前々から危惧しているとおり、リョータがなびかないから意地になっているのだろうか。あの手この手で懐柔し、それでリョータが陥落したら、ここぞとばかりに捨てるのだろうか。  考えにふけるうち、湯が沸いた。あらかじめ用意してあったネルドリップに、細い注ぎ口から湯を注ぐ。 「雨に濡れたから、ホットにしておいたぞ」  リョータはシオリがカフェオレを淹れてやると、相変わらずぱあっとうれしそうな顔をしてマグを受け取る。温度も、好みの牛乳の濃度もすっかり覚えてしまった。 「うまいか?」 「はい。でも本当はブラックの方が味がいいんですよね? お子様舌ですみません……」  リョータにしてはいやに殊勝な態度で謝るものだから、シオリはリョータの頭をがしがしと撫でた。 「うわっ……」 「子どもはそんなこと気にしなくていい。コーヒーだって食事だって、自分の好きなように食べて、うまそうにしてくれんのが一番だ」  いつもなら、髪を乱して頭を撫でたら真っ赤になってフーッと怒るはずなのに、リョータは赤面したものの、そのままうつむいてしまった。 「ところでリョータ、ちゃんと学校は行ってるよな」 「まだ夏休みだよ」 「そ……そうだよな。だけど受験生だろ。ちゃんと授業とかついていけてるのか? 俺が勉強みてやろうか」 「できるんですか? シオリさん」  意外そうに問いかけられる。あまり自慢できる学生時代ではなかったことを、ゴロウあたりから聞いたのかもしれない。  確かに勉強が好きだったわけではない。両親も変わり者で、自分たちが好きなことをしているせいか、シオリにも「学校なんて行きたくなければ行かなくてもいい」なんて言う親だった。 「理数ならまあなんとかな」 「俺文系だよ……そもそも大学とか行けねーし、卒業できればいい」 「ふうん」 「それより、シオリさんちはみんな奔放だね。ゴロウさんも、シオリさんやご両親みたいに、世界中を旅してたの?」  自分のことや家のことになると、リョータは途端に口が重くなる。それか巧みに話題をすり替える。

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