11 / 38

第11話

「いーや、俺が物心ついた時から、じいちゃんはずっと光苑寺にいる。ここが好きなんだってさ。昔のことはあんまり教えてくれないけど」 「そう」 「それよりお前、まだ髪の毛びしょびしょじゃねーか。子どもかよ」  がしっと引き寄せ、首にかけていたタオルで頭を拭くと、腕の中でリョータが縮こまった。心臓の音が由悟のくれたシャツの上からでもわかるくらい、早鐘を打っている。  シオリは鈍い方ではないと思うからなんとなく気付いていたけれど、これはもう確信といってもいいのではないだろうか。  何度聞いても、彼女なんかいないと言う。「じゃあ好きな子は?」と続けると途端に不機嫌になる。  なぜだか知らないが、リョータはシオリのことが好きなのだと思う。本人すらまだ、自覚していないかもしれないが。 「手……重いってば、シオリさん」  リョータが押し返すまで、髪を拭いていた手を頭の上に置いていたようで、文句を言われる。 「わりい……しっかしすげえ雨だなあ。しかも結構長くねえか?」  ゲリラ豪雨は、バケツをひっくり返したような降りがごく短い間続くものだと思っていたが、今回は異様に長い。さすがに今は通りを歩くものもおらず、人っ子ひとりいなかった。 「な……リョータ……って、えっ。おいっ! リョータ!!」  まただ。リョータに何かが取り憑いた。背中から濛々と紫色の煙が立ち上っている。 「このシャツかよ。くそっ、由悟のやつ」  リョータを素早く横抱きにし、二階の部屋へ連れて行った。  もう何度も行っていることで、いい加減慣れてもいいと思うのだが、白目を剥いたリョータの呼吸が止まり、みるみる体が冷えていくのは、いつも心臓が止まりそうになるほど心配になる。 「リョータっ! 大丈夫か? そんなの、俺がすぐ消してやるからな」  答えてくれるわけがないのだが、いつもそうやって声をかけながら取り憑いたものを消し去る。  思った通り、かつて古着のシャツの持ち主だった男が原因だった。 「リョータ、ちょっと我慢してくれよ」  小説家になるといいながら、一作として完結まで書き上げたことがなく、実質女のヒモをしていた男。  ひとりでくすぶっているだけならまだよかったが、今でいうDVの果てに女を殺してしまった。殺人は隠蔽した。  それから男はクスリに溺れ、地べたを這うような貧乏人になった。ある日無銭飲食をして店から逃げだそうと飛び出したところをトラックに轢かれ、あっけなく死んだ。  一瞬でころっと死んだことが、痛みや悲しみで苦しみ抜いた末に死んだ女の逆鱗に触れて、地獄へ落ちる価値もない男の消滅を望んだ。  そいつを消し去ると、準備中の札を下げたまま、シオリは店を飛び出した。リョータが目を覚ますまでの間にはっきりさせたいことがあった。  豪雨はすっかり止んで、空が嘘みたいにキラキラしている。地面を反射する光に目を眇めながら通りを歩いていると、駅反対口の道路が冠水したという通行人の話が聞こえてきた。  目的の店に来ると、シオリはドアを乱暴に開けた。  古着独特の匂いと、焚き染めた香の煙が充満する薄暗い店内。煙感知器が作動しないのがいつも不思議だ。  内装はサイケデリックな色調で、中でも真っ赤なクリスタルガラスと真っ黒な鎖を使ったシャンデリアが目を引く。ここに通う客は限界まで光彩を絞っている店内で、洋服の色がわかるのだろうか。 「由悟、いるんだろ?」  誰もいない店内で声を張り上げること三回。うるさそうな顔をしながら、やっとレジ奥の部屋からのっそりと由悟が出てきた。 「お前、リョータにとんでもねえシャツ渡したな」  「は? どれのことだろ。いろいろあげているからなぁ」 「一着じゃねーのかよ。ほら、ベージュで茶色の変な模様が入った、安っぽいシャツだよ」 「あ、あれね……失礼な。淡い色なのにシミひとつない貴重なデットストックだぜ。店でなら万じゃきかない」  光苑寺は古着屋が多いが、原宿や下北沢に比べて安価なのが魅力だ。  由悟の店は光苑寺古着屋界隈では割と高めの値段設定だが、それはこだわり抜いたものしか置いていないからだ。それにしても古着のてろてろしたシャツ一枚に一万越えとは……。 「ま、高い安いはいいんだけどよ。デットストックじゃねーからな、それ。昭和の時代にすげークズの男が着てたモンだ」 「嘘だろ? 普通は人が袖を通したもんはわかるんだけどな……」  人となりはいい加減かもしれないが、店の商品に対してのこだわりには並々ならぬものを持っている由悟は、ひどく驚いている。 「ふうん……それがわかるってことは、そのクズがリョータに取り憑いてたわけ? あんまりいい霊じゃなかったんだ」 「お前……」  元の持ち主を特定してもさほど驚かない由悟に、首を傾げていると呆れたように鼻で笑われる。 「それが始まったのはいつから?」 「へ?」   「リョータに取り憑いたものを消し去る仕事」 「仕事なのか? まあリョータがうちでバイトするようになってひと月後くらいかな。…………ってか、なんでお前がそれを知ってるの?」 「ホントになんにも知らないんだね。まあオマエがぼんくらなのは昔からだけど。ね、シオリ。じゃなくて、かつての銀角くん? か」 「てっめ……わかるように話せってんだよ!!」

ともだちにシェアしよう!